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 サッカーのある風景 04/10/03 (月) <前へ次へindexへ>

 ドキドキするのは私の方だ


 文/竹井義彦
 ときどき招待試合が続くことがある。9月の3連休、2日続けて招待試合に出かけてきた。結果は芳しくなかったが、それはそれ。子どもたちが成長していく過程だから、ひとつひとつを取り上げて目くじらを立てる必要はないだろう。10月におこなわれる市大会に向けての課題が見つかったと思うことにした。

 招待試合があると、よく経験するのがPK戦だ。今回の招待試合でも一試合、PK戦があった。もっとも私が主審を務めた試合で子どもたちの試合ではない。ただ、面白いものでPKというのは続くようだ。

 もうずいぶん昔になるが、PK戦までもつれたゲームの副審を3試合続けて務めたことがある。しかも、まったく場所も違えば日にちも違ったのに、である。招待試合が2試合、そして県大会が1試合だった。3試合目のときにはまさかと思いながら旗を振っていたのだが、同点のまま試合が終わったときには思わず苦笑してしまった。

 子どもたちも今年の春の区大会の決勝トーナメントでは、2試合続けてPK戦を戦った。それだけならまだしも、すぐ後の招待試合での順位決定戦もPK戦にもつれている。連鎖反応とでもいうんだろうか。



 その招待試合では、前半勢いのあるチームがリードしていたが、後半ちょっとした隙に押されていたチームが同点に追いつき、そのまま試合は終了、PK戦で決着をつけることになった。試合が終わると、ハーフウェイラインを挟んで子たちを並ばせ、PK戦を行うことを告げる。つぎに、それぞれのチームのキャプテンにベンチの指示を仰ぐように促す。この間に、私は大会の主催者などと相談して使用するゴールを決める。特別ピッチになにかあれば別だけど、だいたいはゴールキーパーが守りやすいかどうかを基準に選ぶことが多い。当たり前の話だが、PK戦の途中で使用するゴールを変更したことは、まだない。

 キャプテンが指示を受けて戻ってくると、コイントスで先攻後攻を決める。それまではコイントスに勝った方が先にキックをすることになっていたが、03/04シーズンからは先攻後攻を選ぶことができるようになった。次に、両チームの選手をセンターサークルの中に座らせる。PK戦の最中、ゴールキーパー以外の競技者はセンターサークル内にいなければいけない。プレイしないゴールキーパーはどこで待っているかというと、ペナルティラインとゴールラインの交差しているところで待機することになっている。

 準備が整ったところでPK戦は開始する。キッカーはボールをきちんとプレスすると、主審の合図の後、ペナルティキックを蹴ることになる。ルールブックのPK戦の項にはそのことは書いていないが、以前、中学の大会で主審の合図を待たずにキックをしてゴールが決まったとき、蹴り直しを命じられたことがあった。もちろん、一度キックを決めた後に蹴り直すとキッカーの方が心理的に不利になることが多い。「せっかく決めたのに」と思ってしまうともう駄目だ。この時もやはりキッカーは失敗して、PK戦に負けてしまった。私が主審を務める場合、ボールをプレスしているときに「笛が鳴ってから蹴るんだよ」と必ず声をかけることにしている。無用なトラブルを避けるためである。



 審判としてPK戦を行うことに特別な感情はあまりない。慣れていない頃は確かに緊張もしたが、いまでは大会などの進行上、時間が気になる程度のことである。が、これがPK戦を行うチームのコーチという立場になると、そうはいかない。まず、キッカーの順番を決めなければいけない。これが実はとても難しい。まだ、子どもたちが小さかった頃は、それこそちゃんとボールが蹴れるかどうかで選べばよかった。が、さすがに小学校4年生ともなると、誰もがしっかりとPKを蹴ることができるようになっている。となると、キックが成功するかどうかはメンタル面が大きくものをいうことになるからだ。

 春の区大会の準決勝戦はPKで決着をつけることになった。この大会ではベンチから1人だけピッチに入り子どもたちに指示をすることができたので、私が子どもたちのところへ向かった。みんなの顔を見て、ちょっと驚いてしまった。一様に自信なさそうな顔をしている。後半追いついたのに決められなかったということが影響していたのかもしれない。いつ逆転してもおかしくない展開だったからだ。

 蹴りたくないという子もいた。が、そこで私が迷ったら、子どもたちはさらに消極的になってしまうかもしれない。私は「蹴りたくないヤツはここにいる資格がないから、さっさとベンチに引っ込め」とキツイ口調でいった。理屈もへったくれもない。蹴りたいヤツにだけ蹴る権利があるんだから、それ以外の子はここから出ていってくれと話をしたのだ。途端に子どもたちの顔つきが変わった。蹴りたくないと口にしていた子が一番先に「蹴りたい」と手を挙げてきた。そうなると、みんなが我も我もと手を挙げはじめる。



 子どもたちにはデカイことをいったが、実は一番心臓がドキドキしているのは、当の私であった。子どもたちは、ゴールを決めるという意志を込めて精一杯蹴る。そして、その結果は神のみぞ知るなのである。誰だったか、PK戦はくじ引きのようなものだということをいっていた。子どもたちにも、そう話をして精一杯蹴ればいいよ、と伝えてはある。だからこそ、ベンチの、いや私の運が試されるようなそんな心境になり、胃がキリキリと痛むのだ。運だけは、どんなに練習しても強くなる訳じゃない。

 中には「蹴りたい」という子どもの意志ではなく、子どもたちの力を考えてコーチが決めるべきだということをいう人もいるらしい。が、私たちのチームではそういう話は聞こえてこない。蹴りたいという子が成功すれば大きな自信になるし、逆に失敗してもそれを糧にして逞しくなれるからだ。

 この試合はなんとかPK戦で勝つことができた。しかし、次の決勝戦ではPK戦で負けてしまった。ものすごく素晴らしいキックがゴールポストに当たって弾かれ、逆に相手のなんでもないゴロがそのまま隅に決まってしまった。まさしく運で決まったようなものだ。



 私自身PK戦は好きではない。が、好き嫌いをいっているわけにはいかない。いつPK戦になるのかわからないし、とても大切な試合に限ってもつれることがあるからだ。PK戦をくじ引きではなくひとつの競技だと考えて、きちんと練習を積むべきなんだろう。PK戦になったら勝てる、と子どもたちが思えるようになればしめたものなのかもしれない。

 それでも、やはりくじ引きのような側面は残るんだろう。そんな運命のいたずらがサッカーの魅力の一面でもあるからだ。ただ、そのたびに私の胃が痛むのだけは勘弁して欲しいのだが、こればかりは無理な相談なのだろう。私のメンタルの問題だからなぁ。
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