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 サッカーのある風景 04/10/18 (月) <前へ次へindexへ>

 コミュニケーションというと大袈裟だけど


 文/竹井義彦
 13日のオマーン戦は、さすがに固唾を呑んで見守っていた人も多かったんじゃないだろうか。それでも1−0で勝ち、日本代表がW杯一次予選を無事通過することになった。アジアカップでの戦い方を彷彿とさせるようなねばり強いディフェンスで試合をコントロールすると、後半上げた得点をきちんと守りきり、終わってみればその力の差を知らしめてくれた試合でもあった。

 通過したことは喜ばしいが、それでは諸手をあげて喜べるのかというと、ちょっと複雑ではある。一次予選の最後の試合となるシンガポール戦は、いわば消化試合となるわけだが、伝わってきたそのプランに覚える違和感が、複雑さに拍車をかけているといえばいいだろうか。なにはともあれ、次は二次予選通過を願うことにしよう。



 10月になり、横浜市では第36回横浜国際チビッ子サッカー大会の予選がはじまった。秋の市大会である。ブロックによってはすでに決勝トーナメントに進出するチームが決まっているところがあるかもしれない。私がコーチをしている駒林サッカークラブの4年生チームも、もちろんこの大会に参加している。予選はこのところ雨が続いたこともあって、16日の土曜からということになった。全部で6試合戦い、その結果上位2チームが決勝トーナメントに進出できる。どんな試合を子どもたちがしてくれるのか楽しみな半面、不安もあるというのが正直なところだ。

 いま子どもたちに徹底させているのは、試合がはじまってからの5分間を全力で戦うこと、相手よりも先にボールに触ること、人まかせにしないこと、そして声を出すことの4点だ。それ以外にも、試合によって注意事項はあるが、これだけは試合前にまるでお題目でも唱えるように言い聞かせている。

 特に、この中でも大切なこと。それは「声を出すこと」だ。
 低学年ならいざ知らず、この学年になると声がとても重要な要素のひとつになってくる。声が出せるかどうかでいいチームかどうかすぐに判るといっても過言ではないだろう。それほど、声はサッカーにとって必要な要素なのだ。ところが、この声がなかなか出ない。

 それは、この年代の子どもたちだけの問題ではない。中学生だって、高校生だって、いや大人だって、声の大切さは知っていても肝心なときに声が出ないことがある。それはプロだって同じだ。コーチングでチームの意思を統一できたなどという記事がスポーツ誌に載ったりすることでもそれは伺い知れるだろう。



 試合中に出して欲しい声には二種類ある。パスを出すときや受けるときなど直接プレーに関係するかけ声と、チーム全体の士気を鼓舞したり励ましたりする声だ。そのどちらも同じように大切で必要な声だ。普段から習慣になればと思い、練習の時からいろいろな声を出させるようにしている。たとえばウォーミングアップの時にはみんなでかけ声を出すようにしたり、パスを出すときには相手の名前を呼ぶなどだ。慣れてしまえば簡単なことのように思えるが、遠征の時、乗っている車の中で馬鹿騒ぎするような子に限って、プレーに集中しすぎて、声を出すことができなかったりするから難しい。

 ベンチの声が大きいからなのか、試合中に子どもたちの声がまったく聞こえないこともたまにある。ハーフタイムや試合後に、声が出ているかどうかを確認してみると、それなりには出しているようだ。

 たとえば逆サイド子がフリーになったりしているときに、パスを呼んだりしているらしい。こういう声は、プレーの流れの中で経験していけばきっとそのうち出すことができるようになっていくはずだ。もっともっと出して欲しいとは思うが、こればっかりは練習や試合で積み重ねていくしかないだろう。子どもたちもプレーに関係した声については、出すつもりはあるらしいし、それなりに出せるようになってきたから、もう少しの我慢かもしれない。

 問題は、士気を鼓舞したりする声の方だ。
 どうしてそういう声が出せないのか聞いたことがあるのだが、子どもたちにしてみれば、どういうときにどんな声をかければいいのか、よく判らないらしい。これは練習するわけにもいかず、さてどうしたものかと私の中では課題のひとつになっていたことであった。



 が、ひょんなことからヒントを掴むことができた。
 今回、市大会の前にいろいろな招待試合や調整のための練習試合を繰り返したのだが、ある練習試合で主審をすることになった。招待試合や公式戦などは、当たり前の話だが主審はもちろん副審も他のチームの審判が務めることになっている。が、練習試合は別だ。笛を吹くことはできるし、試合中に子どもたちに指示をしたり、注意をしたりすることもできる。

 その練習試合でのこと、私がピッチに入って笛を吹いていると、子どもたちの声が聞こえてきた。いつもならベンチから私が大声を上げているんだが、この時、大声を上げるはずの私がピッチにいるからベンチは静かなもの。だからだろうか子どもたちの声がよく聞こえた。プレーの合間合間に聞こえてくる声を聞いていると、全員が声を出しているわけではないが、それなりに子どもたちが声を出していることがよくわかった。もちろんプレーに関するかけ声だけでなく、試合の流れにあわせていろいろなことをいっていた。

 しかし、その内容を聞いて、なるほどと唸ってしまったのである。
 というのも、普段私やコーチたちがベンチや試合前にかけている声の内容と同じようなことを言っていたのだ。つまり試合中の子どもたちの声のお手本はベンチの声だったのである。試合前の注意だったり、試合中の指示だったり、それなりに状況を見ながら声を出している。ひとりが声を出せば、別の子も別の声を出している。なるほど、こういうことなら、もっともっとベンチから出す声の内容を考えなければいけないと、改めて思い知らされてしまった。

 それと同時に、そろそろベンチでの大声ものべつ幕なしに出すのではなく、要所要所だけにして、少しずつ子どもたちに任せなければいけないのかもしれない。子どもたちが自分たちで判断しなければいけないということを理解して、声を出し合うことができれば、きっとプレーの連携だって、チームワークだってぐんとよくなるはずだ。

 この子たちが卒団する頃には、私が週末の度に喉を嗄らすことはなくなるかもしれない。そんなチームになるように、まずベンチから私がいいかけ声をかけるようにしなければいけない。なにしろ、ピッチの子どもたちはベンチを映す鏡でもあるから。
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