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 福岡通信 01/04/20 (金) <前へ次へindexへ>

 山下復活!再び覚醒の時。


 文/中倉一志
 サポーターが長く待ち望んだ瞬間、それは66分にやってきた。バデアからビスコンティ、そして中払へ。福岡の攻撃を担う3人のパス交換が広島のDFラインを切り裂いた。そして中払から中央へ。そこには山下が走りこんでいた。戸惑うことなく振り出される山下の右足。インフロント気味にボールを捉えたその右足から放たれたシュートは、軽いカーブを描きながら、必死に伸ばした下田の手を弾き飛ばしてゴールネットを揺らした。「未完の大器」山下が復活を遂げた瞬間だった。

 シュートの上手さには定評のある山下らしく、いとも簡単にゴールに蹴りこんだ。しかし、ボールにあわせてゴール前に飛び込むタイミング、ダイレクトで的確にボールを捉える技術。どれをとっても、364日前の柏戦で挙げたあのワールドクラスのゴールに匹敵するものだった。そして、アシストもあの日と同じ中払だった。耐えに耐えた364日間。そしてやってきた喜びの瞬間。山下自身にとって、これほど嬉しいゴールはなかったはずだ。

 昨年の6月17日。福岡の地元誌の仕事で山下のもとを訪れた。その溢れる才能の全貌を表しつつあった「未完の大器」と言われ続けた男に話を聞くためだった。まだ怪我の回復のためのリハビリを行なっている最中だったが、その表情は明るかった。チーム関係者も、夏には帰って来れそうだと話していた。実際、山下自身も回復に手応えを感じていたようで、シドニー五輪出場に強い意欲を見せ、そして、自らのシーズン得点記録を上回りたいと話していた。

 しかし、山下は帰ってこなかった。怪我の回復は遅れ、いつまでたってもボールを蹴ることが出来なかった。その時の取材では、「今年は変わらなくちゃいけない。節目の年だし、5年目っていうことで。自分で積極的にゴールを目指しているんで去年とは違いますよ」と語ってくれた山下。しかし、その姿をサポーターの前に見せることができなかった。その悔しさは、どんな言葉を使ってみたところで表現できるものではないだろう。



 悲劇が起こったのは2000年4月22日のG大阪戦。「試合中に相手の足を思いっきり蹴っちゃって、ただの打撲くらいかなと思ってた」と言う山下は、この試合で90分間プレー。山下だけではなく誰も怪我には気づかなかった。しかし、結果は右ひざ蓋骨下極骨折。全治1ヵ月半と診断された。ピッコリ監督指揮のもと、チームが生まれ変わりつつある時期、そして、山下自身のゴールへの嗅覚が研ぎ澄まされつつある時期での出来事だった。

 選手生活の中で初めてといえる大怪我。そのショックは計り知れない。当初は2nd stage開幕にあわせての復帰を目指し、順調に回復しているかのようにも思えた。しかし、記者席左側のスタンドでホームゲームを観戦する山下は、いつまでたっても足を引きずりながら歩くだけ。その姿は声をかけるのもはばかられた。そして、骨折は右ひざ蓋腱炎を併発し、11月には自らの身体にメスを入れなければならなくなっていた。

 怪我でその才能を棒に振った選手たちは大勢いる。良くなるはずがいつまで経っても回復しない現状に、さすがの山下も焦りがあったはずだ。しかし、人気選手の宿命か、そんな気持ちとは裏腹に、雑誌のインタビューや、地元福岡でのトークショー等、様々なところに引っ張り出された。もともと寡黙な山下だ。ましてリハビリ中で本来の仕事である自分のプレーを見せることが出来ないのだ。しかし嫌な顔ひとつせず、彼はファンにさわやかな笑顔を送りつづけた。

 その陰で、彼は厳しく辛いリハビリを続けていた。やがて来る復活の日を信じて、強い意志で取り組んでいたことだろう。そして2001年4月4日、彼は遂にピッチの上に姿を現した。ナビスコカップ1回戦第1戦、58分のことだった。「怪我をして大きくなった選手はたくさんいる。自分も怪我をプラスにしなければいけないと思っていた」と言う山下は、この試合でいきなり結果を出す。交代出場から3分後、ビスコンティのスルーパスを受けて、右足でゴールネットを揺らしたのだった。



 そして迎えた第5節の広島戦、とうとう山下は358日ぶりにリーグ戦に戻ってきた。服部と2トップを組んで先発出場した山下は、開始早々から軽快なプレーを披露。1年間のブランクを全く感じさせない。柔らかいボールタッチ、相手を背にしてのポストプレー、そしてゴール前へ迫るスピード、どれをとっても、あの山下と少しも変わってはいなかった。驚くべきことだ。来るべき日に備えて相当な準備をしてきたこと、そして、逞しい精神力を身に付けたことは明らかだった。

 最初の見せ場は36分、三浦からのクロスボールをヘッドで折り返し、ビスコンティの先制点を演出した。しかし、チームは試合の主導権を握りながら不安定さを解消しきれない守備のためリズムを掴みきることができない。後半開始早々には久保にPKを決められて同点に追いつかれる。どことなく嫌なムードが漂っている。そんな展開の中、66分に冒頭のゴールを決めて、福岡は再び1点のリードを奪い取った。

 続く75分、山下はチームにとって貴重な得点となる3点目をたたき出す。中盤でボールを奪ったバデアがそのままドリブルで突進。広島DFを引き付けると、右側を平走してきた山下にラストパスを出す。山下の放ったシュートは一度は下田にプロックされたが、その跳ね返りを落着いてニアサイドに蹴りこんだ。DFとGKに詰められて、ほとんどシュートコースは塞がれていたが、僅かなコースを見つけて蹴りこんだゴールだった。

 終わってみれば1アシスト2得点の大活躍。85分に篠田と交代し振る出場は果たせなかったが、これ以上ない復活劇を演じて見せた。試合後、「あとから実感がわいてくるんでしょうね。久しぶりの遠征でホテルの過ごし方を忘れてました」と語った山下だったが、プレーは全く変わっていなにかった。それどころか、1年ぶりの出場にもかかわらず、落ち着き払って平然とプレーするその姿に、一回り大きくなった山下を感じたのは私だけではあるまい。



 18日に行われたナビスコカップの1回戦第2戦は大事を取って欠場。さすがに1週間に2試合をこなすフィジカルの強さは戻っていないのかもしれない。しかし、29日に行われる東京V戦では、博多の森の満員のサポーターの前に、その逞しい姿を現すはずだ。ここまでの2試合はいずれもアウェイでの戦い。福岡で生まれ、福岡で育った山下にとって、博多の森のピッチに立つこと、ゴールを決めることで本当の意味での復活劇が終了する。

 そして、山下の本当の意味での戦いはこれから始まる。彼にとって、これはまだ序章に過ぎない。やらなければならないことは山ほどあるのだ。クラブ生え抜きのエースFWとして得点を量産すること、彼をカリスマと呼ぶサポーターたちの期待にこたえること、そしてなにより、昨年達成するはずだった目標を1日も早く実現し、次なるステップに向けて大きく飛躍することだ。それは簡単なことではないかもしれないが、それを実現する力を山下は持っている。

 昨年、彼のもとを訪れた時、77年会(1977年生まれの選手の集まり。中払・久永・江口・川口・牛鼻らがいる)がやらなくてはいけない、そして、優勝は遠い目標ではない、優勝を味わってみたいとも言っていた。残念ながら、昨年は怪我のために目標に向かってプレーすることが出来なかったが、今年は、そんな思いをボールにぶつけてプレーしてくれるに違いない。そして、必ずやクラブを上位に進出させてくれることだろう。

 まだシーズンは始まったばかり。現在、福岡は1つ負け越しているが、まだまだ巻き返しのチャンスは十分にある。山下という選手を得た福岡は、きっと今年もJリーグに旋風を起してくれるに違いない。そして、その主役となることが山下に求められていることなのだ。それを演じてみせてこそ、山下の辛い長かったリハビリ生活が終わりを告げる。そしてその時こそが、「未完の大器」が覚醒する時だ。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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