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 頑張れ!女子サッカー 05/08/31 (火) <前へ次へindexへ>
親善ムードはキックオフの笛と共にピリオドが打たれた。

 本田ジャパン、世界への挑戦 (2)
 〜ユニバーシアード日本女子代表戦記〜

 取材・文/西森彰
 岡山湯郷Belleの本田美登里監督が、ユニバーシアード日本女子代表監督のオファーを受諾したのが今年の2月。その時点で、このチームの強化スケジュール、そして2004年度インカレの準優勝校・武蔵丘短期大学の河合一武監督以下チームスタッフも決められていた。

「本当はそういったもの全部を、監督である自分が責任を持って決めないといけないんですけれど、今回はいろんな部分で異例づくしでしたから」

 チーム全員で集まって合宿を張るのは、選手選考を兼ねたトレーニングキャンプ1回だけ。5月中旬の1週間、Jヴィレッジで合宿を行ない、なでしこジャパンとの親善試合で来日しているニュージーランド女子代表とトレーニングマッチを行なう。そして、選手の最終発表後、8月1日(月)に集合してから4日(木)まで、静岡県内で直前の調整。翌5日(金)に成田を発ち、10日(水)から始まる本大会に臨む。

 準優勝した大邱大会のチームは3月に始動し、5月に行われた上野市長杯(現・忍びの里レディーストーナメント)に参加。L・リーグ所属チーム等と試合をこなす中で、今泉守正監督(現・なでしこジャパンコーチ)が選手の資質・特徴を見極めていた。その時と比べると、今回のチームが実戦不足であるのは否めない。

 日本サッカー協会(以下JFA)は、岡山湯郷Belleの監督と兼任する本田のスケジュールを必要以上に抑えて、クラブに負担を強いることを避けたかったのだろう。実際、本田の頭が、岡山湯郷からユニバーシアードに切り替わったのは、L1リーグの第1クールが終わってからだった。



 5月18日(水)、候補選手がJヴィレッジに集合し、1週間に渡る選考合宿が始まった。本大会前に集まるのはこの1回だけである。L・リーグの監督として4シーズンを送ってきた本田に、大学チーム所属選手の予備知識はほとんどない。

「(大学チームに所属している)彼女たちのプレーを私はほとんど見ていません。だからL・リーグの選手は私が選んで、大学の選手は全日本大学サッカー連盟で推薦してもらいました」

 大学リーグだけでなく、L・リーグでプレーする選手、そしてなでしこジャパンに呼ばれている選手にも、ユニバーシアードの参加資格を持つ者は多い。前回大会のメンバーである安藤梢、下小鶴綾。大学リーグを主戦場としている矢野喬子。ユニバーシアードに参加できる選手の中で、最も自分が欲しい選手を選ぶ。それが本田の考え方だった。大学リーグでプレーする選手たちにとって、この合宿は自らの能力をアピールする最初で最後のチャンスである。

 5月23日(月)、トレーニングキャンプの実質的な最終日。ユニバーシアード代表は、2日前になでしこジャパンと西が丘サッカー場で戦ったニュージーランド女子代表を迎えた。先発メンバーは下記の11名。システムは中盤をボックス型にした4-4-2。2トップは近賀ゆかり、丸山桂里奈。スピードのあるドリブラーがコンビを組み、トップ下にはキャプテンマークを巻いた庭田亜樹子が入った。

 (ユニバーシアード日本女子代表先発メンバー)
 GK: 松林美久
 DF: 岩清水梓、田中景子、笠井香織、西口柄早
 MF: 那須麻衣子、中川理恵、岩倉三恵、庭田亜樹子
 FW: 近賀ゆかり、丸山桂里奈



本田ジャパンは白星で発進した。
 雨雲が近寄る中、キックオフされた試合は、天気と同じ荒れ模様になった。白と赤のニュージーランド女子代表は、土曜日のA代表戦からGKとフィールドプレーヤー2名だけを入れ替えただけ。ほとんど前々日のなでしこジャパン戦と同じフルメンバーである。ニュージーランドの選手たちの動きは、土曜日のゲームとは一変していた。きちんとボールをつなごうとチャレンジしていたチームが、この日は体格差を利して激しいフィジカルコンタクトを挑んでくる。

 さらにミック・レナード監督が自軍ベンチの前から大声を挙げ、アシスタントコーチがバックスタンドからアピールし、レフェリーにプレッシャーをかける。日本ベンチの本田が、相手のシステムを確認した上で、一度だけ最終ラインに指示を送ったのとは対照的なニュージーランド。「一昨日はコンディションの問題もあったろうし、『今日は勝たせてもらう番』と気合が入っていたんじゃないですか」。本部で行われた会議の終了後、Jヴィレッジに駆けつけたJFA女子委員会の大仁邦彌委員長はそう笑った。

 親善試合という雰囲気など皆無のニュージーランドの戦いぶりに、日本の選手たちには戸惑いが見られた。しかし、力任せの攻勢をゴール前で防ぐうち、徐々にそのプレーにも対応できるようになった。そして前半18分、丸山のドリブルに呼応して2列目から走りこんだ岩倉三恵がゴールを挙げる。日本はこの虎の子の1点を最後まで守りきった。

「なでしこのビデオをもらっていたんで、最初は『え?』という感じで。ああいう感じで来るなら、ウチももう少し気持ちと体の準備をしていたんですけれども。『国際試合っていうのはこういう試合だよ。日本みたいに審判に守られてやるサッカーじゃないんだよ』ということが分からない子たちもいたんで、ここでこうして体験できたのは良かったんじゃないでしょうか」

 初采配を白星で飾った本田も、とりあえず胸を撫で下ろした。結果を求められるゲームではなかったにせよ、とりあえず勝った。この合宿が初顔合わせとなった人間もいる。互いの信頼関係を積み上げる、その橋頭堡ができた。試合終了後のスタッフミーティングで、大仁が本田に言った。

「君が監督なんだから、結果についての責任は全て君にある。だから、君のやりたいようにやりなさい。前回が銀メダル。我々はそれくらいの成績を期待している」



 チームに関する全権と全責任を託された本田は、この合宿を反芻しながら選手の最終選考にかかった。何もなければ、ニュージーランド戦の先発メンバーが一応の軸になっただろう。しかし、この日の先発メンバーのうち、本大会の初戦、同じポジションで起用された選手は3人だけだった。丸山が東アジア選手権に招集され、ユニバーシアードへの欠場が決定。本田ジャパンは時間が足りない中で、システムの変更をも強いられることになるのである。
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