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  私の中の日本代表 <前へ次へindexへ>
2002world.com特別企画「私の中の日本代表」
起死回生の同点弾。ワールドカップへの道はつながったか?
プレイバック1998フランスW杯アジア最終予選Bグループ 第5戦 ウズベキスタン代表vs.日本代表

1997年10月11日(土)17:00キックオフ タシケント・パフタコールスタジアム 観衆/40,000人
試合結果/ウズベキスタン代表1−1日本代表(前0−1、後1−0)
得点経過/[ウズベキスタン]カムバラリエフ(31分)、[日本]呂比須(89分)


文/中倉一志

 時計の針は、まもなく90分をさそうとしていた。カズ、呂比須、城の3トップに加えて、秋田までを前線にあげて総攻撃をかける日本。なりふりかまわず前線にロングボールを放り込み、パワープレーで強引にウズベキスタンゴールをこじ開けようとしている。1点のビハインドを追って懸命の反撃を試みる日本。もう時間はない。ここで敗れてはフランス行きは絶望になってしまう。

 井原がロングボールを前線にフィードする。呂比須がヘッドでゴール前に落とす。しかし、ボールは走り込んできたカズには合わない。万事休すか。その時、信じられないことが起こった。カズの動きに惑わされたのか、それとも単なるミスだったのか、ゴール前に落ちたボールは、ウズベキスタンのGKの股間をすり抜け、ころころとゴールに向かって行くではないか。ゴールだ。一瞬、何が起こったのか我が目を疑ったが、確かにゴールだ。

 挑んでも挑んでも、こじ開けることが出来なかったウズベキスタンのゴールだったが、意外な形で、いとも簡単に崩れた。更に逆転を狙ってロングボールをゴール前に集める日本。しかし、あまりにも時間がなさすぎた。無情にも終了を告げるホイッスルが響き渡る。うなだれる日本イレブン。勝たなければならない試合であったが、日本は、またも引き分けに終わってしまった。この瞬間、日本の自力2位の可能性は消えた。

 しかし、このゴールの先に、フランスの明かりが微かに見えたように感じたのは、私だけではあるまい。確かに、数字の上では、フランス行きの可能性が低くなったことは事実だ。だが何かが変わりつつある、わずかながらだか、流れが日本に傾きつつある。そんな可能性を感じさせる貴重なゴールだった。それは、不細工なゴールだった。そして、日本が最終予選で初めて見せた、泥臭い、しかし気持ちの入ったゴールだった。



 一週間前、日本サッカー協会は大鉈を振るった。加茂監督の更迭、岡田コーチの監督昇格、そして長沼会長の辞意表明。このニュースは日本中を駆け巡った。「当然だ」「遅過ぎる」「何でこんな時期に」。当然のように賛否両論、様々な意見が噴出した。しかし、JFAはフランス行きをかけて最後の切り札を切ったのだ。危険は承知の上。いつまでも不甲斐ない戦いを続ける代表を生き返らせるために、最後の賭けに出た。

 この協会の決断に、新生日本は応えた。試合前に「戦う気持ちを前面に出して戦う」「100%、すべてを出して戦いたい」、そう語っていた代表イレブンの気持ちは本物だった。開始直後から、ウズベキスタンに激しく当たりファールを犯す日本。そこには、きれいに戦おうとしていた今までの日本の姿はなく、なりふりかまわず勝負に挑む戦う男たちの姿があった。前半の1分には、井原がイエローカードをもらう。これでUAE戦は出場停止だ。

 しかし、そんなことを気にしているそぶりはない。明日のことを考える余裕はない。今日の戦いに勝利しなければ、明日の戦いを戦う権利は生まれて来ないのだ。目の前の勝負にすべてをかける姿が、そこにはあった。中田の代わりに先発した森島は、グランド狭しと動き回る。そして2列目から前線に飛び出しては、再三チャンスを作りだす。呂比須に代わって出場した城もボールによく絡み、MF陣も積極的にミドルシュートを放つ。

 開始3分には、GKとの1対1を森島が決められず、17分の城のゴールはオフサイドの判定で取り消される等、今日もチャンスを決めきれない日本だが、今までのような自信無げな態度は見られない。次のチャンスに向けて、集中力を切らさず戦いを続けている。31分にはカムバラリエフに見事なミドルシュートを決められて、先制点を許す。後半になると、ウズベキスタンにボールを回されて日本はボールを奪えない。中盤のルーズボールも、ことごとく拾われてペースがつかめない場面もあった。中田、呂比須を投入し4−3−3の布陣をとっても、ウズベキスタンの厚い壁は崩せない。しかし、戦う気持ちを前面に出して戦う岡田ジャパンの集中力は切れなかった。



 どんなに不格好でも、戦術的に優れた部分を見せられなくても、彼らはゴールに向かって走り続けていた。その気持ちが、同点ゴールをうんだのだった。終了間際の失点ばかりを繰り返していた日本が、終了間際に1点を奪い返すという結果を掴んだのだ。この時イレブンは「終了のホイッスルがなるまで、何が起こるか分からない」ということの意味を、本当に知っただろう。

 もちろん、勝たなければいけない試合を引き分けたのだから、満足のいく結果ではない。また、試合内容は、いつものようにひどいものだった。開始直後こそは、高い位置でのプレスからボールを奪ってカウンターを仕掛ける場面が見られたが、次第にラインが間延びし、いつものように中盤に大きなスペースが空いてしまった。

 ウズベキスタンのエース、カシモフをフリーにしてしまい、このスペースをつかれて再三ピンチを招いていたし、ゴール前に人数を揃えながら2列目の選手を捕まえきれないのも、今までと同様だ。カムバラリエフの先制点も、この悪い癖をつかれてのものだった。4−3−3の布陣に変更しても、お互いのコンビネーションが合わず、チャンスを作れなかった。

 しかし、ピッチに立つイレブンは、いつもと違っていた。そして、イレブンばかりでなく、岡田新監督も交代選手枠をフルに使い、徹底して攻撃的な采配を採る等、ブラウン管には、勝利に執着する代表の姿が映し出されていた。アジア杯以降、戦う気持ちがないことを何度となく指摘されてきた日本。W杯出場経験のある外国籍選手や、監督経験者から、日本のW杯出場の鍵は、精神面にあると言われ続けていた日本。その日本が、勝利に対する執念を前面に押し出した。敗戦という最悪の結果を避け、W杯出場の可能性に首の皮1枚で踏みとどまることが出来たのは、度重なる戦いの末に身につけた精神力であったのだ。



 もちろん、サッカーは精神力だけで勝てるスポーツではない。フランス行きを決めるには、戦術の修正や、代表選手の入替えも必要だろう。しかし、日本の欠点と見られていた精神面でのひ弱さが克服出来たという意味で、このウズベキスタン戦は収穫があったと言えるだろう。日本は、この戦う気持ちを手に入れるために、韓国戦を含めて3試合も費やしてしまった。その間失った勝ち点は7。これが高い代償となるのか、フランス行きの授業料となるのかは、これからの3試合にかかっている。岡田ジャパンは、きっとこの答を出してくれることだろう。

 代表チームは、一つの答を出してくれた。しかし、大切なことは、この答をこれからの3試合に生かして、フランス行きの切符を掴むことだ。そのためには、代表チームだけにとどまらず、日本のサッカーに関わる者すべてが、心を一つにしなければならない。選手だけでなく、周りの人間すべてが強い気持ちを持たなければ、W杯出場の夢はかなわない。W杯とはそういうものなのだ。それならば、我々のやることはただ一つ。代表を信じ、最後の瞬間まで応援し続けることだ。何度も言うようだか、今の我々がやらなければならないのは、ただそれだけだ。がんばれ日本!!がんばれサポーター!!


※このレポートは、筆者がアマチュア時代に「online magazine 2002japan サポーター観戦記」に掲載されたものを加筆・修正したものです。
(ウズベキスタン代表) (日本代表)
GK: ブガロ GK: 川口能活
DF: アシュルマトフ、フョードルフ、カムバラリエフ DF: 秋田豊、井原正巳、斉藤俊秀(53分/呂比須ワグナー)
MF: マリファリエフ、ビルマトフ、レベデフ、シルショフ(55分/シャイマルダノフ)、カシモフ(46分/バザロフ) MF: 名良橋晃、山口素弘、名波浩(79分/中西英輔)、相馬直樹、森島寛晃(53分/中田英寿)
FW: シュクイリン、シャツィフ(85分/マタリエフ) FW: 城彰二、三浦知義
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