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 福岡通信 03/10/10 (金) <前へ次へindexへ>

 鳥栖市のために何が出来るか


 文/中倉一志
 十人十色と言われるように、おおよそ人や企業の性格というのは千差万別。絶対的な存在などというものはありえない。人間に性格があるように企業にも社風やコンセプトがあり、それは同業種であっても決して同一ではない。企業として追い求めているものや、その規模、取り巻く市場環境によって、その態様は大きく変わってくる。何が正しくて、何が悪いなどとも一概には言えるはずもなく、それぞれが特色を持って活動している。

 それはスポーツにおいても一緒だ。サッカーにたとえれば理解しやすいだろうが、たとえば、堅守速攻を売り物にするチームがある。パスをつないで鮮やかに相手を崩すチームもある。前から激しくプレスをかけるチームもあれば、大きく引いておいて、ロングボール一発というチームだってある。相手より1点だけ多く取ればいいという考えも、取れるときには取れるだけ取るという考えもある。好みの差こそあれ、どれも正しい方法なのだ。

 しかし、その根底には基本というものがある。サッカーは団体競技だという基本。ボールを足で蹴るという基本。卑怯なことはしてはいけないという基本。ルールとは最低限の決まりごとを定めた基本だという見方もできるだろう。こうした基本が出来上がっている、あるいは守られているという前提のもとで、自分たちの置かれた環境や、持っている特長を生かしてチームの特色を作り出すことになる。これは企業経営においても変わらない。

 その基本がおろそかにされていたら一体どうなってしまうのだろう。当たり前のことができないのだから、企業活動はすぐに頓挫する。しかも、それを立て直そうにも基本ができていないため、とりあえず行き当たりばったりの対応策しか取れない。ところが、そんな対応策では当面はしのげても、すぐに新たな問題が起こる。結局これを繰り返し、やがてはにっちもさっちも行かなくなる。そして何のために活動しているのか分からなくなる。



 いま、サガン鳥栖が大きく揺れている。シーズン途中に経営に関するゴタゴタ劇が表面化し、その解決を見ずにシーズンを終え、表面だけを取り繕った形で新しいシーズンを迎える。過去、サガン鳥栖は毎年のように同じことを繰り返してきた。いつものことと言ってしまえばそれまでだが、未解決のままにしてきた経営課題は手がつけられないほどに膨らみ、それに様々な事情が重なったことで、これまでにない大きな岐路に立たされている。

 ご存知の通り、サガン鳥栖は97年2月、サポーターによって集められた5万人の署名によって設立されたクラブ。同年に解散を余儀なくされた鳥栖フューチャーズの後を継ぐクラブとして活動を開始した。鳥栖にともったサッカー文化の灯を消すなという、地元住民の熱い思いに支えられて、その一歩を踏み出した。クラブハウスも、練習場も、ユニフォームもないクラブ。しかし、サッカークラブを支えようという熱い思いがあった。

 住民の熱意で立ち上がったサガン鳥栖。何もないどころか、鳥栖フューチャーズ解散という負の遺産を引き継ぐ中、チーム設立に向けての苦労は口で言い表すことなどできはしない。ようやく立ち上げたクラブに問題が山積みになっていても、それを批判することなど誰にもできない。まずはクラブがあること。当時は、それが何よりも優先されるべきことであった。そして、それをやり遂げた関係者の努力には、いくら敬意を表しても足りることはない。

 確かに、必死になって作り上げた組織は、社長以外に常勤役員がいないという実体のない経営陣と、クラブの発展を目指すのではなく「絶対につぶさないこと」を経営理念にする不思議な組織だった。将来にわたって健全経営が見込まれるような組織ではなかった。しかし、多少の無理や矛盾は承知の上。それこそ走りながら考えればいい。そして何より情熱があった。その情熱さえあれば、経営はやがてプロ化するはずだった。



 しかし、常勤役員がいないことと、発展ではなく存続だけを目標にしたことが、後のサガン鳥栖の発展を妨げることになる。繰り返しになるが、設立時点ではやむを得ないことだった。ただ、いつまでも、そこから脱却できなかったことに問題があった。報酬などほとんどないボランティア状態の役員。しかも非常勤では会社の運営を深く理解することは不可能だ。しかし、それなりの責任はある。このような矛盾した状況の中で、まともな組織が育つはずもなかった。

 また、企業というものは生産活動を行い、地域住民や従業員に有形無形の財産を与えることで生きつづけるもの。どんな形であろうと生産することこそが企業なのだ。ところが、存続することだけを目的とするということは、生産を否定するのと同じこと。企業でありながら生産を否定するという矛盾を抱えた組織が健全に運営できるはずもない。資金繰りが上手くいかないのは、支援企業や、スポンサードする企業が少ないからではなく、自らの持つ矛盾性が引き起こしたものだ。

 慢性的な資金不足と、健全といえない組織は更なる悪循環を生んでいく。企業の命は人と言われるが、プロサッカーチームにとって命に等しい選手たちに十分な給料が払えないばかりか、練習環境を整えることが出来ない。人が育たなければ企業運営に支障が生じる。しかし、それをタイムリーに解決していく組織がない。一度出来たほころびは、繕うことが出来ないままに大きくなっていく。不信感と不信感。企業から一体感がなくなっていく。

 こうした状況はサポーターまでをも巻き込んでいく。行き詰るクラブ運営を支えるべく、サポーターは、それこそ手弁当でクラブを支えた。時にはクラブがやらなければならないことさえもだ。そうしなければならない事情をクラブ側が抱えていた。しかし、それはサポーターとクラブの境を混沌とさせた。地域密着とはクラブの仕事をサポーターにさせることではない。決して健全な関係ではなかった。やがてサポーターとクラブの間にねじれた関係が出来上がる。被害者は善意のサポーターだった。



 クラブの経営目的を「存続させること」から「拡大させること」への転換。これがサガン鳥栖を立て直す大きなキーワードだ。「これしかできない」ではなく、「あるべき姿」を追い求めることだ。「あるべき姿」を正確に認識することで現実とのギャップがより鮮明になる。そのギャップをどうやって埋めるかを検討し実行に移す。それが企業経営だ。資金が足りないと嘆く前に、どうすれば資金が集まるのか、その方法を考えるべきだ。姑息な手段ではなく、堂々とした手段でだ。

 企業とは、活動を通して地域の住民や従業員に有形無形の財産を与える。その対価として人は企業に資金を提供する。まずは自らが地域住民に何かを与えることから始めなければならない。スポーツの素晴らしさを伝えること。スポーツを通してコミュニティを形成すること。Jリーグが目指すものだ。スタジアムに通ってくる人たちの数は、鳥栖市の人口の1割にも満たない。残りの9割の人たちにどうやってスポーツの良さを知ってもらうかが鍵を握る。

 サッカー教室だっていい。町の行事に積極的に参加してアピールしたっていい。試合の告知も、クラブ主体でもっと積極的に行う必要もある。人が来ないと嘆く前に、自らが出かけていくことだ。また、線路の向こう側に集まってくる数千人の観客を、線路の手前の商店街に導入することも考える必要がある。サガン鳥栖があることで具体的に町が変わること。それを見せられなければ、サガン鳥栖はいつまでたってもお荷物扱いされるだけだ。

 企業として当たり前のことをやること。そしてJリーグの理念を着実に実行に移すこと。地方の一クラブが運営を続けていくには、それしか方法はない。いままでと同じ感覚で事に当たれば、結果は同じことの繰り返しになるだけだ。地域密着とは、住民に助けてもらうことではない。自らが地域の発展のために何をなすべきかを考えて、それを実行に移すことが地域密着につながる。個人の事情や、しがらみではなく、鳥栖市のために何が出来るのか。それがサガン鳥栖の考えなければならないことだ。
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