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 福岡通信 04/02/07 (土) <前へ次へindexへ>

 「最初のチーム」の誇りを胸に


 文/中倉一志
 毎週木曜日、夕闇が訪れ、四基の照明塔がぼんやりとグラウンドを照らし始める頃、三々五々、トレーニングウェアで身を包んだ女性たちが福岡県中央区にある大名小学校に集まってくる。南国九州とはいえ、日本海に面する福岡の冬は寒い。凍える手をこすりながらスパイクの紐を結び、軽くストレッチをすると、足元を確かめるようにランニングで身体を温める。福岡ファーストレディ・イレブン(以下、F.F.L.11)。福岡で最も長い歴史を誇る女子サッカークラブの選手たちの姿だ。

 クラブの設立は1979年、いまから25年前に遡る。きっかけは福岡市内で開かれたサッカー教室。当時としては大勢の女子が集まり、それならばチームを作ろうということでクラブ員を募集した。1979年といえば日本女子サッカー連盟が設立された年。初年度には全国で52チーム、919人の女子選手が協会登録を行ったが、もちろん福岡市内では最初の登録チームとなった。ファーストレディ・イレブンという名は、その誇りを表している。

 クラブ員は中学生から社会人まで。様々な年代の選手たちが集まっている。最盛期には30名を超えるメンバーがいたが、現在は20名程。毎週火曜日と木曜日に小学校のグラウンドを借りてナイター練習を行っている。活動の中心は九州女子サッカーリーグ。第1回大会では優勝を果たし、昨シーズンは8チーム中3位の成績を収めた。「チームの基本は『自分で考え、自分で行動する』こと」(一木達哉監督)。各自が自覚を持って練習に取り組んでいる。

 仕事を持ちながら、あるいは学校に通いながらサッカーを続けることは口で言うほど簡単ではない。取材にお伺いした日も選手は8名しか集まっていなかった。それでも、誰もが明るい笑顔でひとつのボールを追う。その姿は本当に楽しそうだ。「週に2回。しかもナイターで2時間しか出来ない。メンバーも仕事の都合がつかずに今日は8人。そんな中でよくやっていると思います。みんなサッカーが好きなんですよ」。一木監督は目を細める。



「サッカーを始めたのは小学校4年生のとき。少年のクラブでプレーしていたんですけれど、女子だけのチーム(中学生以上)があるから中学生になったら来ないかって誘われて入りました」。チーム最年長の馬渡里絵さんはクラブに入った理由を、そう話してくれた。サッカーを始めた頃のポジションはFW。経験を重ねるにつれてポジションを下げ、現在は不動のGKとしてF.F.L.11のゴールマウスを守る。巧みな足技はFW出身ならでは。GKとしても福岡県の国体選抜候補に選ばれる実力の持ち主だ。

 試合になると、最後尾から良く通る声で指示を送る姿はすっかりお馴染み。この日の練習でも、人一倍大きな声を出しながらボールを追っていた。そんな彼女に「クラブチームのよさは?」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「学校のクラブだと学校が終わったらそれでおしまいだけれど、社会人のクラブだと年代の上の先輩とサッカー以外の話もできる。そうすることで社会性を身につけたり、社会に出たときの行動とかを教えてもらいました。そういう意味で、とても感謝しています」

「サッカーをやりたくて自分でチームを捜していたら、このチームを紹介されたので」とは三保奈麻美さん。馬渡さんと同い年の彼女は、試合では10番を背負ってボランチを務める。中盤での守備に、そして攻撃の起点となる球出しにと、攻守にわたるチームの大黒柱だ。しっかりした守りからカウンターを仕掛けるチームスタイルに彼女の存在は欠かせない。高校まではサッカーとは縁がなかった。きっかけは「カズがカッコ良かったから」。93キリンカップのハンガリー戦(博多の森球)ではカズのプレーに魅せられた。

「サッカーをしていたいから、サッカーを中心にして仕事を選んでいます」という三保さんは根っからのサッカー好き。「いまは福岡県や九州で、U−15とか、U−18とかの大会があるから恵まれています。私の時にもあれば、もっとサッカーができたのに」。そう話す三保さんの表情からは、とにかくサッカーをしていたいという気持ちが伝わってくる。「サッカーをしていることで、普通なら絶対に知り合うことができなかった人たちと知り合えることができる。可能な限り、サッカーを続けたいです」。まだまだサッカー人生は続く。



 チームを率いるのは一木達哉監督(44歳)。仕事の都合で、一時チームを離れた時期もあったが、26歳の時から現在までチームの指導に当たっている。当時は社会人チームでプレーする現役選手。しかし、試合に出る以外に自分が練習する場所がなかったため、F.F.L.11の指導を手伝って欲しいとの依頼を引き受けた。「自分が身体を動かすために引き受けたんです。けれど、そのままずっとやってます(笑)」。いまでは女子サッカー指導者としてどっぷり漬かっている。

 一木監督のモットーは「自分たちで考えて自分たちで行動すること」。取材中も、何度も同じ言葉を繰り返していた。「学校のクラブとは違って様々な年代がいて、学校の3年間の上下関係とは違うクラブ。勝つことも大切だけれど、楽しんで、好きで続けることが最も大切。型にはめずに、自分たちで考えて、試合中も自分たちで考えあいながらやらせています。そのために、ミーティングも自分たちでやらせています」

 そしてチームの理想を次のように語ってくれた。「いろんな年代、いろんな人たちと接することで、下の子は上の選手を見てあんなふうになりたいと思ってくれて、上の子は下の子を教えるということを覚えていってくれる、そういうチームにしたいですね。好きでサッカーをして、楽しみながらプレーして、それでいてチームの目標を達成するための努力を怠らない。そんなチームです」

 そんな監督の思いが伝わっているのだろう。馬渡さんも同じことを口にする。「違う年代の子と一緒に、同じ時間を、ひとつのボールを追いかけていられる。足りないところはみんなで補っていける。それで勝てばうれしいし、負ければみんなでまた頑張ろうっていう気持ちに慣れることが、ちょっと癖になって・・・。じゃあ次は勝とうとか、勝ったら勝ったで、次はもっと点を取ろうとか。どんどん目指すものがあるから、そこが病みつきになって(笑)」。恵まれないと言われる環境の中で、彼女たちが明るくボールを追う理由が分かったような気がした。



 そういえば、三保さんとダブルボランチを組む阿比留さんは中学生。年齢的には一回り違うことになる。ポジションがら、互いのコンビネーションが最も求められれている。「世代の違う子達とプレーするのはどうですか?」。そう質問を投げかけると、「一回り下が入ってきたときはショックだった(笑)。平成生まれとか」と苦笑い。「でも、走り負けするけれど、そこは頭で勝つ(笑)」。すかさず、馬渡さんがフォローを入れた。

 しかし、試合中のプレーを見る限り、年代の違う選手たちの間に遠慮はない。経験や技術が不足している下の年代の選手たちは、自分の持てる力をフルに発揮することに全力をあげ、上の年代の選手たちも、必要以上にナーバスにならず、それでいて確実にフォローして、いいところを引っ張り出すことを忘れない。取材にお邪魔した日も中学生の選手が参加していたが、必要以上に気を使わず、しかし、さりげなく気を配るチームのムードが印象的だった。

「ずっと続けて欲しいんですよ。そして結婚して子供ができたら、『お母さんはサッカーしてたのよ』ということで、子供にもサッカーをしてもらって。そうやって、本人も子供もずっと続けて欲しい。怪我のためにサッカーから離れたり、受験のために休部している子もいるけれど、受け入れる準備はいつでもできています。それぞれの環境が整ったら、また一緒にサッカーをやりたい。とにかく、サッカーを好きでプレーして欲しいですね」(一木監督)

 福岡はまだ寒い日が続く。でも春の足音は確実に近づいている。そして春とともに、新しい選手や、怪我の回復を待っている選手、そして受験勉強のためにチームを離れている選手たちがチームに集まってくる。「自分で考え、自分で行動する」をモットーに、新たな目標に向かって走り出す日はもうすぐだ。福岡で一番最初に出来たチームという誇りを旨に頑張る選手たち。「頑張れ!そして、いつまでもサッカーを続けて欲しい」。そう心の中でつぶやいてグラウンドを後にした。


※福岡ファーストレディ・イレブンに関するお問い合わせは下記までお願いします。
一木達哉  TEL:092-807-0730 FAX:092-452-5013(勤)  〒819-0375 福岡市西区徳永514-51
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