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 サッカーのある風景 03/11/21 (金) <前へ次へindexへ>

 子どもたちのふたつの面


 文/竹井義彦
 前回に続いて近況報告から。
 10月からはじまった第35回横浜国際チビッ子サッカー大会の予選リーグも11月の最初に終わった。2日目を終えて3勝1分で3チームが並ぶ混戦になり、私がコーチをしている駒林サッカークラブの3年生チームは得失点差で2位とまずまずの成績で最終日を迎えることができた。しかし、最終日の対戦相手は、2試合とも同じく3勝1分の成績のチーム。なんのことはない、強豪チームとの戦いが最終日に集中してしまったということになったわけだ。

 第1試合は、とてもいい試合だった。開始早々スローインからのボールをつながれて、ペナルティアークあたりから蹴り込まれたボレーシュートが決まって1失点。その後、ほぼこちらのペースで試合が展開できただけに、結果的にはとても重い1点となってしまった。この試合では、ポジショニングのしっかりした相手チームに対して、チーム全体でまとまった戦いができていた。ボールへの寄りや相手選手への詰めなどスピードの点でも精神的な部分でも相手に勝っていて、とてもアグレッシブな試合が展開できたと思う。けれど、1点が獲れずに0−1で敗戦。

 第2試合も拮抗した試合になった。細かなパスをつないでくる第1試合の相手とは違い、ロングキックも使ってくる相手だったが、走り負けすることなく、自分たちのサッカーがやれていた。しかし、後半の途中からだろうか、さすがにスタミナが切れてきて、少しずつ、ほんのわずかだが寄りが遅くなり、詰めが甘くなっていき、失点してしまった。2点目はコロコロと勢いのないボールがゴールラインを越えたそんなゴールだった。結局、0−2で敗戦し、3勝2敗1分ということで、予選リーグは3位に終わった。

 4年生単独だったり、3年生が混ざっているとはいえほとんどが4年生のチームに対して、3年生単独チームとしてはよく頑張ったなぁ、と子どもたちを誉めてあげたいそんな予選リーグだった。



 子どもたちの頑張りが直に伝わってくるのが、試合中のアクシデントに対するリアクションだ。たとえばプレイの最中、顔面にボールが当たることがある。競っているときにボールが突然弾んで顔に当たったときなんかは、予測できないことなので、かなり痛いはずだ。しかも鼻を直撃すると、鼻血が出ることもしばしば。この最終日の第1試合でも、サイドハーフの子の顔面にボールが当たった。

 すごいなぁ、と私が思うのは、この子の反応だ。ひとしきりプレイが終わった後、顔を上げたままサイドライン際まで足早に走ってきて、ひとこと。
「鼻血」
 もちろん出血したままではプレイはできない。これは大人でも子どもでもルールで決まっていることだ。すぐに主審にその旨を告げ、ベンチに呼び戻した。
 痛い、とかではなく「鼻血」と告げ、止まったらすぐに試合に戻りたいというその子の気持ちに、私は胸が熱くなった。結局、この試合、彼は再びピッチに戻ることはなかった。鼻血がなかなか止まりそうになかったからだ。

 第2試合では、ディフェンスの子が身体を張って相手のシュートを止めた。それはまさしく身体を張ったプレイで、強烈なミドルシュートのコースに身体を投げ出すよう放り込み、シュートを防いでくれた。強烈なボールが身体に当たった瞬間、その子は言葉にならない叫び声を上げていた。
 かなり痛かったのだろう。そのすぐ後もピンチが続いたので、しかしプレイを止めることはなかったが、脇腹をしきりに押さえている。すぐに選手交代をしたが、この子は、それまで張りつめていた気持ちが緩んだのか、ピッチから外に出た瞬間、泣き顔になったが、ベンチに座るとそんなことを忘れてチームメイトに大きな声をかけていた。
 こんな子どもたちのひたむきな気持ちが、私に少年サッカーのコーチをやらせ続けているのかもしれない。



 もちろん、子どもたちが見せるのはこういう良い面だけではない。むしろ普段は、いけない面が全面に出ていることの方が多いかもしれない。
 仲間が一生懸命、試合をしているのに、ベンチで口げんかをしていたり、地面に絵を描いていたり、砂遊びをしていたり、小石を投げ合ったり。それこそ、例をあげればきりがないほどだ。

 練習中だって同じだ。並ばせれば、前後の子が言い合いをはじめたり、砂を掛け合ったりする。コーンに寄りかかったり、ゲームの話に夢中になっている子だっている。なるべく、そういうことにならないように、私は少人数のグループに分け、少しでも待っている時間が短くなるようにしている。してはいるんだが、これが駄目なのだ。ちょっと目を離したときに、言い合いをしている。練習で使うコーンに寄りかかったり、跨ったりしてふざける。こんなことがしょっちゅうだ。

 考えてみれば小学校3年生は、まだまだ感情がむき出しのままで、その時、その場所に応じてどう行動したらいいのかということを学んでいる最中なのだ。口を酸っぱくして、コーンは敵のディフェンダーの代わりなんだと諭しても、彼らにしてみれば跨って遊ぶ道具に見えてしまうのだろう。

 しかし、コーンに跨っていてはサッカーの練習ができない。そこで何度も注意する。が、子どもたちは聞いてはいるんだが、やはり言うことが聞けない。そして、最後には私が怒鳴りつけるしかなくなってしまう。最初の怒鳴り声はさすがに効果がある。しかし、その日それで終わるかというとそうでもない。気がつけば、また怒鳴っていることになる。2度目の怒鳴り声は、その効果が半減している。怒鳴ることを繰り返せば繰り返すほど効果は減っていき、反比例するように私はむなしさを募らせることになる。サッカーのことで注意したりするのではなく、練習態度だったり、仲間とのいざこざを怒るのだから、私はいったいここで何をしているんだろうと、ふと素になってしまうのだ。



 毎日毎日、顔を合わせるたびに怒鳴らなければいけないわけではない。子どもたちにもリズムがあるようで、まったく注意する必要などない日だって確かにある。しかし、どちらかという、やはり注意したり叱ったり怒らなければいけない日の方が、まだまだ多いのも事実だ。

 私が話をしようとしても子どもたちがおしゃべりに夢中で、聞く耳を持たないときには、ただ黙って立っているようにすることもある。いつまで経ってもなにも始まらない。そのうち仲間同士で「話やめろよ」などと注意しあうようになり、静かになることがある。怒鳴っても効果がないときには、黙ったままただ立っているというのも、使える手ではある。が、最後の手段は、やはり愛の鞭ということになるのだろうか。

 子どもの親からは、悪いことをしたらビシビシ叱ってくださいと、言われる。私も自分の子どもがチームにいた頃はそう考えていたし、逆の立場なら率先してそう頼んだだろう。けれど、そうは言われても、やはり人様の子に手を挙げるわけにはいかない。
 やはり、その手前できちんと注意するなり、叱るなり、怒る方法を収得する必要があるんだろう。さすがに、もう何年も子どもたちを見ているコーチになると、そのあたりの塩梅が実に巧い人が多い。叱るタイミングなんかのツボを心得ているんだろう。チーム全体をがちっと掴んでいる。そんな感じで練習させている。



 態度が悪かったり、仲間と悪ふざけをするのはサッカーに関係ないから無視していれば。という考えもあるだろう。サッカーの練習だけさせておけばいいのでは、と。ところが、そういうわけにはいかないのだ。きちんとコーチに叱られたり、怒られたりしていない子の中には、人を舐める子が出てくることがあるのだ。
「サッカーが巧ければいいじゃないか」
 もし、子どもがそう勘違いしたらとんでもないことになってしまう。サッカープレイヤーである前に人間としてきちんしていなければいけないからであり、それはサッカーのプレイにも悪影響を及ぼしてしまうことだからだ。

 サッカーはどこまでいってもチームスポーツだ。個人競技ではなく、チームが戦うスポーツなのだ。人のことをきちんと考え、その立場などを理解する努力ができなければ、チームの中に入ってプレイすることなど不可能といってもいいだろう。サッカーは11人揃わなければ、いや、ベンチも含めてチーム全員が、それぞれ相手のことを理解して、行動できてはじめて成立するスポーツなのだ。それがなければ、ただの球蹴り遊びでしかない。

 チームのために、できることを精一杯やる。それをきちん理解する上でも、注意したり叱ったり、怒ることは必要なのだ。そのためにも、私もチームをがちっと掴むコツを会得する必要があるかもしれない。まだまだ経験が足りない私だから、時間はかかるかもしれないけど。
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