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 札幌からのメール 05/12/13 (火) <前へ次へindexへ>

 力なき翼
 

 文/笹田啓子
 チームの今季最後の全体練習が終わった翌日。
 練習がすべて終わるのを待っていたかのように、札幌の街に平年より遅れ気味の寒波がやってきた。中心街のイルミネーションが霞むほど強く降る雪が、この年の熱を一気に鎮めているようにも、思えた。

 師走の街に買い物に出た私の携帯に着信。
 サポーターというわけでは全くない、特にサッカーファンというわけでもない友人のSさんからの電話だった。
 「ちょっと待って、今ヒロキと代わるね」。
 Sさんに代わって電話口に出たのは、今季札幌の10番を背負ってプレーしていた三原廣樹。
 「どうもっす〜」。1週間前のその時間、札幌ドームでの最終戦でサポーター達に涙の別れを告げた彼の、元気な明るい声が心底、嬉しかった。




 Sさんが三原君と親しくなったのは今年の春頃。
 私が札幌サポーターであることをよく知っているSさんは、三原君とのやりとりの中でオモシロイことがあると喜んですぐ電話を寄越してきた。日増しに仲良くなるにつれ、楽しい話題が続いた。
 8月の中頃、それまでトップ下で活躍していた2年目の上里君が練習試合で怪我をし、靭帯を痛め長期離脱することになってしまった。その代役を務めることになった三原君の本職はボランチあるいはサイド。「俺トップ下の練習2日しかしてないっす、でも頑張る」と言って先発出場したアウェイ水戸戦、ほとんどそれらしい仕事は出来ずに敗戦。頑張ると言った反動の落ち込み。

 その悔しさから5日後、ホーム湘南戦では逆に2アシスト、さらにその4日後のアウェイ甲府戦では決勝点となる得点を挙げる活躍。を、見せるも前半の早い時間帯に負傷交代。水戸戦で起用される前から痛めていた足の古傷を悪化させてのものだった。彼の足はこれまでに何度も大きな怪我をして、幾度となく手術を繰り返されていて、札幌に来てからも昨年膝の靭帯を断裂する大怪我にまたしても見舞われて、全治9ヶ月という長いリハビリから今年復帰したばかりだった。
 両の足首と両膝全てに爆弾を抱えていた彼。そしてその試合を境として、三原君の出番は大幅に減っていった。

 出場機会が減ったまま10月も半分を過ぎていく。
 そのころになると、Sさんからの連絡も明るい話が少なくなっていった。不安、焦り、苛立ち、の、ようなものが選手の横顔に見え隠れする気配。それとは関係なく、チームは昇格争いの真っ最中、公式戦のピッチの上の、目の前の選手達を応援している自分。10月も終わりの冷たい雨の降る函館で、2年間負け続けた山形から遂に奪った勝ち点3。昇格争いをつなぎとめた試合。それを喜びながら、そのピッチの上にいない選手のことが、胸に小さな棘のように刺さっていることを感じていた。



 11月に入ると、いよいよ上位3チームとの直接対決。
 入れ替え戦出場となる3位以内に、手がまだ届く距離で迎えることになった11月13日の福岡戦。アウェイ福岡で日曜日のナイター。どれだけ安く行っても3万円以上かかる旅費。加えて月曜日の休みを取れないと行けない日程。本来であれば大挙して乗り込みたい決戦の地に、しかし乗り込める人間の数は極めて限られている。だからその試合の前日、宮の沢の練習場から福岡へ飛ぶ選手達の乗り込むバスを、試合に行けない人達の想いを込めて送り出してやろうという話がサポーターの間から出てきた。

 土曜日の宮の沢。
 選手達はゴール裏のサポーターグループが運んできた横断幕を背景にミニゲーム。近くの山はもううっすらと白く雪化粧している。そんな冷え込みの中、それでもチームに声を送りたいとしたサポーター達が数十人集まった。
 バスに乗り込む選手達を歌やコールで鼓舞する。それに応える選手達。数日前に足を痛めたばかりで、翌日の試合はスタメンから外れることが濃厚だった池内君の、本当に真直ぐな眼差しの、笑顔。バスに乗り込んでからも、サポーターから決して視線を反らさない。そこに感じた意気。

 クラブハウスから国道に出たバスは、すぐ近くの信号で止まった。それを見て、サポーター達が歩道に走り出た。バスが信号待ちをしている間、振られていた旗。響く声。そのときふと振り返ると、サポーター達の声とは反対側のピッチの上で、黙々とシュート練習をする堀井君の姿を見る。隣に佇んでいた三原君は、その日室内メニューでミニゲームには出ず、足元に転がっているボールを試しに蹴ることもなく、ただ茶々を入れるだけで。
 状態の、きっとよくない足。現場に行けぬ想いは、サポーターだけでなく彼等にもきっと。その無念の分まで、明日は頑張らなければ。そう思って訪れた、博多の森。

 けれども。
 その博多の森での試合は、昇格というものへの想いの強さ、積み上げたものの差が如実に表れたに過ぎなかった。選ばれてここに来たはずだったのに、勇気を持って前に行けない選手。1対1で勝てない。失点した途端、意気消沈してしまった応援。博多の森のバックスタンドの一段を丸ごと埋め尽くしてサルトしていた福岡サポーターの姿が、ひどく遠くに霞むような気がした。0−3というスコアになっても90分声を出し続けた仲間のひとりが、試合終了のあと、声にならない叫びをあげて投げ捨てたマフラーがスタンドに張った赤い旗の上にポツンと残される。

 「せっかくここまで来たのに、あたしたちはその場所で、たったこれだけしかできなかった」

 博多の森で感じた想いは、そのまま次のホーム連戦だった京都、甲府戦でも強く感じたままで。
 ロスタイムに入るまで2−1で勝っていた甲府戦。仮にその試合にそのまま勝ったとしても、3位仙台が既に勝っていたので今年の昇格争いはそこで確かに終わりだった。けれどもロスタイム3分 という表示が札幌ドームのオーロラビジョンに映し出されたそのあと、2分で3点を取られ逆転負けを喫するなど、一体誰が予想しえただろう。
 試合終了の笛を聴くと、4点目を失っても止まなかったゴール裏のウルトラス達の声が止んだ。静寂とは呼ばないざわめきだけが微かに響く。遠くからブーイングが聞こえてきた。昇格争いの、望んでもいなかった結末。



 それから1週間後、今季最終戦を週末に控えた11月30日。来季の契約の有無を選手に通達する期限のその日の午後。
 普段ならかかってくるはずのない時間帯に鳴る携帯。Sさんからの電話。嫌な予感。
 「でも、もしかしたらいい報せかもしれない!」
 僅かな期待を持って勢いよく出た電話で聞かされたのは、三原君がこの街を出ることになった。そういうこと、だった。
 薄々予想はしていたこと。恨み言はそこになく、ただ、「でも、ちょっとは期待しちゃいました」と、たぶん苦笑いしながらそう言ってたこと。そこにある、痛み。

 先に進まねばならぬこと。それも、あまりゆっくりではなく進まねばならぬこと。その中で、進める人とそうでない人が出てきてしまうのは、この世界ではあたりまえのこと。切る側だって間違いなくつらいはずのこと。
 このチームでもう10年も見てきたこの季節の、どこのチームでも当たり前にある風景、いい加減慣れなきゃいけないはずのこの現実に、その夜はどうしようもなく泣けてきてしまった。あんな情けない終わり方をした昇格レースだったのに、力のない部分を何度も見てきたはずなのに、思い出されるのは楽しかったことばかりで。
「あーもう、だからダメなんだよ札幌サポ!ヌルすぎ!そんなん当たり前のことだろ!上に行くためにはしょうがないだろ!」と、私の中の最も厳しい私が自分を叱責するけれど、私の中の最もヌルい私が反論する。「自分とこで関わった選手を、そんな『モノ』みたいに見れないよ!まして今回、こんなに身近だったのに!」

 つらつらここまで書いてきて、本当に自分自身 ヌルい のだと思う。
 札幌の中では激しさを持っているウルトラスだって、全国の中で見れば限りなく温かいほうだ。
 2分で3点をとられて無様に負けた甲府戦、ゴール裏の前に挨拶に来る選手達に向かって彼等がしたことは、力がないことを知りながら、それでもここまで戦い続けた選手達を、残された次の試合に向けてふたたび鼓舞することだった。
 「ブーイング、やりたい奴ァやれよッ!」
 そう言って、俺達にはブーイングよりももっと伝えたいことがあるのだとばかり駆け寄った彼等の後姿を、この1年間選手を鼓舞し続けた彼等を、選手がいなくなっても尚そこから動けなかった彼等の背中を、私はどうやっても忘れることができない。

 ヌルい、といえばどうしようもなくヌルい自分達。けれども「ヌルい」という字は「温い」と書く。あたたかい とも読める。わたしを含めた札幌サポーターの大勢にある、この「温さ・温かさ」そしてやさしさという部分は、最早仕様であり条件に違いない。長所でもあり欠点でもあるこの仕様。さりとてそれを武器に変えずして、ただ温いままではいつまでもJ2で泣いているだけだ。でも、どうやって。



 12月3日のリーグ最終戦。
 草津に先制点を奪われるもその後2点を奪い逆転勝ち。2005年の最後の試合は勝利で終えることができた。そのあと、選手・スタッフ全員による場内一周のサンクスウォーク。オーロラビジョンに一人の選手の後姿が映されると、スタジアムから小さくない歓声が上がった。背中に「ありがとう 10」と手書きで書かれたビブスを着ている三原君。振り返るとその胸側には、「I LOVE 12」。12の数字は念入りに赤黒の縦縞模様。その日、ロッカールームで作ったというビブス。「とにかく、なんかしたかったんで…」。翌日彼は私に、ありがとうございましたと何度も何度も言いながら、そのことをポツリと加えた。

 最後の場面でサポーターに想いを伝えたい、という彼の優しさは、しかし「強さ」がなければ出来ないことだった。置かれた立場の痛みや辛さを己で越える強さ。三原君の優しさの裏側の強さを感じたとき、そうだ、本当に人に優しくしようと思ったら、誰よりも強くなければそれはできない。やさしさって、強さだ。

 ほんとうのやさしさは、揺るがないやわらかな逞しさを持つ。相手を強く思う気持ちがあって、それを表に出せる意思や力強さを内包するもの。汗もかかずにただ見てることを、優しさとは言わない。それは優しそうな形をしただけの女々しさだ。三原君だって、ああいう風に形にして伝えてくれたからこそ伝わり、その想いを自分たちが有難いと思ったのは、最終戦で彼の見せたラスト15分の全力のプレーがあってこそ、そして札幌にいた3年間、彼が自分の持っていた厳しい条件と闘い続けてきたことを知っているからに、ほかならない。

 札幌のやさしさは、まだ強さなき未熟で半端な優しさ。まだ形だけの、力なき翼。高い空を夢みているだけの、まだ脆い翼。けれどもいつかは飛ぶ翼。空の高くまで、地平の限りまで飛べる強さを必ず身につける。
 強いプレー、強い声、強い応援。札幌が札幌であることを失わず、それでも前へ強く進んでいく。それが残っていく者たちの受け取った責務だと知る。そしてそれは来年、間違いなく果たされなければならないものである、ということも。
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