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 サッカーのある風景 03/10/31 (金) <前へ次へindexへ>

 原点。


 文/西森彰
 原稿書きの合間に現実逃避しながらネットサーフィンしていると、ある高校サッカーのサッカー部に在籍する選手の父兄の方が作ったページに辿り着いた。自分の息子たちが戦っている写真の数々、そして連絡掲示板に書かれているBチーム、そしてそこにも入れない選手たちを含む部員への励ましの言葉。そういったものに目を通しているうちに十数年前を思い出した。

          

 中学生活で球蹴りの上達を諦めた私だったが、それでも小学校から数えて6年間、サッカーを続けられたのは、私たちを指導してくれたサッカー部の先生の言葉だった。

「オマエは決して上手くない。それどころか下手だ。それでもオマエは絶対にサボらない。オマエがサボらないから、オマエより少し上手い奴らもサボれない。そいつらがサボらないから、レギュラーの連中もサボれないんだ。だからオマエも、立派にチームの一員だ」

 雨の日の教室、全体ミーティングの席でいわれたこの一言があったから、楽しく部活を続けられた。6年間続けて、公式戦は途中出場が3試合(しかも、Bチームが出られる大会である)。それさえも、素晴らしい思い出になっている。先日、駅で偶然出会った先生にその話をしたところ「ああ、あれは今ではオレの十八番の話になっているよ」と笑っていた。

                    

 先生の横に座り、スコアブックをつけていた時間が長かったから、今もゲームを見守る場所はメインスタンドかバックスタンド。それもハーフウェイライン付近ではなく、ややどちらかのゴール裏よりだ。サイドバックのレギュラーだった友人は「SS席のどこが見やすいのか、全く分からないよ」と漏らす。そんな彼はゴール裏の端っこのスペースが好きらしいが、それも少年時代のポジションの延長線にあるからだろう。

 いろんなレベルの試合を見ていても、技術的な部分はそれほど気にならない。ちょっと想像力を働かせれば、99%の試合は自分よりも上手いプレーヤーがボールを追い、自分よりも上手いレフェリーが裁いているのは一目瞭然。当たり前の話だ。そんなことよりも感情移入できるだけの、選手の気迫とか根性を求めてしまう。

 地球上の生物とは思えないボールテクニックを披露する選手よりも、絶対に諦めずマーク相手を追い続ける選手に視線が向かう。システムどうこうよりも、タッチライン沿いでのルーズボールの奪い合いに目を奪われる。華麗なフェイントからのループシュートよりも、足を攣ったディフェンダーが懸命に戻ってクリアしてのオウン・ゴールのほうが心に響くのだから、ある種の病気といわれても反論はできない。

          

「一所懸命だった人間がどれだけいたか」が最優先事項になる。時間一杯まで死力を尽くしてプレーしてくれたなら、たとえ結果が付いてこなくても、どんなに大差で負けようとも、拍手をおくる。先日の横浜Fマリノスとセレッソ大阪の戦いぶりなどは、テレビ画面の中からもオーラが漂ってきた。EURO2000の準決勝オランダ戦で、2年前の「ガツン」という金属音を頭から振り払いながら、ボールを抱えてPKスポットに向かったイタリアのディ・ビアッジョは、目下のところ、私の好きなプレーヤー・ナンバー1だ。

 地区大会クラスでは、ラインズマン(当時、副審は線審と呼ばれていた)も各校の選手が務めた。もちろん、試合に出ている時間がほとんどない五体満足な私は、何試合もオフサイドフラッグを握った。そこから貴重な経験則も得た。「ピッチの外から審判に文句をいってもプレッシャーを与えることなどほとんどない。それどころか、大概、相手サイドに有利なジャッジに傾いていく」ということだ。

 もちろん、納得のいかない判定や味方のミスにブーイングするより、前向きな声援で選手たちを励ますチームのほうが好きだ。昨年、カシマや水原のスタンドを揺さぶったアイルランド代表のファンからは、本当に素晴らしかった。その場に居合わせたことに対する感謝の気持ちさえ芽生えた。

                    

 今、改めて自分がこれまで書いてきたマッチレポートを読み返すと、試合の勝敗と関係ないことが実に多い。「ベンチに入れない選手が別の試合会場で、勝ち上がった時にあたる対戦相手のデータをとっていた」とか「ボール拾いのスタッフが素早く選手にボールを戻した」とか「記録員を務めたのは、どこどこの誰々」うんぬん・・・。無意識のうちに十数年前の自分への声援を綴っていたのだ。もう、笑うしかない。

 高度な技術論を期待してくれている読者諸兄には、もうあらかじめ許しを請うておく。今後もこういう視座からサッカーについて語り続けていくことを。30過ぎて生き方を変えるのは決して簡単なことではない。それに、こんな楽しみ方をしてきたから、今もサッカーというスポーツが好きでいられるのだから。そして、それはきっととても幸せなことだから。
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