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 webnews 05/04/06 (水) <前へ次へindexへ>
イラン弾丸ツアー戦記 その2
世界最高速ウェーブとカリミの「あご」とイバンコビッチの笑顔


取材・文/貞永晃二

 ホテルからスタジアム行きのバスに乗り込んだのは14:30。しばらく走るとアザディ・スタジアムらしき建造物が視界に入ってくる。しかしスタジアムに近づいても入れてもらえず、また走るバス。ぐるぐる回って結局入場は16:00くらいだったろうか。スタジアムの周囲はイラン人男性がウヨウヨ。日本人バスにしきりにチョッカイをかけてくる。あとで考えると彼らはスタジアムに入れなかった連中だったのだ。警官たちともめている人たちもいた。

 バスはスタジアムの日本人観戦エリアの入り口にバスごと突っ込む形で入場する。バスを下車すればそこはもう観客席が目の前である。下車時のイラン人との接触をさけるための策だろう。現地の日本人会のバスも6、7台いる。チケットをもぎる係員。しかし手元に帰ってきたのはチケットの半券。日本なら長いほうの部分を渡されるのに。記念にならないよ、こんな小さな半券では。

 すでに日本人サポーター席もほぼ埋まっている。ここで、強烈なイラン男性の大迫力の応援に包まれることになる。小旗ではなく大きな国旗を持つ人が目立つ。配られたものではなさそうだ。腹の底から出される男たちの大声。猛烈な速度で回るウェーブ。まさに世界最高速度は間違いないど迫力の津波のようなウェーブが日本サポーター席を全く無視して押し寄せては引いていく。中東独特の巨大肖像画が目を引く。有名なホメイニ氏と誰?

 これが北朝鮮なら、統率された「練習の成果」に見えて不気味に感じたはずだ。しかしイランの男たちのそれは、誰にも強制されない自然発生的なものに感じられる。それだけにウェーブごときにここまで集中して一糸乱れず手を上げ、立ち上がる男たちを目にして「すごさ」が実感した。



 そして、イラン人たちは一階席の日本のサポーターを威嚇し始める。色々なものを投げつけてくるのだ。どうも、日本人を狙うというよりも、日本人と一緒にいるイラン人を狙っているようにも見える。そのとばっちりで日本人がぶつけられているように見える。私たちは幸い、せりだした二階席の下の奥(最後部)にいたため標的にはならなかった。

 ゴール裏の日本人サポーター席の両側には緩衝地帯が設けられている。そこに黄色いジャケットをつけた警察官が立つ。しかしあまりにも人数が少ない。言い訳程度の人数だ。私たちの横のその緩衝地帯にイラン人女性が10人程度座ってくる。そばにいた現地在住の日本人女性が教えてくれる。彼女たちはフットサル女子イラン代表選手たちだったのだ。観戦を希望してなんとか認められたらしい。とてもきれいな女の子たちだ。彼女たちを見つけて記念撮影を申し込む日本人サポーターたち。それを見つけていっせいに怒号を浴びせるイラン人サポーターたち。「こわい!」。あっちでやってくれよ。

 選手たちがアップのためにピッチに現れる。「ピー」という高音と大歓声がイランの選手たちに浴びせられる。日本のスタジアムで聞いたらブーイングに取れるような猛烈なブリュームの大音量だ。日本選手には低音の激しいブーイングの洗礼を浴びる。陸上トラックがもしなければ、恐怖でいっぱいの大変なプレッシャーだろう。

 さらにイラン人の応援は激しさを増す。ボート漕ぎのような動きを連続して行う。それも大声を出しながらだ。こんなに多くの観衆がサボりもせずにイランに声援を送る。ここはやはり世界最大のアウェーといっていいかもしれない。キックオフ時間が近づき、選手が入場してくる。コーランが流されたあと、君が代。大声で歌った。そしてイラン国歌。スタジアム全体に大音響が広がる。



 さあ試合が始まる。イランは初戦のバーレーン戦とは見違えるような激しさで日本選手に襲い掛かる。やられた俊輔に気を取られているうちにハシェミアンの先制点を見逃してしまう。抱き合うイラン選手たちのそばに花火が放り込まれる。すぐそばに落ちひやりとさせられる。ゴール裏にいるカメラマンたちも興奮状態でスタンドに向かって煽るようなしぐさをしている。「写真とれよ!」。イラン人がいろいろなものを日本人スタンドめがけて投げてくる。警官たちも興奮状態で試合に気持ちが行ってしまっている様子。「警備しろよ!」

 後半、福西のボレーで追いつく日本。スタジアムを一瞬の静寂が包む。さあ何が飛んでくるかと思ったら、何も飛んでこない。急におとなしくなってしまったイラン人たち。同点にされて、シュンとなってしまうとは、意外だった。日本人スタンドは大喜びで握手、ハグがあちこちで見られる。しかしそれもつかの間、日本を突き放すハシェミアンのヘッドが決まる。日本人サポーターにまたもモノが投げられる。さすがに警官もほっておけないと何人かが連行されていく。

 日本が必死に攻めるが、同点はかなわず試合終了。イラン人たちはスタンドに居残ってずっと喜びを表現するのかと思ったら、ものすごい勢いでどんどん人が消えていく。帰りが込むせいなのだろうか。そんなに急ぐから数人の死者が出てしまったのだろうか。

 乗ってきたバスに再度乗り込み、バスは空港へ向かう。しかしここから、イラン人のダメ押し嫌がらせが始まる。バスに近寄り、ドンドンとボディや窓を叩く。右手人差し指と中指で「2」、左人差し指で「1」を作って日本のサポーターたちに勝利を誇示してみせる。若い連中だけではない。子どもから年寄りまで寄ってたかって「2−1」のサインを送ってくる。敗戦直後の落胆からさらに悔しさが高まっていく。カーテンを閉めて目を閉じることにする。それでもボディを叩き続けるイラン人。

 こんなにもハイテンションのイラン人たち。飲酒が許されない国でよかった。奴らに酒が入ったら・・・と思うとぞーっとする。アラーの神が彼らに飲酒を許さない理由が垣間見られたような気がする。



 空港へ到着。またもひたすらフライトの時間を待つことになる。配られた軽食(サンドイッチ)を貪り食っていると、空港ロビーに大歓声が起こった。どうやらイラン選手たちが着いたようだ。北朝鮮とのアウェー戦に向けて試合直後にもかかわらず移動するようだ。そばで見るイラン選手たちはさすがに見事な体躯をしている。そして印象的だったアリ・カリミ。プレーも鮮やかなドリブルで個性的だが、曽ケ端、秋田も真っ青の「アゴ」がことさら目立つ。遠目から見てもすぐ彼だとわかるほどだ。ちょっと近づきにくい感じがする。

 疲れて壁にもたれているイバンコビッチ監督を見つけ、「Congratulations!」と握手を求める。大変うれしそうに「Thank You!」と答えてくれた。かつてあのイラク戦翌日ドーハの空港で、韓国代表・洪明甫に同様に握手を求めたことをふと思い出した。あの時のミョンボ同様に戦いを終えた男のすがすがしい笑顔だった。この旅でまたひとついい思い出が増えた。

 帰りのフライトは東向きの風に乗るため、ぐっと短く9時間の旅。今度は関空(OZAKA)に降りるので帰宅は楽だ。しかしこの後の戦いを考えてしまったせいか、行きよりもなかなか寝付けなかった。キャビン・アテンダントの真正面座席だったのもその理由だ。眠っているときはいいのだが、目を開けているときはどうしても彼女を見ざるを得ない。顔、胸、足、いったいどこを見ればいいの?教えて、編集長!

 機を離れる際にその彼女と話す。彼女は試合を見られるはずだと思って代表ユニを持参したとのこと。せっかくテヘランまできたのに試合観戦はかなわず、とても残念そうであった。私もあなたと観戦したかったと、思ったが言葉には出さなかった。バーレーン戦にも行くと言うと、うらやましがられた。彼女もどうやら80万人というチケット申し込み者のうちの一人だったようだ。

 さあ、敗戦は忘れて30日のバーレーン戦だ。大丈夫、日本の選手たちはやってくれる。そう自分に言い聞かせながら帰宅を急いだ。

(了)
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