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 webnews 05/04/05 (火) <前へ次へindexへ>
イラン弾丸ツアー戦記 その1 〜関空−羽田−メフラバード〜


取材・文/貞永晃二

 関空22:15発(最終便)の羽田行きで、私の旅は始まった。とうとうひいてしまった風邪によるのどの痛みと鼻水が、旅の間中私を悩ましつづけることになる。大阪から東京への移動はこの時間の料金(特割)が最も安価(9600円)なので、この時間の移動に決めたのだが、折からの悪天候のため伊丹空港出発ロビーに心臓に悪い放送が流れる。羽田が悪天候のため、最悪の場合関空へ引き返すか名古屋への着陸もありえるというのだ。慌てて地上係員に聞いてみると「大丈夫だと思いますよ」という言葉が満面の笑顔と一緒に返ってきた。それなのに「イランへ行くんですから羽田に着いてくれないと・・・」と聞かれもしていない目的地をつぶやいている私。

 乗り込んだ機内は空席が目立つ。風邪薬が効いたのか、うとうとしている間に23:20羽田に無事到着。集合場所(国内線ロビー)に急ごうとすると、エスカレーターが止まっている。「あれ?」そばにいた警備員さんに聞くと奥のエスカレーターで上がるようにとのこと。なるほど通常の空港営業時間はとっくに終わっていたのだ。

 集合場所は、青色に染まっていた。出陣式らしきことが行われていた様子だ。カウンターでビザ取得のために預けていたパスポートとテヘラン行きエア・チケットを受け取る。そして特製弁当とA社の青いタオル、J社の大きなバンダナ(女性の頭を覆う布なのか?)などの入った袋をもらう。本来の集合時刻は22:00だった。つまり大半の参加者たちは相当前からここにいたのだ。そして出発まで時間はまだたっぷりある。遅い羽田到着を選んでよかったと、自分の選択を自画自賛する。もっとも無事着陸できたからそう思えるのだが。

 一緒に申し込んだAさん、Tさんと話しをしたり、うたた寝をしながらひたすら待つ。風邪と花粉症に苦しむAさんは点滴を打っての参加だそうだ。Tさんも花粉症で辛そうだ。3人の中ではまだ私の体調が最もいいようだ。



 ようやく2時出発予定の先発隊(テヘラン一泊組)が国際線の方へ移動し始める。ぞろぞろ歩いていく眠そうな目をした人たち。さすがに女性の数は少ない。平凡な国への観戦ツアーならチャーター機は2機では済まなかっただろう。イランという戒律の厳しい国だから諦めた女性たちも多かったのだ。諦めた人たちの分も一所懸命に応援しなければと自らに言い聞かせていた。

 やがて、3時出発予定の0泊組が国際線への移動する時間になる。しかし最後の最後までイスに座って待つ。早く行っても待たされるだけなのだ。思った通り、荷物チェック、出国手続きで待たされ、出発ロビーでも待たされる。ここで、外貨を手に入れておく。どうせ金を使う時間など土産を空港で買うくらいしかないと思うが、念のため5000円をUSドルに両替してもらう。そこで昨年オマーンで一緒になったHさんを見つけ、雑談で時間をつぶす。そして乗り込んだ8827便の「UPPER(2階)」の席に座る。同乗者にはうじきつよしさん、ジェレミー・ウォーカーさん、伊東武彦(元サカマガ編集長)さんらがいた。Hさん以外にもオマーン組の皆さんの顔も何人か確認できた。

 さあ、シートベルトを締めて、およそ11時間の空の旅の始まりだ。ふとキャビン・アテンダントを見ると、いつの間にか日本代表ユニに着替えている。A社は儲けるなあ。

 サッカー雑誌に目を通して、ビデオ映画を見てうとうとする。機内食を食べ、飲み物をもらい、またうとうと。あっという間に時間が経過していく。テヘラン・メフラバード空港が近づく。窓外に目をやると荒涼とした大地。アフガンゲリラが飛び出してきそうな風景だ。やがて雪に包まれた山々が目に飛び込んでくる。

 ご一緒したTさん、Aさんのお二人は「日本サッカー狂会」の重鎮だ。ベテランTさんはサッカーだけでなく、「山男」だ。窓から見える頭ひとつ飛び出した山がイランのダマヴァント山(5,671m)であり、登った経験があると聞いて声を上げて驚いてしまった。周囲の山々は富士山クラスの高さということになるらしい。ものすごい迫力だ。そしていよいよ着陸態勢に入るようだ。ここで機長からご挨拶と女性には頭・頭髪を隠すようにという注意、男性にはネクタイを外すようにという注意だ。真夏なら男性は涼しいと喜び、女性は暑いとプンプン怒ることだろう。



 9時半くらいに着いたメフラバード空港でパスポート・チェック。延々と続く行列。だいぶ時間がかかりそうだ。ここで女性の係官もいることに気づく。当然、頭部を隠しているが、顔全体ははっきり確認できる。せっかく(?)だからと女性係官の列に並ぶ。しかし途中でひげぼうぼうのおっさんと交代。ああ、残念。

 同じバスに乗り込むメンバーの手続きがすべて終わったところで移動。かなり古びたポンコツ・バスだ。これでホテルへ向かう。バスから眺めたテヘランの町では若い男女が寄り添って歩く姿も見られた。決して男女が一緒にいてはいけない、ということではないようだ。バスの中でイラン人通訳兼添乗員(?)が日本のスタジアムの代表戦でおなじみのブルーシート(IRANvs.JAPANバージョン)を配ってくれる。JFAも細かい配慮をするものだ。そして次に彼はUSドルをイラン・リアルに両替してくれる。10ドルを渡すと、すでに86000イラン・リアルが入った封筒をくれる。ずいぶん段取りがいいな、手数料はこいつの懐に入るのかな?何か東京・上野あたりに住んでいたことがあるようだ。

 同じチャーター便でもツアー会社によって到着後の試合までの時間のすごし方はそれぞれ異なる。レストランへ行くツアー、市内をぐるっと回って観光するツアー。N社のツアーの私たちはホテルで昼食をとった後、チェックインし各自部屋へ入ってシャワーを浴びたり休息したりすることができた。私はAさんと相部屋だ。しかしなぜかシャワールーム兼トイレの蛍光灯がつかない。ドアを閉めると暗闇の世界。困った。でも男同士、ドアをあけたままでいいさ。

 テレビのスイッチを入れてチャンネルをガチャガチャ変えると、ニュースでサッカーの試合が目に飛び込んできた。どうやら北朝鮮vs.バーレーンのようだ。途中からだったようで、赤いチームの1点、白いチームの1点だけが確認できた(あとでバーレーンの2点目、北朝鮮の1点だとわかった)。そしてアザディ・スタジアムらしい画面に切り替わる。スタンドはぎっしり埋まって大騒ぎだ。しかし腕時計を見るとまだ14:00、キックオフ(18:05)の約4時間前。試合までまだこんなに時間があるのに、満員のわけがない。私たち二人が、以前の試合のビデオだと勘違いしたのも無理もなかった。しかしこれもあとで午前中から大観衆がキックオフを待ち続けていたことを知った。なんというタフな奴らなんだろう。

(続く)
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