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 サッカーのある風景 04/11/14 (日) <前へ次へindexへ>

 そこには熱い戦いがあるんだよ


 文/竹井義彦
 中盤でボランチがボールを奪い、前方を窺う。すぐに相手チームの選手が2人、左右から挟み込むようにアプローチしてくる。ボールキープしていたボランチは、前方の壁が意外に分厚いのを感じ取ったのか、すぐに後ろを向いた。ボランチが振り向くよりもいち早くその意図を感じ取ったセンターバックが2メートルほど下がると、そこへボランチからパスが渡った。

 センターバックが顔を上げたとき、左にいたフォワードがサイドへ開いてパスを呼ぶ。しかし、センターバックが選択したのは、そのフォワードにつられ相手バックが動いて空いたスペースだった。もう一人のフォワードがそのスペースへ走り込むとパスをトラップ。しかし、敵もそう簡単にフリーにさせてはくれない。ゴールに背を向けたままパスを受けたフォワードは、躊躇なく、後ろへボールを落とした。左サイドハーフがそのボールを受け取ると、そのサイド側の脇を左ストッパーが駆け上がっていく。

 綺麗なオーバーラップだ。前を向いたままボールを受け取った左ストッパーはゴールライン目がけて一直線に駆け上がると、深い位置まで抉ってから左足でクロスを上げる。そのクロスに合わせるようにニアポストとファーポストにフォワードが走り込んできた。しかし、ほんの僅かタイミングと高さが合わず、ボールはそのまま逆サイドへと流れていってしまった。

 ピッチにいる選手がボールの動きに合わせて、その全員が反応しているいいゲームだった。しかし、これは小学校4年生同士がプレイしている試合のワンシーンだ。ときどきこういう試合を観ていて思うことがある。昔は、子どもたちはこんなサッカーをやっていなかったんじゃないだろうか、と。



 昔といっても、5年ほど前だ。私の長男がまだ小学生で、サッカーをやっていた頃のこと。もっともっと子どもらしいサッカーをやっていたような気がする。もしかしたら私の勘違いかもしれない。けれど、いま、私がコーチしているチームのホームグラウンドになっている小学校の校庭は、その頃、いまよりももっと広く感じられたのは確かだ。コーナースポットからゴールまでの距離だって、それなりにあって、高学年にならなければコーナーキックがゴール前にちょうどいい高さで飛んでくるようなことはなかったはずだ。

 なのに、いまの4年生チームの練習を見ていると、とても狭く感じられるのだ。コーナーキックも充分に届いてしまう。それどころかハーフウェイラインからゴールまでが近すぎて、ここで試合をするとスペースがなく、バスでゲームを組み立てることが難しいと思えるほどなのだ。キーパーのジャンボキックが相手のゴールキーパーまで、確かに何回かはバウンドするが、誰も触ることなく転がっていくことだってある。

 前述の試合を見ていたとき、いっしょに観戦していたお父さんコーチに、そのことを話してみた。このお父さんの長男とうちの次男が同じ年で、そのときはいっしょにお父さんコーチをしていたのだ。あの頃は、こんなサッカーを小学校4年生はやっていなかったよね、と。彼は、苦笑混じりにただ頷いただけだった。

 子どもたちのキック力が向上しているのは確かだ。
 子どもたちのボールタッチやボールコントロールももの凄く向上している。
 それに、子どもたちのサッカーの質も、やはり向上しているんだろう。

 これは、Jリーグや、海外のチームの試合が生で観戦できたり、テレビで見られることと決して無縁ではないと思う。いろいろな試合を観ることで、サッカーの魅力を知り、高いレベルのサッカーに触れる。それは、私たちコーチもそれから実際に試合をする子どもたちも同じことだ。触れる機会が増えれば、それを吸収するのも飛躍的に早くなっていく。サッカーの底辺を拡げ、そして底上げしていく。そのためにJリーグの試合や、日本代表が戦う国際試合が果たしている役割は相当なものなのだろう。



 長男がまだ小学生の頃、ボランチといっても、子どもたちはよく判っていなかった。なのに、いま私はその時よりも学年が下の4年生の子どもたちに、ドイスボランチだの、トップ下だの、リベロだのといって指示をだしているし、意味もちゃんと伝わっているのだ。子どもは自分たちなりにその役割を考えて、ポジションを取り、試合の中で動いていく。それは単に知識が増えているだけでなく、サッカーがより身近な存在になってきたからに違いないのだ。日本に、本当の意味でサッカーが根付きはじめているといえるだろう。だからこそ、子どもたちと接している私たちコーチの責任は、重いものなんだと年を追うごとに思うようになっている。

 それは、サッカーに関する勉強をちょっとでも怠ると、きちんとした指導ができなかったり、子どもたちにサッカーの本当のおもしろさを伝えきれなかったりということに直結してしまうからだ。そんなことを考えながら、子どもたちの試合を観ていると息苦しさすら覚えることがある。常に新しいサッカーに触れ、その戦術や、戦略を学び、意図するところを理解して、子どもたちに伝えていく。それも、子どもたちがその根底にある本当に大切なことをしっかりと理解できるように教えていく必要がある。だからといってオーバーコーチングではなく、自主的に、自分の頭で考えた創造的なプレイができるようにしてあげなければいけない。ちょっとしたプレッシャーである。

 ただ単なる勝ち負けではなくて、本当に大切なこと。それを伝えるために、私ももっともっと勉強しなければいけないことがいっぱいあるはずだ。なんだかいま子どもたちのコーチをしてるはずなのに、子どもたちに教えられているような錯覚に陥ることもある。それはきっと、以前に比べると子どもたちのレベルが、いろいろな意味でぐんと向上しているからだろう。そんな子どもたちに負けないように、私も少しずつでいいから伸びていかなければいけないというわけだ。

 それにしても、小学生の試合だと高をくくってはいけない。素晴らしい試合をしてくれるのだ。もし機会があったら、近所の小学校やグラウンドを覗いてほしい。熱い試合をしている子どもたちがいるはずだ。今週から港北区大会が始まる。熱い戦いを、私も子どもたちといっしょになって繰り広げたいと思っている。
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