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 福岡通信 03/03/28 (金) <前へ次へindexへ>

 言葉は通じなくても


 文/中倉一志
 Jリーグ・ディビジョン2の開幕日となった3月15日、博多の森球技場のメインスタンドに一際目立つ青い目のサッカープレーヤーたちがいた。身体はがっちりしているが、その表情にはまだ幼さが残る。サッカー協会の知人に尋ねると、彼らはカナダのクラブチーム「ラングレー・ユナイテッド」のU−14の選手たちで、福岡県春日市内のU−14のカテゴリーのチームと親善試合をしているのだという。親善試合の最終日の私の予定表は真っ白。さっそく尋ねてみることにした。

 翌16日、もうすぐ春だというのに吐く息が白い。深夜から降り出した雨は雨脚を鈍らせることなく降り続き、きれいに駆り揃えられた白水大池公園多目的広場の芝生はかなり重たそうだ。しかし、あいにくの天気にも拘わらず、多目的広場に隣接されている管理棟は元気な声で一杯だ。初めて対戦する外国の選手たちはどんなサッカーをするのだろう。そんな好奇心に溢れているのが手に取るように分る。それはカナダの選手たちにも同様だ。

「春日市・カナダ友好杯U−14国際サッカー大会」と名づけられたこの大会は、春日市に活動の拠点を置く春日イーグルスFCがラングレー・ユナイテッドを招待して実現したもの。同クラブは1992年にカーリック氏(旧ユーゴスラビア)を招いてサッカースクールを開催して以降、積極的に海外のチームとのサッカー交流を行っているが、この大会も、その一環として行われた。異なるサッカー、異なる文化、異なる言葉。子供たちにとっては貴重な経験の場だ。

 大会に参加したのはラングレー・ユナイテッド、春日イーグルスFC、春日中、春日西中の4チーム。30分ハーフの1回戦総当りのリーグ戦で優勝を争う。また、リーグ戦とは別に春日東中とラングレー・ユナイテッドの間で交流試合も行われた。最終日の対戦カードは春日西中vs.ラングレー・ユナイテッドと春日イーグルスvs.春日西中の2試合。ここまで2戦全勝のラングレー・ユナイテッドに土をつけようと、春日西中の気合は十分だ。



 春日西中とラングレー・ユナイテッドの試合は、開始1分、春日西中の先制点で幕を開けた。しかし、試合はラングレー・ユナイテッドのペースで進む。そして17分、ラングレー・ユナイテッドが同点に追いつくと、27分には中央をドリブルで破って逆転に成功。さらに後半に入るとペナルティエリア内のルーズボールを押し込んで3−1。守っては、反撃を試みる春日西中に追加点を許さなかった。雨にぬれた重い芝生は春日西中には大きなハンデになったようだ。

 残念ながら完敗に終わった春日西中。しかし、中心選手としてチームを引っ張った森下俊則君(14歳)は目を輝かす。試合中はトップ下でゲームを作り、一回り大きな相手をショルダータックルで転がした。「勝ちたかったけど楽しかったです。日本とカナダのサッカーのスタイルの違いに触れ合えたし。相手は芝に慣れていて、ボール回しが早かったです。(細かいテクニックは)同じぐらいだと思います。またやりたいです」。

 さて、勝敗はともかく、日本の中学生との違いはどんな点にあったのだろうか。春日イーグルスFCの指導員である杉山活明氏に尋ねてみた。「縦パスが早いタイミングで入ること。日本人よりも縦パスの意識が強かった。日本では縦パスというと、DFラインの裏側にめがけて蹴ってしまうが、そうではなくて、2トップに当てるということをすごく意識していた」。また、ラングレー・ユナイテッドが芝生のプレーに慣れていたことも上げてくれた。

 杉山氏が最も力説していたのがチーム全体のバランス感覚だった。テクニックの面では日本の中学生が上だったが、全体的な面では大きな差があったと言う。「11対11のゲーム感覚、ゲームの流れとかの感じ方は向こうのほうが上。試合中に個人、個人がやらなければならないこと、ピッチを広く見ることは学ぶところが多い。日本のほうが回りくどいというか、危険なところへボールを運ぼうとする意識が少ない」。年代、レベルに関係なく、これは日本人の特色なのだろうか。



 日本の子供たちにとっても、カナダの子供たちにとっても、初めて経験する海外のチームとの対戦。それは貴重な体験として子供たちの心に刻まれたことだろう。サッカーの技術や戦術等、若いうちに積んだ経験は彼らのサッカー人生に大きな影響を与えることは間違いない。しかし、そうしたサッカーに限ったことだけではなく、サッカーを通して海外の文化や習慣に触れることが出来たことにこそ、この大会の本当の意義がある。

 春日イーグルスFCの白水卓之(しろず たくゆき)理事長は語る。「いま、国際化、国際化と言われているけれど、実際問題として学校教育の中では中々実践できない。だったらスポーツを通してやるのが一番手っ取り早いんじゃないか、サッカーを通して機会を作ってやりたいなと。そして、いろんな人たちの協力があって、こういう形で実現できた」。大会期間中は、ラングレー・ユナイテッドのスタッフも、選手もホームステイをして、日本食を食べて過ごした。

「(互いの生活に触れることが出来たこと)それが子供たちにとって一番大事なことじゃないかと思う。言葉が通じなくても気持ちは通じるものですから。形式ばってやれば構えてしまうので、サッカーを通じてふれあう中で、異文化というか、生活習慣が出てくれれば、お互いの文化が伝えられる。食生活なんか特にですよ」。食生活といえば、カナダの子供たちは白米が苦手だそうだ。何か味付けをしないと物足りないのだとか。

 春日イーグルスFCが最初に海外のチームと試合をしたのは1993年3月。社会人チームがヨーロッパ(イタリア・ドイツ)を回った。そのときのカルチャーショックは、相当なものだったようだが、その後、海外遠征や日本に海外のチームを招いて交流を続けている。昨年の7月にはU−16グアム代表を招いた。こうした触れ合いを重ねることで、メールを交換して交流を続ける子供たちもいるという。それは保護者にも広がっている。「いろんな形でね、大人も子供も交流が始まっています」。白水理事長はそう語った。


 ラングレー・ユナイテッドのパット・ローラ監督も同様に国際交流の意義を語る。「国際大会に参加できたことは貴重な経験。子供たちにとっては初めての経験だったので、みんな興奮して、とても楽しんでプレーしていた。しかし、大会に参加したという経験は、サッカーの違いを知ったこと以上に、海外の文化や人々を知ることで、違った文化を学ぶことが出来たという点で意義が大きいと考えている。(ホームステイをして一緒に生活したことが)おそらく、サッカーよりも大切なことだと思う」



 3月19日、ラングレー・ユナイテッドの子供たちは、日本の子供たちと交換した記念品と、初めて触れた日本文化をお土産にして、10日あまりの日程を終えてはカナダへ帰っていった。取材陣がいるわけでもない。観客が来ているわけでもない。小さな町の小さな大会だったが、子供たちや、大会関係者の得た経験は何物にも代えがたいものだったに違いない。ワールドカップでも経験したことだが、スポーツはいとも簡単に互いを近づけてくれる。これをきっかけに、子供たちは交流はこれからも続くだろう。

 言葉は通じなくても、文化や風習が違っても、信じる宗教が違っても、スポーツは、そんな垣根を簡単に取り去ってくれる。ともに触れ合うことで、相手を理解することで、互いを尊重しあうことが出来る。そしてそれは、自分たちの文化をも理解することにも繋がっていく。外国に対してコンプレックスに似たものを持っている中年世代の私は、子供たちが生き生きとプレーしている姿を、試合後に片言の言葉を交わしながら交流会を開いている姿を見て少々うらやましくなった。

 最後に、当コラムとは直接関係ないが一言付け加えておきたい。カナダのチームが初めて春日イーグルスFCの招待で日本を訪れたのは2000年3月。この時は女子のチームだったのだが、これをきっかけに福岡の女子チームがカナダへの遠征を計画したが、同時多発テロのために中止になったこと。そして今年、3月下旬に予定されていたシンガポール遠征がイラク情勢のために中止になったことを取材の中で聞いた。なんとも言えない気分だった。世界に1日でも早く平和が訪れることを祈りたい。



※このレポートは「fantasista online magazine 2002CLUB」に掲載されたものです。
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