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 頑張れ!女子サッカー 05/08/25 (木) <前へ次へindexへ>

 本田ジャパン、世界への挑戦 (1)
 ユニバーシアード日本女子代表戦記

 取材・文/西森彰
 岡山湯郷Belleの本田美登里監督が、日本サッカー協会(以下JFA)女子委員会の大仁邦彌委員長から、その電話を受けたのは今年の1月だった。

 本田が岡山湯郷の監督に就任する以前、JFAに勤務していた頃は、大仁と押し問答を繰り返していた。「女子にも、もう少し予算を回して下さい」と本田が言えば、大仁は「いや、これ以上は出せない」。思ったことを言わずにいられない本田は、ズケズケと上司に主張しては叱られてきた。だから電話の主を知らされて、本田がまず思ったのは「さて、今度は何で叱られるんだろう? また知らないところで、何かやらかしていたのかな?」。

 ビクビクしながら取った受話器から大仁の声が聞こえてきた。8月にトルコで開催される第23回ユニバーシアード・イズミール大会、そのサッカー日本女子代表監督就任の要請だった。



「33人での合宿だから7人も呼ばれたんでしょう。でも、逆に言えば日本中で33人ですからね。日本代表のジャージに袖を通すだけでも、彼女たちにとっては良い経験になりますよ。私も高校時代に初めて代表のジャージに腕を通した時、やっぱり何とも言えない気分になったもんなぁ」

 田口禎則・さいたまレイナスFC監督(当時)が、なでしこジャパンのキャンプに参加した自分の教え子たちを見ながら、感慨に浸っていたのを思い出す。日本サッカー界の選び抜かれたエリートであり、精鋭であり、最高峰の選手たちが集う。それが日本代表。一部の天邪鬼を除いて、サッカー選手なら誰もが目指す、夢の場所である。

 最上級の選手たちを指揮する日本代表の監督は、これまで全カテゴリーにおいて当然のようにS級ライセンス(旧A級)保持者が務めてきた。川淵三郎キャプテンは「2030年までの世界制覇」「女性指導者の育成」「将来的な女性代表監督の誕生」を女子サッカーの中・長期的目標とした。思いついたことにすぐ取り組む行動力こそ、川淵キャプテンが持っている最大の長所だろう。さっそくポストの選定に入った。

 女子サッカー全体のレベルアップを考えれば、高い個人戦術・テクニックを指導しているフル代表の監督へいきなり抜擢することはできない。また若年時の国際経験が選手の将来を左右する意味においては、今泉守正監督が育てているティーンエージを指導させるのもリスクが高い。そこでユニバーシアードである。

 ある程度完成し、フル代表レベル、いわばB代表に類するこのカテゴリーの選手たちであれば、短期間の指導で変な方向に行くこともない。さらに個々のポテンシャルもある程度保障されており、細かい部分に目をつぶれば、手取り足取り教える必要もない。逆に短い時間でいろいろなチームから集まった選手たちを、一つのチームにまとめることができるか。そのマネジメント能力が試される。第3者から見ても「女性指導者に代表監督が務まるか?」を判別するリトマス試験紙として、ユニバーシアードというカテゴリーは最適に思えた。

 JFAは、さっそく女性指導者から適格者の絞込みに入った。2005年現在、本田ら日本の女性指導者が取得している最上級資格はA級ライセンス(旧B級)、S級ライセンス保持者はまだいない。そこで「S級ライセンス保持者がいなかったので、A級ライセンス保持者から絞り込んだ。最終的に岡山湯郷BelleをL2からL1昇格に導いた実績が評価されて、本田美登里監督に決定した」(大仁邦彌・JFA女子委員会委員長)。こうして1998年の夏、フィリップ・トルシエの招聘に成功した男は、2005年の年明け早々、かつての部下を口説きにかかった。



 しかし、与える側としてはこれ以上ない条件が揃ったポストであっても、引き受ける側には引き受ける側の問題があった。

 当然ながら、決して楽な立場ではない。2年前の第22回大邱大会で今泉守正監督(現・なでしこジャパンコーチ、U-18日本女子代表監督)に率いられたユニバーシアード日本女子代表は、男子代表とアベックで決勝まで進出。地元・韓国の観衆と「美女軍団」の大声援を受けた北朝鮮に敗れたものの、見事銀メダルを獲得している。その結果を受けての今大会。誰が監督になろうが、周囲の人間が期待するのは「銀よりもきれいなメダル」。プレッシャーは大きい。

 そして本田個人の事情もあった。今年は、岡山湯郷の監督として5年契約の最終年度であり、同時にこのチームが初めてL1リーグに挑む大事なシーズン。秋には地元の岡山県で開催される「晴れの国・岡山国体」が控えている。岡山湯郷を「国体が終わったら無くなってしまったチーム」には、絶対にしたくない。そのためには観客動員や成績など目に見える結果を残して、地元から一層の支援を取り付ける必要がある。そんな時期に他チームとの兼任などして良いのか?

 自分で自分を「後先のことを良く考えないで行動しちゃうタイプ」という本田でも、さすがに迷った。そして改めて大仁にオファーの理由を尋ねた。「どうして私なんですか?」。大仁の口からJFAの自分への評価を聞かせてもらい、迷っている背中を後押しして欲しかったのかも知れない。ところが、大仁の返答は本田が全く予期しないものだった。

「オマエしかいないから。他にいないんだからしょうがない」

 本田の頭に血が上った。「頼む側として、もうちょっと言い方があるんじゃないか」。口にこそ出さなかったが、受話器を持つ手が震えた。後日、選考合宿時、大仁に本田とのやりとりを尋ねると「そんなことも言いましたっけ」と笑っていた。恐らくは本田の反骨精神を読みきった上での挑発的な物言い。役者が1枚上だった。本田はこの「シミュレーション」に、ものの見事に引っかかった。周囲の調整をした上で正式な返答をするまで、ひと月を要したが、既に気持ちは決まっていた。

「そこまで言うなら、やってやろうじゃん!」

 2005年4月14日(木)、JFA理事会で、本田のユニバーシアード日本女子代表監督就任が正式に決定した。
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