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 webnews 05/01/07 (金) <レポートに戻る>
平本一樹選手(東京ヴェルディ1969)インタビュー
第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会 決勝 東京ヴェルディ1969vs.ジュビロ磐田


優勝したという手ごたえ、感想から聞かせてください。

 もう8年ぶりだったんで、Jリーグにしろ、ナビスコカップにしろ取れていなかったので、ここでやっとタイトルが取れてほっとしています。


ジュビロに攻め込まれて苦しい時間帯を凌いで終了のホイッスルがなった瞬間、そのときの気持ちを聞かせてください。

 もう最高でした。


それにしても、序盤からパートナーの飯尾選手とともにボールを激しく追いかけました。あれが効いていましたね。

 天皇杯が始まってからずっと飯尾と組んでて、監督から「2人の売りはそこだ」と言われていたんで、監督の言われたとおりにやりました。


ただ決定的なところが残念ながらゴールにつながりませんでした。あのときの気持ちはどうだったんですか。

 あの時は周りの声も自分の耳に入ってくるし、どうしようというのが正直な気持ちでした。もともとあまりシュートが上手くないと言われるタイプなんですけれど、それにしても今日のはずし方はひどかったと思うんで・・・。でも勝ったからいいです。


その後に、ご自身の身体を張ったプレーから飯尾さんのゴールが生まれました。平本選手のゴールはポストに当たってしまったんですがニッコリされていました。あのときの気持ちはどうだったんですか。

 僕は飯尾のためなら何でも出来るんで、そのくらい彼のことが大好きですし、サッカーしているときも、普段も一緒にいますし、あいつが点取ると自分のことのように嬉しいです。


飯尾選手は前半で退いてしまいましたが、その後、ご自身のゴールで2点差にしました。

 磐田相手に2点差というのは、まだまた分からないんで、もう1点取りたいなと思っていたんですけれど、体力的にもう動かない感じだったので守備に徹しました。


今日のジュビロという相手は、振り返ってどんな相手でしたか。

 自分にとっては一番対戦したくない相手なんで、プレースタイルは良く似ていますけれど、みんな上手いんで、頭に繰るようなプレーをするんで、あんまり好きじゃないです。


相手の山本監督のことは意識されましたか。

 もちろんです。試合前は点を決めたら磐田のベンチの前でガッツポーズをしようと思ってたんですけれど、ただ状況が状況だったんでそれを忘れて、嬉しすぎて自分のベンチに走っていました。


国立の表彰台はどんな気分でしたか。

気持ちいいです。最高です。


この勝利は、クラブにとって、そして平本さんにとって、どんな意味を持つものになりそうですか。

 今日優勝できたことに対しては、8年ぶりにタイトルを取れたということでほっとしているところですが、これからJリーグが始まって、どのチームもうちが天皇杯を取ったチームとしてみてくると思うんで、ここからが勝負だと思います。今日のプレーに近いプレーを心がけてやっていきたいです。


ベレーザとのダブル優勝ということについて、一言お願いします。

すごいなと思います。それ以外は別に。


平本選手の決勝ゴールで勝ったということに関しては、どんな気分ですか。

 でもまあ、みんなが守ってくれてたんで、みんなのおかげです。結果的に自分のゴールで勝ったといっても、みんなが守ってくれたんで頭は上がりません。


FWの仕事は果たしたと思いますが。

 前半に外しすぎたんで、点を決められてホッとしています。


かつて多くのタイトルを取ったヴェルディも、平本さんが入ってから初めてのタイトルだと思いますが。

 これからですね。これからも、こういうタイトルを取ったり、どの試合でもいいところまで行く常連のチームになりたいです。


ゴールを決めたとき、必ず決めてやるといった気迫が感じられたんですけれど、どんな気持ちでゴールを取りに行ったんですか。

 前半に1人退場になって、後半の戦い方で飯尾が下げられて。飯尾もハーフタイムに肯定の理由を告げられたときに凄く悔しい思いをしていたんで、飯尾と俺の得点で勝ってやると思ってました。


残り5分位から、危ないシーンが続きましたが、FWとしてはどんなことを考えていましたか。

 いや、やばいななんてもんじゃないですよ。やばくて戻りたいけど戻れない、疲れているから。そんな感じでした。試合が終わってすぐにウルウルしてしまいました。


何がウルウルさせたんですか。

 飯尾の涙。あいつは泣かないですから、絶対。だけど泣いていたから、もらい泣きしました。


2004年シーズンは、ご自身にとってどんなシーズンだったのでしょうか。

 最高の年でしたね。ただ、試合数の割に自分の得点数は全然ないですし、そこら辺で課題が一杯見つかった年でした。
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