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 札幌からのメール 05/01/12 (水) <前へ次へindexへ>

 respect


 文/笹田啓子
 かなり昔。まだJリーグに入れ替え戦の制度がなかった頃。
 サッカー雑誌に載っていた写真。確かブンデスリーガだったと思うけど、自分たちのクラブが降格して泣いているサポーターの写真があった。その当時の私には、それがとても悲しいことなのだろうということは、当然見てわかるのだけど、本当の痛みも重さも辛さも、これまた当然わかるはずもなくて。

 札幌は今年、東芝が札幌に移転してきて「コンサドーレ札幌」と名乗るようになって10度目のシーズンを迎える。これまで9回のシーズンで優勝を2度(JFLとJ2)、降格も2度体験してきている。J2での連勝記録をまだ確か保持しているし、しかし去年はこれに加えてJ2連敗記録歴代3位+最下位というありがたくないレコードも増やした。J1でもJ2でも最下位になったのなんてウチぐらいだ。いや自慢できることじゃ全然ないけど。

 思えば札幌がデビューした頃、Jリーグ人気はそれまでのバブルがはじけて斜陽人気といわれはじめていた。その中で「JFLなのにJリーグよりも客が入っている」ということはその頃私達の自慢のタネだったし、それから先もたいした苦労もしないまま昇格をして、翌年すぐに降格したときはこれ以上ない地獄を味わっていると思ったものだったけれど、本当の辛酸はそのしばらくあとの年から訪れて。

 打つ手打つ手が当たらないこと。連敗。様々なトラブル。不振。不信。離れていく人達。永遠と思っていたものが永遠なんかじゃなかった。そんな栄枯盛衰諸行無常を眺めているうち、見た目なにもかもうまくいっていたような時代、自分達が勝ち組だと思い込んでいた時代には見えなかったものが、少しづつ見えてくるようになっていた。



 去年後半から、札幌で応援していた選手の移籍に伴って移籍先のチームの情報を仕入れているうち、その移籍先---セレッソのサポーターの方々と親交が出来た。他チームのサポーターの方との付き合いはこれまでそれなりにあったけれど、かといって積極的に交流を広めるというタイプでもなかったので、久しぶりに出来た新しい「サポ仲間」との対話は新鮮だった。その時セレッソの置かれている状況は、参入戦に回るか回らないかの瀬戸際。低迷しているチームを応援するときの辛さや苦しさは、私にも幾らも経験がある。降格の辛さももちろんよくわかっている。そこから逃れるためにどれだけ努力しなければならないことだとか。そしてその努力は、もしかしたら無駄に終わってしまうかもしれないことだとか。

 自分の記憶と彼等の今を照らし合わせて、重なるところに生まれるシンパシー。そんなことを、短い間に何度も感じた。だから、入れ替え戦参入を回避出来るか出来ないか、土壇場の最後の試合の大久保嘉人の2ゴールには本気でシビれた。なんてエースだ。こんなエースを抱えている幸せ、けれどそれを手放す寂しさ、ああ、こんな話うちにもいつかあった。

 年が明けて、旅立った大久保のスペインでのデビュー戦。
 ここもまた降格危機にあるマジョルカ、そこに現れた新しいストライカー。「自分達のピンチを救ってくれるのか」マジョルカのサポーター達の気持ちは、降格危機を味わったことのあるサポーター達なら国内外問わずきっと感じる。歓声から感じられる。歓声の中の「半信半疑」だってもちろん感じる。その大久保がまず1アシストで先制点を奪われたチームの同点弾を演出し、また失点したのち再び同点に追いつく自身の初ゴール。これにときめかない瀬戸際のサポーターはまずいない。スタジアムの声援がより大きくなる。訪れたこともない国のリーグでも、サッカーのサポーターにある感情に共通して流れるものがあるのだと、その声援を聞きながら考えた。

 幸せな成績を続けるだけじゃ気付かなかったもの。つらいことも味わって初めてわかったもの。
 普通にサッカーを愛するサポーターの心の底に流れているものは、チームごと多少色が違っても、かたちや手触りはみんなほとんどおなじようなものだということ。それぞれの街に、それぞれのチームがある。それぞれに尊重されるべき色がある。色は違えど本質的におなじもの---それこそがサッカーそのものであること---を、わたしたちは自分達の掌の中でちいさく優しく温める。

 先月の天皇杯、5回戦の熊本で大分に勝ったあと。
 駐車場で隣り合わせになった大分からのサポーターのツアーバス。そのバスが自分達札幌サポを乗せたバスより先に出ようとしたとき、どちらともなく両方のバスの中のサポーター達が手を振り合った。大分サポの悔しさを考えると、能天気に手を振る気持ちに最初なれなかったけれど、通り過ぎるバスの窓の向こうに座っていた、多少お年を召した女性サポーターの方がちょっとだけ悔しそうに笑いながら、だけど「が ん ば っ て」と唇を大きく動かしてくれるのを見たら、自然に手を振り返してた。彼等の悔しさを知るとき、自分達の勝ちの意味も知る。

 「敵」であっても、同じかたちの喜びや悲しみを持つ、相手チームという「仲間」がいること。サッカーは、ひとりでやるものじゃない。そんなあたりまえのことを、今頃ようやく知る。経験というものが、どれだけ大事かということも。
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