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 頑張れ!女子サッカー 05/03/03 (木) <前へ次へindexへ>
「なでしこジャパン」の初代キャプテンを務めた大部由美。

 なでしこ一期生、新たなる挑戦
 大部由美の場合・前編

 取材・文/西森彰
 日本の女子サッカーを取り巻く空気が一変したのは、第4回女子ワールドカップの出場権を賭けたホーム&アウェーのプレーオフだった。アジア女子選手権の3位決定戦で韓国を降し、上位3カ国に与えられるW杯の切符を手に入れていれば、ひょっとすると別世界で行なわれているマイナー競技のままであったかもしれない。それが10回に1回あるかどうかの番狂わせで負けた。

 結果として「アウェー」でしか行なわれてこなかった女子サッカーの真剣勝負が、初めて日本で行なわれることになったのだ。メキシコホームの第1戦が行なわれたアステカスタジアムには、8万とも10万とも言われる大観衆が入った。90分間、吹き続けた逆風も、試合が終わった後では、ファンの関心を集める追い風になった。

「こっちだって、ガラガラのスタジアムに送り出せるか!」

 2003年7月12日(土)、J1リーグ開催と同日に、しかも夏のデーゲームとして行なわれた第2戦だったが、1万2千人が聖地・国立霞ヶ丘陸上競技場に足を運んだ。関係者や家族、そして義侠心に駆られたサッカーファンが送る大歓声に後押しされた日本女子代表は2対0、初戦とあわせたトータルスコアで4対2の勝利を収め、4大会連続のW杯出場を決めた。

サブメンバーも腐らずにレギュラーを追いかけた。
W杯以降も大部はチームをまとめ続けた。
 試合を決定付ける丸山桂里奈(日本体育大学・今季からTEPCOマリーゼに加入予定)の2点目をアシストした大部由美(TEPCOマリーゼ)は試合後にマイクを向けられ、インタビュー半ばに号泣した。その姿に多くのファンがもらい泣きした。「アテネへ行けることになったら、また国立で泣いてください」。そんなファンの声も多かったそうだ。

「あのプレーオフに関しては『結果オーライ』な部分もありました。振り返ってみれば良かったということでしょう。とにかく先輩たちから受け継がれてきたW杯の連続出場記録を私たちのところで止めるわけにはいかないと思っていました。日本でやれたのも大きかったと思います。それまで選手たちが頑張ってきた結果が、ああいうことになったんでしょうね」



 W杯でもキャプテンとしてチームをまとめ、3バックの中央でDFラインを統率した大部だが、翌春、アテネ五輪を目指す戦いの中で、システム変更の影響でレギュラーを外された。「世界的な潮流でもあったし、3バックよりも4バックのほうが、穴が無い。現実に4バックにして結果が出たわけですしね。私のほうが4バックに変更されても、その中に入れる選手でなければいけなかった。そりゃ出られるに越したことはないですけれど、みんなそれぞれ想いを背負っているんですから」。

 決まったことは仕方がない。大部は「自分が出ていたら」とか「3バックだったら」という仮定の話に逃げ場を求めなかった。そして試合に出ていた時と全く同じように、チームのムードを盛り上げていった。若い頃から一緒にやってきた小野寺志保(日テレ・ベレーザ)ら、年齢が近い選手も大部を支えた。そうしたベテランの背中を見て、若い選手たちも襟を正した。

 レギュラーから外した上田監督も、大部がチーム全体をまとめあげると信じて疑わなかった。報道陣が「大部に代わる新キャプテンが誰か」を尋ねるたびに、毎回きっぱりと断言した。「キャプテンは大部。大部が出ないならその時にゲームキャプテンを決めます。けれど、このチームのキャプテンは大部です。試合に出ていようが出ていまいが、それは変わりません」。その信頼も励みになった。

「『キャプテンだから頑張る』わけではありませんが、あそこで私が腐ったりしたら、サブ全体が『どうせ私たちは…』みたいなグループになってしまう。サブがダメなチームは絶対に強くならないんです。サブが頑張ってレギュラーに危機感を与え、追いかけられるレギュラーが良い刺激をもらって。そうやってチームは強くなっていく。だから私たちはスウェーデン戦の勝利も、ベスト8という結果も、18人全員で勝ち取ったものだと思っています」




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