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  私の中の日本代表 <前へ次へindexへ>
2002world.com特別企画「私の中の日本代表」
遂に開いた世界への扉。日本代表、フランスへ!!
プレイバック1998フランスW杯アジア最終予選 第三代表決定戦 日本代表vs.イラン代表

1997年11月16日(日) ジョホールバル・ラルキンスタジアム 観衆/20,000人
試合結果/日本代表3−2イラン代表(前1−0、後1−2、延前0−0、延後1−0)
得点経過/[日本]中山(39分)、[イラン]アジジ(46分)、アリ・ダエイ(59分)、[日本]城(76分)、岡野(118分)


文/中倉一志

 試合は既に延長後半に入っていた。もはや完全に足の止まったイランに怒涛の攻撃を仕掛ける日本。しかし、長きにわたって日本の前に立ちはだかった、厚い、重い扉はまだ開かない。何度となく訪れる決定的なチャンスにも、シュートはイランゴールを捕らえることが出来ないでいる。だが、サポーターと一体になって戦う彼らは、決してうなだれることなく、前へ、前へと進んでいく。そして、遂に扉が開かれる瞬間がやってきた。

 延長後半の13分。中盤のやや左寄りでボールを受けた中田がドリブルで切り込んで行く。ただ中田を見送るだけのイランDFを尻目に渾身の力を込めてシュートを放つ。イランGKが何とか反応したものの、ボールをはじくのが精一杯。そこへ、俊足岡野が飛び込んできた。あとはゴールへ押し込むだけでよかった。W杯史上初のゴールデンゴール。それは日本にフランス行きの切符をプレゼントしてくれた。

 もう何がなんだかわからなかった。岡田監督を先頭にベンチを飛び出す選手たち。ピッチの上で抱き合って喜びを表している。スタンドで叫び声を上げるサポーター。何を叫んでいるのかわからなかった。遂に歴史が変わった。世界への扉が、いま開かれたのだ。



 この日のジョホールバル・ラルキンスタジアムは、完全に日本のホームだった。臨時便を4本も増発して日本からやってきたサポーターは、ゆうに10,000人を超えていた。現地に在住する日本人を含めると、スタンドの9割が日本人だ。TVから聞こえてくるのは、お馴染みになった日本コールと「フランスへ行こう」の大合唱ばかり。日本の勝利を信じ、W杯の夢をあきらめず、そして、どんな時でも、代表をサポートし続けた本当のサポーターが集まっていた。彼らの目標はただ一つ。フランスを目指し、代表と共に戦うことだけだ。

 TVカメラが切り替わり、イレブンの表情が映し出される。胸に手を当てて君が代を歌うカズ。中山も井原も、いや選手全員が君が代を歌っている。代表の誇りと名誉を賭けて、戦いに臨む彼らの視線は、確実にフランスを捕らえていた。彼らの脳裏には、もはや「勝利」の二文字以外、何の雑念もなかったに違いない。

 岡田監督の姿がアップになる。4年前、NHKのスタジオで、イラク戦のコメントを求められて「ちょっと勘弁して下さい」と涙ぐみ、一言も話すことが出来なかった岡田監督。その彼が、今日は代表の指揮を執る。彼にとっての4年間の答えが、いま出ようとしている。

 TVの実況は山本浩アナ。まだサッカーが日本で認知されていない頃から、静かで熱い語り口で感動を伝え続けた名物アナウンサーだ。日本が戦う時、いつも彼がいた。世界の厚い壁が何度も日本の前進を阻んでも、彼は日本を見守り続けた。いつか日本が世界へはばたく日を信じて、静かに熱く見守り続けていたのだ。彼もまたW杯出場を夢見る一人だ。
 センターサークルで中山が「よっしゃ」と叫ぶ。それぞれ人の、それぞれの想いを乗せた最後の戦いが、いま始まった。



「自分たちのサッカーをして勝利を勝ち取る」とする日本は、今日も4−4−2。加茂元監督が目指したゾーンプレスでフランス行きを勝ち取るつもりだ。対するイランは3−4−3。右サイドのマハダビキアをFWの位置まで上げ、相馬をDFラインに釘付けにするつもりらしい。しかし、これは日本の思うつぼだった。立ち上がりから高い位置で積極的にプレスをかける日本は、マハダビキアが上がったために出来た中盤のスペースを自由に使って、試合を支配していく。

 また、DFの集中力も高く、アジア最高の2トップと称されるアジジとダエイに仕事をさせない。特に、今予選で急成長した秋田は、ダエイをしっかり捕らえて離さない。ゲームは完全に日本のペースだ。そして、39分。中田のスルーパスに反応した中山が待望の先制点を挙げ、日本は1−0で前半を折り返した。しかし、フランス行きは簡単には決まらなかった。後半開始早々、井原のミスをきっかけに、同点に追いつかれると、続く59分にはダエイの見事なシュートが、日本ゴールを割ってしまったのだ。あっという間の逆転。一瞬スタンドには静寂が訪れた。

 しかし、ここからが今までの日本とは違っていた。決して下を向かない日本は、再度、反撃を開始する。逆転を許した直後に、カズ、中山を下げ、呂比須と城を投入。動きの鈍ってきたイランに対して怒涛の攻撃を繰り返す。そして76分、遂に同点に追いついた。中田のピンポイントパスを、城がヘッドでゴールに叩き込んだのだ。歓喜の渦に包まれるラルキンスタジアム。時間はあと14分。十分に逆転は可能だ。スタジアムのボルテージは最高潮に達している。



 勢いに乗る日本は、決定的なチャンスを作り続け、フランスへの扉をこじ開けようとする。イランは全く動けなくなっている。日本の勝利は時間の問題だ。スタンドのサポーターも、TVの前で応援している者も、誰もがそう思っていた。しかし、日本はゴールを奪うことが出来ず、決着は延長戦へ突入した。開きそうで開かないフランスへの扉。サッカーの神様は、最後の試練を日本に与えているようだ。

 延長戦に備える日本ベンチ。岡田監督は腕組みをして何やら考え込んでいる。そして突然、岡野を呼んだ。今まで全く出番のなかった岡野を、最後の切り札として投入することを決断したのだ。もう交代枠はない。日本はすべてを岡野に託したのだ。日本中の期待を担って、岡野がピッチの上に飛び出していった。スタンドには岡野コールが巻き起こった。

 岡田監督の期待通り、岡野の俊足はイラン守備陣をずたずたに切り裂いた。相手DFを置き去りにして、何度もGKと1対1の場面を作り出した。こぼれ球にも猛然と突っ込んだ。しかし、シュートはゴールを割ることが出来ない。どうしたのだ。誰が蹴っても入りそうなシュートすら、ことごとく外れていく。「これほどまでにフランスの扉は厚いのか。」思わず山本浩アナウンサーがつぶやいた。しかし、誰も下を向かない。倒れても、倒れてもゴールをめがけて走っていく。ピッチの上で戦うイレブンには、もう勝利しか見えていなかった。そして、遂に延長後半13分。日本はフランスへの扉をこじ開けたのだ。



 長い道程だった。「ドーハの悲劇」から4年。いや、W杯スイス大会出場を賭けて、韓国と初めて戦ってから44年。遂に歴史が変わったのだ。そして、歴史が変わる過程で、日本は多くのものを学んだ。加茂元監督の更迭。サポーターと称する者の暴動騒ぎ。JFAのどたばた劇。そして心無い一部のメディアによるサッカーバッシングとも思える報道。代表をめぐる環境は、決して万全ではなかった。

 しかし、その逆境の中で、代表もサポーターも、見違えるほど成長していった。言葉で上手く言い表すことが出来ないが、確実に何かが変わった。サッカーの神様は、その何かを教えるために44年もの時間を我々に課したのかもしれない。そして今、我々はおぼろげながら、その何かを掴んだのだ。だが、これで終わりではない。今こそが新しい歴史の始まりなのだ。我々はまだ扉を開けたに過ぎない。ようやく世界の入り口に差し掛かっただけなのだ。これからは、やっと掴んだ何かを明らかにする戦いが待っている。挑戦はまだまだ続く。がんばれ日本。


※このレポートは、筆者がアマチュア時代に「online magazine 2002japan サポーター観戦記」に掲載されたものを加筆・修正したものです。
(日本代表) (イラン代表)
GK: 川口能活 GK: アベドザデ
DF: 名良橋晃、秋田豊、井原正巳、相馬直樹 DF: ハクプール、ペイラバニ、オスタドアサドリ(55分/ミナバンド)
MF: 山口素弘、中田英寿、名波浩、北沢豪(91分/岡野雅行) MF: ザリンチェフ(65分/バシャルザデ)、エスティリ、モトラグ(80分/モディロスタ)、マンスリアン
FW: 中山雅史(63分/呂比須ワグナー)、三浦知義(63分/城彰二) FW: マハダビキア、アリ・ダエイ、アジジ
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