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 福岡通信 01/05/11 (金) <前へ次へindexへ>

 立ち上がれ、サガン鳥栖。


 文/中倉一志
 サガン鳥栖が勝てない。ここまで10試合を戦って3分7敗。第5節の大宮戦では、敗れたとはいえ今シーズン一番とも思える出来で大宮を苦しめ、連敗脱出も近いかと思われたが、続く水戸戦で痛恨の引き分け。その後、再び迷路に迷い込んだように2連敗し、前節の山形戦では、1人少ない山形に対してシュート32本を浴びせるという猛攻も実らずに0−0で引き分けた。さすがのサポーターたちも堪忍袋の尾が切れる寸前だ。(いや、もう切れているのかもしれないが)

 原因は明白。戦力が整わないからだ。鳥栖のシーズン前の構想は、1トップに片渕か富永を置く3−6−1。2列目には小石と東を置き、ボランチは北内に矢部。WBに有村と島岡を配し、最終ラインは松田、川前、佐藤(陽)の不動の3人。ゴールマウスは前田が守るはずだった。三原の後釜として獲得した鈴木は消極的なプレーが目立ち、また、新たに獲得した若い選手たちは「まだ自信がない。プロのレベルじゃない」とのことで、当面は起用は難しいと考えられていた。

 ところが、シーズン前にレギュラーメンバーと目されていた選手たちに怪我人が続出。ここまでまともに出場しているのは、最終ラインの3人と有村、北内の5人だけ。加えて前田は予想以上の経験不足を露呈した。これでは思い通りに戦えるはずはない。総得点の6はJリーグを通じて最低のゴール数。そして総失点17のうち、前後半の終了間際、あるいは後半立ち上がりの俗に言う「危険な時間帯」に実に14ゴールを奪われている。

 何故ここまで怪我人が出たのかという問題はあるにせよ、結果として、これだけ戦力が整わなければ采配も何もあったものじゃない。上位チームとの戦力差は明らかで、怪我人が復帰してくるまでは手の打ちようがない。そりよりも気になるのは、鳥栖のチームカラーであった一生懸命さまで失われつつあることだ。鳥栖サポーターの多くは「選手たちが最後まで頑張る姿に惹かれた」と口にする。しかし、その良さが消えつつある。



 いい内容の試合をしても結果は敗戦。自信を無くして連敗し、再び頑張りを見せても結果がついてこず、結局自信を無くす。さらには、技術的な問題で思うようにプレーできないという側面もある。こうした八方塞状態が選手たちの脱力感を招き下を向かせてしまっているのかもしれない。頑張っても結果が出ないことが無力感を増大しているのかもしれない。そんな彼らを鼓舞するような選手は、若返った鳥栖には存在していないようだ。

 こんな現状に、シーズンオフに大量の選手が退団したことを批判する声も多い。しかし、それはやむを得ないことだ。ルシアノと三原はレンタル移籍。鳥栖が主導権を取ってチームに残せるわけではない。高嵜の移籍は活躍が認められてJ1にジャンプアップしてのもの。様々な事情があったのだろうが小林はJリーグから離れた。こうした選手たちをクラブに残せなかったからといって、その責任をクラブや監督に求めては酷というものだろう。

 また、そのほかの選手たちはチームのレギュラーを勤めていた選手たちではない。それでも、いまの若手よりも「使える選手」という指摘もある。確かにそういう側面はあるが、鳥栖というクラブを囲む環境を考えたとき、彼らをクラブに残せば若手選手たちを獲得することは出来ない。それでは、1〜2年はそこそこ凌げても、選手たちの衰えとともに鳥栖は弱体化する。ただ遅いか早いかのことだけで、根本の問題は何も解決しない。

 そんな中で、高祖監督、そしてフロントが求めたのは若手を育てながら戦うこと。確かに昨年よりはチーム力は落ちるが、もっと戦えるチームに育て上げる計画と見込みがあったはずだ。それは、鳥栖が今後長きに渡ってJリーグで活動していくためには必要な方向転換でもあった。しかし結果はご覧の通り。開幕までにチームを戦える状態に仕上げることが求められていたにもかかわらず、それが出来なかった。問われるべきはこの点だ。



 ただし、その責任は監督やフロント、そして一部の選手だけにあるのではない。サッカーというのはチームスポーツ。フロント、監督、現場スタッフ、そして選手たち全員の力の集合がチームの力だ。それぞれが責任を持って役割を全うし、欠けているところは全員でカバーする。そこに甘えは許されない。それがサッカーをやる上での鉄則。誰かが手を抜き、誰かがカバーする精神を失えば、あとは坂道を転がり落ちるだけだ。

 いま、サガン鳥栖がしなければならないことは、現状を直視すること、そして、その現状に真っ向からぶつかることだけだ。何故勝てないのか。何故チームとしてのまとまりがもてないのか。どうして、いままでのように最後まで必死にボールが追えないのか。人のせいにするのではなく、自分の問題として考えなければならない。その上で何か方法を探さなければならない。特効薬も、誰かの手助けもない。自分たちの力で戦うしか道はない。

 出来ないことを嘆くのではなく、自分たちにできることを最大限に出すこと。限界はあるかもしれないが、自分たちにできることを、どうやって活かせば勝利を得ることができるのか考えること。それをやらなければ何も始まらない。リーダーがいないのならば自分がなればいい。ふがいないプレーをしたのなら、次のプレーで取り返せばいい。そういう前向きな姿勢こそが大事なのだ。

 正直に言って、他のクラブと比較すれば、技術的に未熟なところもある。チーム戦術も決して他のクラブより高いというわけでもない。ではどうしたらいいのか。答えは決まっている。「このチームは走り負けたら何もない」。楚輪前監督は、よくこの言葉を口にした。何もなければ、そうするしかないではないか。不恰好でもいい、笑われてもいい。相手が嫌がるほどボールを追い掛け回し、常にアグレッシブに向かっていけば必ず道は見えてくる。



 有名選手がいるわけではない。金もない。練習場だってままならない。そんなことはいまに始まったことじゃない。鳥栖は最初からそうだったのだ。しかし、そんな環境であっても、持てる全てを出してこそプロなのだ。また、ある意味では、そんな環境を作っているのも自分たち自身なのだ。それならば、自分たちでその壁に向かってぶつかっていかなければ何も変わらない。はるか遠い未来の夢に向かって全力で立ち向かう。それがサガン鳥栖ではなかったか。

 昨シーズンの活躍は三原によるところが大きかったとは言え、それも常にアグレッシブにチャレンジするというプレースタイルがあったからこそだ。しかし、その原点を無くしては全ては水の泡。プロの世界は紙一重。少しでも隙を見せれば、あっという間に差をつけられるものだ。鳥栖の原点を見失ってしまったら勝てなくなるのも当たり前。いくら低迷しているとは言っても、そのくらいのことは理解していると信じたい。

 昨年はチームをまとめた高祖監督に対しても、批判の声がチラホラと聞こえ始めた。チーム状態がよければ誰でも前向きに物事を捉えるが、そうでなければ、後ろを向く者も出てくる。そんな厳しい状況の中で、どうチームをまとめるか、それが監督の手腕の見せどころ。いまこそが、ブラジルで苦労をした経験を活かす時だ。どんな時でも前向きな発言しかしない高祖監督のこと、ここからチームを立て直してくれることを切に望みたい。

 そして選手たちに対しては、もう一度前を向いて戦うことを望みたい。まさか、現状にどっぷりと漬かってしまったわけではないだろう。どんな状況にあっても、例えサポーターから激しく批判されようとも、それをプレーで打ち消してくれるのがプロと言うものだ。失敗を嘆くのではなく、常にチャレンジしていくのがプロなのだ。サポーターは、そんなプロらしい戦いを見せてくれることを望んでいる。日曜日こそ、彼らがプロであることを示してくれることを信じて鳥栖スタジアムに出かけようと思う。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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