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 札幌からのメール 03/06/01 (日) <次へindexへ>

 ボールの行く先


 文・写真/笹田啓子
 4月になったばかりの新潟市陸上競技場。
 うすい灰色の空からまっすぐに、さあさあ落ちてくる雨の粒が競技場のまわりにいくつもの水溜りをつくってる。雨の日は景色がぜんたい無彩色、だけどスタンドはチームカラーのそろいの合羽に染められるから、そこだけは晴れの日よりもかえって色鮮やかで。

 この競技場に来るのは2000年末、J2最終戦のとき以来。そのころはゴール裏を占める「一部の塊」でしかなかったオレンジ色は、今やそのほぼ全体を覆っている。この日の結構な雨脚の中でさえ、新潟のファンは熱心にスタジアムに足を運んでくる。新潟の街中にはアルビレックスの試合告知ポスターがいたるところに貼られていて、J1昇格という夢への期待の大きさを、わたしのような他チームファンにでさえ、いや他チームのファンだからこそ?強烈にアピールしてくる。

 地方のチームのホームタウンを試合で訪れて、その街に地元のクラブが根付いているとスタジアムの内外で感じられる場面に出会うのは、それがいかなライバルチームであっても、ひそかに私を幸せな気持ちにさせる。けれどこの日、新潟−札幌の試合のときだけは、そんなふうに幸せを感じる気分になれないでいた。



 もしこの日新潟へ行くという予定がなくて、旅券の手配を済ませていなければ、同じ時間に私は応援ファッションではなく喪服を着ていたはずだった。
 試合前日の朝、起きてテレビをつけると殺人事件を伝えるニュース。キャスターが読み上げた被害者の名前は、会社が長年付き合いのあった社長さんとおなじだった。そしてそれは、同姓同名の別人ということも、なかった。

 会社からは都合のつく一部の人が葬儀に参列することになり、私は予定通り新潟へ行った。けれど気持ちは当然のことながら試合どころではなかったし、知り合いがこんなカタチで亡くなったというときに、私はのんきに応援なんかしてていいんだろうか。身近な人の突然の、しかも悲劇的と言える死を目の前にしたら、好きなチームを応援に行く自分が、ひどくくだらなく思えた。

 考えても考えても「応援していいんだよ」という答えが自分の中から出てこない。
 でも、キックオフの笛が鳴ると、わたしはいつもと変わらぬように立ち上がり応援のコールを上げてしまう。悲しい気持ちを消すことは出来ないけど、頑張れって思う気持ちを押し殺すこともできない。試合に勝って嬉しい気持ちでいっぱいになるのも、その嬉しい気持ちが浮き立てないような想いがあるのも、そのときの気持ちのすべてで、答えでも理屈でもないなにかが、自分の中に確かにあって。



 わたしがボールを追って一喜一憂しているこの瞬間にも、どこかで誰かが深い悲しみに暮れている。けれど逆に私が悲しいときでも、そんなこととは全く関係なしに誰かがボールを追っていく。それは止むことなく流れていく時間というものの中で、立ち止まることのできない私達に与えられた残酷さと、優しさ。

 世の中すべてのかなしいことの、そのいちいちに心を痛めることは間違いなくできなくて。ただ自分の心に触れたもの、全体の中ではほんとうに些細なものにだけ想いを走らせ、生きているってなんだろう、サッカーってなんだろう、私達ってなんだろう、そんなことを考えながら、目の前を通り過ぎていくすべてのことを、ただじっと見つめていく。なんの弔いにも、なんの慰めにもならなくても。無意味なことなどこの世の中に、なにひとつとて無いのだとじぶんの心に刻むため。ただたった、それだけのためでも。


 ふたたびボールを追う。
 見つめるボールの行く先は喜びだけでは決してない。
 それでも私は、ボールの行方を見守る。
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