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 福岡通信 04/02/01 (日) <前へ次へindexへ>

 第25回全日本女子サッカー選手権大会を終えて


 文/中倉一志
「サッカーを生活の中にしっかりと位置付けることが大切」

 第25回全日本女子サッカー選手権の取材中に何度か耳にした言葉だ。そう言えば、4年ほど前に日本文理大学(大分)へ取材でお邪魔した際にも、サッカー部の指導にあたっている郡弘文部長からも同じ言葉を聞いたことを思い出した。「自分の生活の中のサッカーというものを各人が考えていかないと、ただ夕方来てサッカーをするというだけでは駄目だよということをミーティングで徹底している」。練習を見学していた私に郡部長は語りかけてくれた。

 たまの休日に仲間と一緒にボールを蹴って汗を流し、ビールで喉の渇きを潤しながらサッカー談義に花を咲かせる。そういうレベルでサッカーを楽しむのであれば、それほど難しく考えることはないだろう。サッカーを楽しむために、仕事のスケジュール調整や、グラウンドの確保等、それなりの手間は必要だが、それも楽しみのひとつ。もっとも、家族の理解という最大の難関が待ち受けてはいるが・・・。

 ところが、サッカーに限らず、ある種目で頂点を目指すとなると事情は大きく変わる。技術の向上のためには絶え間ないトレーニングが欠かせないし、体調管理、心身両面にわたるコンディションの維持等、グラウンド以外の場所でも取り組まなければならないことは多い。当然、食生活にも気を配らなければならず、練習後にビールを飲むなどもってのほか。サッカー談義に花が咲いて、ついつい午前様などということが許されるはずもない。

 その一方で、選手たちにはサッカーとは別に仕事がある。勤務先からすれば、選手が日本のトッププレーヤーだとか、代表選手であるだとかは関係のないこと。求められるのは担当している職務について一定水準以上の結果を出すことだ。もちろん、労働の対価として報酬を受け取っているからにはプロ。選手たちは、その道のプロとして責任と自覚を持って仕事に取り組まなければならない。サッカーを口実に使うことは許されていない。



 全日本女子サッカー選手権に出場した多くの選手たちは、言ってみれば「二足の草鞋」を履いているようなものだ。企業がバックアップしている田崎やYKKは多少は恵まれているとはいえ、根本的なところでは同じ。会社員としての顔とサッカープレーヤーという顔。どちらにも責任と自覚、そして結果が求められる。肉体的な厳しさはもちろんだが、限られた時間を二つの顔で過ごす精神的な重圧は大きい。「自分にとってサッカーとは何か」。これを明確に出来なければやり通せることではない。

 さて、そんな彼女たちが戦った第25回全日本女子サッカー選手権大会を1回戦から追いかけた。全日本選手権を取材するのは今年で5年目だが、過去の大会と比べて大きくレベルアップしているなというのが率直な感想だ。以前なら、早いラウンドでの試合はキックの際に正確にボールを捉えられていなかったり、トラップ等の足元の技術に不安定さを感じさせる選手がいたものだが、今大会に限っては、そうしたシーンにお目にかかることはほとんどなくなっている。

 また、選手たちの瞬発力が上がっているのも今大会の収穫のひとつといっていいだろう。女子サッカーが迫力が無いなどというのは昔の話。スペースへ飛び出したり、あるいは2列目からFWを飛び越して裏へ出る動き等が増え、ゴール前での迫力あるプレーが格段と増えた。またロングキックの精度が上がったことで、女子サッカーの特徴である「つなぐサッカー」にリズムの変化が加わるようになり、試合の幅は格段と広くなったと言える。

 こうした傾向は、大学・高校チームのレベルアップと無縁ではない。10の地域代表のうち、大学・高校チームが代表となったのは7地域。昨年の2地域から大幅に増加し、地域代表の大半を占めるまでになった。プレー環境の整わない女子サッカー界だが、比較的環境が整っているのが学校の部活動。クラブチームに比較して練習量も十分に確保できる。そういう意味では、大学・高校チームの強化は全体のレベルアップに直結していると言える。



 その反面、来年度からL1でプレーするチームとそれ以外のチーム、そして田崎、日テレの2強と他のL1のチームとのチーム間格差は依然として存在している。それには様々な要因があるのだが、最も大きな原因は、それぞれのクラブの練習環境や運営方法に大きな差があるということだろう。ジュニア年代からの一貫指導で選手を育てるベレーザや、企業がバックアップしている田崎が2強として君臨するのは、ある意味では当然のこと。田崎ほどではないにしろ、YKKが東日本リーグで1位になったのも企業のバックアップを抜きには語れない。

 残念ながら、L・リーグ所属のチームでさえ、十分な練習環境としっかりとした運営組織を持っているチームは数えるほど。運営のすべてをボランティアに支えられているチームがほとんどで、グラウンドで練習できるのは週に2回しかないというチームもある。また、中学校年代の選手がプレーできる場所が極めて限られているため、多くのちびっこプレーヤーたちがサッカーから離れてしまうという構造的な問題もある。結果として選手層は厚くならず、特定チームに有望選手が集まってしまうことも要因のひとつだ。

 しかし、明るい兆しも見えている。JFAの公式HPによれば、女子の登録選手数は1995年の23,448人を最高に、その後、減少傾向が続いていたが、わずかとはいえ2002年度には増加傾向が見える。それを裏付けるように、今年の全日本選手権に予選に参加したのは403チーム、7597人。昨年の384チーム、7332人と比較して確実に増加した。女子サッカーの環境は厳しいという現状には大きな変化はないが、現場レベルでの小さな積み重ねが、少しずつ形になって現れているのだろう。

 また、ボランティアを中心に運営を続けながらも、行政と地域の協力を得ながら着実にステップアップしている「さいたまレイナス」や、「岡山湯郷BELLE」のように、官民一体となった町おこしプロジェクトとして新しいクラブ運営の方法を模索しつづけるチームもある。そして、前述したように高校・大学チームのレベルアップは全体の底上げに大きな影響を与えるばかりではなく、その受け皿となるクラブチームの実力向上にも一役買うはずだ。



 こうした変化は、サッカーに対する情熱と、女子サッカーを普及させるという指導者や選手たちの使命感によるところが大きいのだが、「キャプテンズ・ミッション」として女子サッカーの活性化を掲げるJFAの支援策の影響も忘れてはならない。L・リーグへの補助金の実施、女子ジュニアチームを創設するクラブに対する資金援助、さらには各メディアへの働きかけ等、有形無形の支援は女子サッカーの環境を整える力になっている。

 女子サッカーのレベルアップと協会の支援。そうした影響からか、全日本選手権に対するメディアの対応にも大きな変化が見られた。さすがに準々決勝の舞台までは、昨年と同様、取材陣の姿を見つけることはほとんど出来なかったが、準決勝以降は明らかに取り組み方が変わっていた。決勝戦ではTVカメラ4、5台のほかに、ミックスゾーンでは選手たちを囲む取材陣の輪が3つもできる場面も。5、6人で対応していた昨年の決勝戦とは雲泥の差だ。

 1960年代に兵庫県神戸市福住小学校の「福住女子サッカースポーツ少年団」が創設されて始まった日本の女子サッカー。約40年の歴史を重ねてきたが、それは一部の指導者や選手たちの情熱だけで支えられてきた。そういう意味では、本腰を入れた普及と強化の歴史は今始まったばかりだ。指導者も、場所も、選手数も圧倒的に足りない女子サッカー。そんな環境を変えていくには、現場の人間だけではなく、我々メディアを含めたサッカー関係者の努力が欠かせない。

 全日本女子サッカー選手権の決勝戦終了後、ミックスゾーンで選手や監督がロッカールームから出てくるのを待つ我々の前を、日本代表の選手や、監督たちが大きな荷物を両手で抱えて通り過ぎていく。「いますぐ戻ってきますから」。そう言いながら、何度も何度もロッカールームとバスを往復する。伊賀FCは準決勝当日にバスで西が丘に入り、試合終了後、そのままバスで上野市に帰っていった。おそらく、女子サッカーに限らず、多くのアマチュアスポーツも同じような状況なのだろう。しかし、同じサッカーに関わる人間として、彼女たちに少しでもいい環境でサッカーをプレーして欲しいと正直に思う。わずかな力にしかなれないかもしれないが、これからも女子サッカーを応援していきたい。そう強く感じた2週間だった。
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