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 福岡通信 03/12/13 (土) <前へ次へindexへ>

 さあ、天皇杯。


 文/中倉一志
 今年も天皇杯の季節がやってきた。Jリーグ、JFL、大学、ユースのシードチームに、各都道府県代表を加えた80チームが元旦の国立を目指す。スタンドにはJリーグとは違って、「やるか、やられるか」という殺気立った緊張感はなく、どこかのんびりと、ゆったりした空気が流れている。オールドファンの中には、この雰囲気をこよなく愛する人も多い。まだJリーグができる前の落ち着いた雰囲気を思い出させてくれるからなのかもしれない。

「日本最大・最古の大会」である天皇杯が、実は勘違いから生まれたということは、既にご承知の方も多いだろう。日本で最初の大会が開かれたのが1917年のこと。翌1918年には、第1回日本フートボール大会、関東蹴球大会、東海蹴球大会がそれぞれ開催された。ところが、これを全日本選手権の予選と勘違いした外国人記者が「日本にも国内サッカーを統括する団体ができ、その全日本選手権大会の地方予選が3ヵ所で同時に行われた」と打電し、これがロンドンに届いたのだった。

 これだけなら単なる誤報で済んだのだろうが、事態は意外な展開を見せた。翌1919年3月12日、東京朝日新聞紙上に突如として、イングランド・フットボール協会(FA)から、日本の蹴球協会へ純銀製の立派なカップを寄贈してきたという記事が掲載されたのだ。おまけに「日本の蹴球協会設立を祝して銀杯を寄贈するので、全日本選手権大会優勝チームに授与して欲しい」というFAからの書簡まで届いているとも報じられていた。

 これには日本サッカー関係者は驚いた。何しろ当時の日本には、全日本選手権はおろか、サッカー協会すらも存在していなかったからだ。しかし、世界のFAからの寄贈ということでは無視するわけにもいかない。かくして、1921年9月10日に日本サッカー協会が設立され、同年11月26日、27日の日程で記念すべき第1回全国優勝競技会(全日本選手権大会)が開催されることになった。ちなみに第1回大会の優勝チームは東京蹴球団だった。



 第1回大会は東京日比谷公園の芝生運動場に、長さ105メートル、幅69メートルのフィールドを作って行われた。ゴールポストには紅白の布が巻きつけられたいたが、これはポストの錆びを隠すためのもの。また、このゴールは池袋にあった豊島師範で保管されていたもので、大会にあたって関係者が池袋からリヤカーで運んだものだった。夕方にわけのわからない大きなものを運ぶ姿が不審がられ、警察から職務質問を受けたというエピソードも残っている。

 この全日本選手権が天皇杯の名前で親しまれるようになったのは第31回大会から。それまで東西対抗の勝利チームに与えられていた天皇杯が全日本選手権の優勝チームに与えられるようになってからのことだ。その後、天皇杯は様々な変遷を重ね、現在は、第2種以上の登録チームなら誰でもが参加することのできる日本で最大のトーナメントに成長した。目標は日本のFA杯。83年の時を刻み、天皇杯はサッカーの原点を追い続ける。

 その一方で、盛り上がりという点でいえば、いささか物足りない。特にJ1が出場する3回戦より以前は、アマチュア同士、あるいはJ2とアマチュアという組み合わせということもあって、数百人しか観客が集まらないことも珍しくない。Jリーグの開幕以降、日本にはそれまでは無かったサポーターという概念が生まれ、スポーツの地域密着が当たり前のように口にされるようになったが、こうした現状を見るとまだまだだなと思い知らされる。

 確かにJ1同士の戦いのような高い技術は無く、スピードも戦術も劣っている。しかし、サッカーに限らず、スポーツの面白さは技術や戦術の高さだけに依存するのではない。最も大事な要素は、勝利を目指して持てる力の全てを発揮するということだ。特にサッカーにおいては、個人の技量ではなく全員が協力し合いながらゴールを目指し、相手の攻撃を防ぐところに本当の面白さがあるのであって、そういう観点から見れば、1、2回戦もJリーグと同じく面白い。



 例えば、博多の森で行われた2回戦のアビスパ福岡vs.マルヤス工業の試合。結果は3−0。マルヤス工業はシュートは2本しか打てず、当たり前のように福岡が勝利を手にしたが、試合は面白かった。冷静に振り返れば、マルヤス工業に勝ち目はほとんど無かった。しかし、プロを相手に自分たちの全てをぶつけ、最後まで食い下がったマルヤス工業の気迫が見ている者を引き込んだ。そして福岡も、激しい抵抗に戸惑いながらも、自分たちの力を隠すことなく発揮。正面からぶつかり合う好ゲームだった。

 熊本の水前寺陸上競技場で見た1回戦の試合も面白かった。対戦カードは熊本アルエットvs.TDK。かつてはJFLに参戦していたアルエットと、今年の全国地域リーグ決勝大会へ駒を進めたTDK。しかし、サッカーフリークなら聞いたこともあるだろうが、そうでない人にとってみれば無名のチーム同士の戦いだ。福岡に住む私は、同じ九州での試合だという理由だけで足を運んだのだが、行ってみて正解だった。十分楽しめた試合だった。

 前半はTDKがアルエットに何もさせなかったのだが、システムを変え、戦い方を変えたアルエットが後半の主導権を握り返すと、それに対抗してTDKはカウンター狙いから追加点を挙げた。勝利を目指す互いの駆け引きは見応え十分。そして何より、勝利を目指して最後までボールを追う真摯な姿が印象的だった。Jリーグ終盤戦で互いにモチベーションを見つけられない消化試合のような試合より、数段サッカーの面白みが感じられた。

 また、スタンドの雰囲気も最高だった。足を運んだ観客は536人。Jリーグと比較すれば考えられないほど少ない。Jリーグのような大声での声援も無い。しかし、誰もがアルエットを心の底から支えようとする気持ちで溢れていた。間違いなく地域の人たちとともに活動するアルエットの姿があった。地域密着といえばJリーグの専売特許のように言われているが、九州リーグの小さなクラブでも、それは実現可能なのだ。



 Jリーグと比較してレベルが下がると言うなかれ。サッカーの面白さと、勝利を目指す必死な気持ち、そして、それを支える観客の暖かい気持ちは、どこの会場にも溢れている。それに、14日からはいよいよJ1が登場してくる3回戦が始まる、天皇杯はますます面白くなっていく。まだ天皇杯の行われているスタジアムを覗いていない方は、是非、スタジアムに足を運んでみて欲しい。Jリーグのスタジアムで感じるものとは別の面白さを感じることが出来るはずだ。

 そんな天皇杯にも、ひとつだけ注文がある。次から出場してくるJ1のチームにだ。激しいリーグ戦が終了したばかりでモチベーションの持って行き所が難しいのは良く分かる。契約更改時期と重なって、集中してプレーできないというのも理解できなくはない。また、退陣が決まっている監督も指揮を取るのは難しい面があるだろう。しかし、それでも敢えて言いたい。最高のモチベーションと最高の準備をして試合を戦えと。それがプロだ。

 そんなことは世間ではよくあることだ。サラリーマンを例に取れば、彼らには転勤というものがある。スムーズに仕事が進むように1ヶ月ほど前には内示があるのが通例だ。しかし、彼らは、この1ヶ月間を現在の職場の戦力として手を抜くことなく仕事をこなし、そして異動の日を境に新しい職場の即戦力として力を発揮する。サッカーだけが難しいとは言わせない。環境に左右されるのはアマ。どんなときでもベストを尽くすのがプロだ。

 気になるのは、天皇杯が難しい大会であると公言する監督や選手が増えたこと。しかし、それは言い訳だ。優勝を飾るチームは移籍が決まっている選手も、退陣する監督も、そして、まだ契約が決まらない選手も、誰もがベストパフォーマンスを発揮している。要は自分の気持ちの持ち方次第。トップチームのモチベーションが上がらなければ、大会自体が盛り上がらないことも自覚して欲しい。さて、3回戦は好カードが目白押し。面白い試合が見られることを信じてスタジアムに足を運ぼう。
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