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非情なノックアウト

UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝2nd leg FCバルセロナvs.ユベントスFC
2003年4月22日(火)20:45キックオフ カンプノウ(バルセロナ)


文・写真/ふかえ まさひろ

 4月21日、イベリア航空で空路マドリッドからバルセロナへ。機中から見えた地中海に胸高鳴る。
 イースターマンデー(マドリッドは学校だけが休みだが、カタルーニャ自治州では祝日)のバルセロナは、バール以外の商店がほとんど閉まっていた。こんな街の光景、日本ではもはや1月1日くらいだな、と思うくらい見事な閉まりっぷり。

 早速、ガイドの方に評判がいい、と聞いたオリンピック港のレストラン「マリーナ・モンチョス」へ(屋上に大きな玉が乗ってるビルで、「地球の歩き方」にも載っています。) 有名人も多数訪れるらしく写真がたくさん。俳優は名前がわからないが、バスケットのアメリカドリームチーム、カントナ、リバウドにフィーゴ(無論、バルサ時代)の写真も。明るい雰囲気で料理もお酒もおいしく満足。ここでカヴァ(発泡ワイン)に結構酔ったのだが、湿度が低いせいか、店を出て2、3分歩いたらすぐに酔いが覚めた。

 どんよりした天候だったマドリッドと違い、バルセロナは絵に書いたような晴天。祝日、気温20度ということもあり、地中海の海岸には多数の人が寝そべってた。トップレスで。(特に北欧からの観光客にとっては、20度イコール夏で、みんなすぐ脱ぐんだそうな)
 カテドラル(大聖堂)前の広場では、この週行われていた男子テニスの「シートオープン」のイベントで、エキシビジョンマッチが。実はカルロス・モヤ、ラファエル・ナダルといった、テニスファンにとってはよだれものの結構なメンツがいたのは後で知った始末。

          

 試合当日、サグラダ・ファミリアの塔に登ってバルセロナ市街を見ていると、下のほうから声が。見ると50人くらいの集団で、白黒のシャツやマフラーを身につけて「♪オーレーオレオレオレー ユーヴェー ユーヴェー」・・・。
 またこの日は市内を循環している2階建て観光バスで周ったのだが、グエル公園からバスに乗ったら、2階席にはユーヴェのウルトラご一行様がいて、ユーヴェのウルトラと行くバルセロナツアーに(苦笑)。なんでも、ユヴェンティーノ3,000人がバルセロナに来ていたらしい。

 試合当日のスポーツ紙。ムンド・デポルティーボはすっかり信頼を取り戻したルイス・エンリケの写真と「Baaarca!」「TOTS AL CAMP(スタジアムに行こう、の意。有名なバルサのイムノの歌いだし)」、同じくユーヴェとの対戦だった85-86シーズンのチャンピオンズカップ準々決勝(120,013人のカンプノウ動員記録。1−0勝利)のチケットと人文字の写真も。スポルトはビッグイヤー写真と「BARCA! BARCA! BARCA!」・・・・さすが(笑)。

 夕方にスタジアムへ。地下鉄のコイブラン駅からアパートや商店の立ち並ぶ路地を少々歩く。街路樹などでカンプノウは見えないが、徐々に気分は高まる。周辺の露店を見てるうちにどんどん人が増えてくる。反対側から来た人々が、みんなカタルーニャの旗を持っていた。どうもマリア・クリスティーナ駅周辺で配っていた模様。私も欲しかったが、やっぱりカタルーニャ人が持ったほうがよかろうと思い、特に探さなかった。でも試合後やっぱり欲しくなって探したが、これが見事に1枚も落ちてなかった。

 カンプノウ外側のゲート周辺では、数人の若い女性がビラ配り、なにやら聞いてから封筒を配ってる人も。落ちていたものをチェックしたら、会長選挙候補者の「後援会会員募集」みたいなチラシ。ヌュネス元会長の功績を引き継ぐ云々というのがあった。おそらく女性はバイトで、ソシオかどうかを聞いてたのだろう。いかにもバルサ、と感心した反面、重要な決戦前なのに、という思いもちょっとだけした。

          

 UEFA主催ゲームなので、セキュリティチェックは厳しいかな?と思ったが、バックチェックひとつなし。ペットボトルもそのまま持ち込めたのには拍子抜け。
 ゲート下に貼ってある各ペーニャ(ファンクラブ)のエンブレムの数に感心したり、正面ゲートにいたFordの着ぐるみマスコットは可愛さ微妙...と思ったり、オフィシャルショップが閉まっていたのやCLのテーマCD、パンフが売っていないこと(出発前に読んだ某海外サッカー雑誌には、会場でCD売ってる、とかいてあったのに、嘘つき)にがっかりしつつ、中へ。

 憧れのカンプノウ。とにかく巨大なスタンド、目の前でアップをする選手、ゴール裏には、これも見た事あるひげと太鼓腹のおじいさん、BGMはイムノのアップテンポバージョン、結構よかったがCDには入ってなく残念。試合まで30分をきり、ようやく日が暮れてきたとき、カンプノウに大音量で鳴り響いたのはクイーンの名曲「バルセロナ」。感動的な光景、場所に、これ以上なくぴったりな感動的な曲。もうそれだけで少し泣きたい気分に。

 スタンドが埋まってきた20時42分、ついにあのイントロが。一斉に発煙筒が焚かれるゴール裏。「FORCA BARCA!」の人文字でいっせいに彩られるバックスタンド。チャンピオンズリーグではイムノは1番しか流れないので、写真をとりながら一生懸命に歌っていたら、夢のような54秒はあっという間。それから選手入場、チャンピオンズリーグのテーマと進み、決戦開始。

          

 席はメインスタンド1階の奥のほうだったので、ピッチは見えるが、2階席が出っ張っているので空やスタンドの上の方がまったく見えない状況。今後行かれる方、1階15列以降は要注意。まあ、席があいてれば移動したのだが。 
 そんな席だったので逆に見えたこと。バルサ選手が目の前でファウルなど受けようものなら、前の列も一斉に総立ちになっての罵声の嵐。あまりにも揃ったタイミングに、横の日本人はついていけてなかったが。でもちょっとしたらみんな座ってまた観戦。

 一方、いいパスが何本かつながって、最後のシュートが惜しくも外れたときは、全員で「ウィー!」、その後みんなで拍手。帰国後すぐJリーグを見に行ったら、いいプレーへの拍手がほとんどない、やっても数人なのに気づいて、スペインの観客の雰囲気とレベルに感心。まあ、試合でヘマしたらベルナベウでのフラビオ・コンセイソンみたいになるのだが。

 意外?だったのは、ユーヴェのゴールが決まったときの歓声。あれ?と思ったら、バックスタンド最上段のみならず、メインスタンドにも結構な数のユヴェンティーノが陣取っていて、試合中は黙って座っていたが、ゴールが決まったときはその場所だけ一斉に立ち上がって喜んでいた。特にトラブルはなかった模様だが。

          

 試合内容は・・・。後半以降は一方的にバルサが攻める→シュート決められず→ウィー+拍手の繰り返し。ダービッツ退場以降は、攻めるバルサvsユーヴェのカテナチオの構図がより鮮明に。延長後半、ゴール前で持ちすぎて、1人少ないユーヴェだから、狙っているカウンターに入られる前に決めろーー!と思ったらカウンター食らってThe end・・・。

 一部を除いて静まり返るスタンド、一斉に席を立つ観客、残り6分は、FCバルセロナの今シーズンの終わりと、CLへのしばしの別れを告げる残酷な儀式にしか思えなかった。
 試合終了後も延々と雄たけびを上げるユヴェンティーノ、カタルーニャの旗をマントみたいにして持ち帰る人々と、宴の後のカンプノウを見ていたら、周辺はすっかり人がいなくなり、0時過ぎに慌てて駅に行き、電車に飛び乗ったらそれが終電だった。街角には、深夜なのに早くもサン・ジョルディの日(注)でバラの花の露店が出ていた。

 ホテルでバレンシア−インテルを見て、FMラジオを聞くと、バルサの敗因についての激論を交わしていた。それを見聞きして、さらにがっかり。バルサもバレンシアも、試合内容では完全に勝っていたのにトーナメントからは脱落。まさに「悲惨なさよなら(ムンド)」「不公平なKO(スポルト)」としか言い様のない結果だった。
 一方、さすがマルカは「(盲腸で入院した)ラウールのために点とるぜbyロナウド」と、マドリー戦しか眼中にない模様。 
 翌日、カンプノウで練習前後の選手や監督と握手したり、サインをもらえる幸運に与れたが、さすがにみな暗い表情でした。来シーズン、何人が残っているのやら・・・・・。

          

(注)サン・ジョルディの日・・・・
 日本では、書店業界が盛んにアピールしているが、元々はカタルーニャの伝説で、生贄の姫を救うために龍と戦った騎士、サン・ジョルディの命日。龍の血が落ちた地面から赤いバラが咲いたとの伝説があり、また、「ドンキホーテ」の作者セルバンテスと同じ命日なので、本と女性には赤いバラを贈るのが風習。街中に本と赤いバラの露店が建ち並ぶ、祝日ではないがカタルーニャの一大イベント。23日朝のワイド番組も、露店が建ち並ぶランブラス通りから生中継してた。

おまけ
 カンプノウから歩いて15分くらいの所にある「Real Club de Tenis Barcelona-1899」で、ちょうど男子テニスの「シート オープン」(シートはスペインの大衆車)をやっていた。スペインなのでもちろんクレーコートで、全仏オープンの前哨戦の意味合いもある大会。事前イベントでバルサのプジョールがテニスやったり、バルセロナとエスパニョールの選手・関係者、元会長(ガスパールが22日に来たらしい)も見に来る大会で、せっかくだから、とテニスに何の知識もないまま行ったのだが、「ランキング上位の地元選手だから」と思って見たモヤ、ファン・カルロス・フェレイロに「帰りがけにたまたまやってた」ブライアン兄弟の試合、とそれなりに楽しんだ。帰国後テニスファンの知人に言うと大騒ぎに。全仏オープンをTVで見て、終了後のATP Champions Raceを見ると、フェレイロとブライアン兄弟が全仏優勝でシングルとダブルス1位になっていた(モヤは4位に)。
 ちょっともったいないことをしたな、とあらかじめの知識の重要性を痛感した次第です。

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