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 サッカーのある風景 03/11/10 (月) <前へ次へindexへ>

 喜びと悔しさの中で


 文/中倉一志
 第82回全国高校サッカー選手権福岡大会は筑陽学園の優勝で幕を閉じた。厳しい試合だったが、MF桑原選手を中心とした攻撃は迫力満点。念願の全国大会初出場を果たした。一方、敗れた柳川高校も持てる力を十分に発揮した。前半こそ守備に追われたものの、後半は筑陽学園を押し込んで、最後の最後まで勝利に対する執念を見せた。私がこれまで取材した高校サッカー選手権福岡大会の中で最も白熱した試合だった。好ゲームだった。

「今までできなかったことをやってくれた。歴史を変えてくれてありがとう」。吉浦監督は選手たちにそう言葉をかけると、1人、1人と握手を交わした。福岡の2強、東福岡と東海第五が出場しない決勝戦は26年ぶり。この間、2強以外の高校が全国に出場したのは僅かに3回だけだ。いつもは厳しい表情で選手に接する吉浦監督の感極まった表情に選手たちははにかみ気味。その光景を見ながら、周りを囲む記者たちにも笑みがこぼれる。

 敗れた柳川高校。「お疲れ!柳川!」。スタンドから応援に駆けつけた同校の生徒たちから大きなエールが送られる。「また頑張ろう」。まずは選手たちに、そう声をかけた池末監督。しかし言葉が続かない。涙をこらえきれずに無言で選手たちの背中を叩く。それでも選手たちをピッチから送り出すと、気丈にもコメントを取るために控えていた取材陣に向かって振り向いた。会釈をして黙って引き上げる取材陣。言葉をもらう必要はない。



 勝負の世界はいつも残酷だ。勝者と敗者のコントラストはあまりにもハッキリしている。決勝戦までくれば、どちらにも等しくチャンスはある。ここまで多くのものを犠牲にし、多くの時間を割いてやってきた。その積み重ねてきた重みはどちらも変わりはない。パフォーマンスにも差などないに等しい。しかし、90分が過ぎれば一方は勝者として賞賛され、もう一方は悔しさにくれる。80点や90点はあり得ない。そこに存在するのは100か0かだ。

「敗れて悔いなし」。それは周りが勝手に言う言葉だ。戦いの場に臨むに当たって準備してきたものが多ければ多いほど、自分たちの力を出し尽くせば、出し尽くすほど、悔しさは大きい。自分たちの力ではどうしようもできなかった現実。それが重くのしかかる。「次がある」。そんな言葉は慰めにもならない。我々ができることは、ただ黙って見守ることだけ。取材後、勝者をたたえる気持ちを抱きながらも、一方で悲しさが抑えきれない。

 それでも、勝負の世界に大勢の者が挑戦していく。栄光を得られるのは137校のうちのわずかに1校。人数にすれば、大会登録選手2,740人中20人でしかない。だからこそ、頂点に立つ栄誉はどんなに賞賛しても賞賛しきれるものではない。選手たちにとっても何事にも代え難い至福の喜びなのだ。だからこそ、殆どの者が敗れ去ることが分かりきっていてもチャレンジを続ける。たった一つの栄光を目指して、全てをかけて。

 そして、勝利にこだわり続けることでスポーツは選手たちに何かを教えてくれる。勝利にこだわり続けることで、選手たちはその何かを見つけていく。結果が得られない自分を情けなく思い、ひとつの壁を乗り越えて自信をつける。そんな挫折と喜びを繰り返しながら、知らず知らずのうちに大切な何かを身に付けていく。勝利の喜びに浸っているとき、敗れた悔しさに涙するとき、その何かは見えていない。しかし立ち止まって振り向いたとき、選手たちはその大きさに気づく。



 長い、長いチャレンジの末に勝ち取った福岡チャンピオンの座。筑陽学園に最大の賛辞を贈りたい。しかし、いまは「おめでとう」というのはやめておこう。彼らには福岡県代表として全国の舞台で優勝を目指す戦いが待っている。まだチャレンジの真っ只中にいる彼らにかける言葉としてはふさわしくないからだ。「朗報を待っている」。彼らにとってはプレッシャーのかかる言葉かもしれない。しかし、それに打ち勝ってもらいたい。

 柳川高校の悔しさにかける適当な言葉は見つけられない。しかし、月並みだが「下を向くな、胸を張ろう」と贈りたい。シンプルな戦術で劣勢を跳ね返し、筑陽学園を追い込んだ姿は逞しかった。その姿に引き込まれた人は多かった。夢は破れた。しかし、進む道が変わってもチャレンジは続く。今度はこの頑張りを違う形で生かす番だ。そして、2年生には「来年戻って来い。悔しさはそのとき晴らそう」と伝えたい。新しい挑戦はすでに始まっている。




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