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 福岡通信 01/05/18 (金) <前へ次へindexへ>

 どこへ行く、大分トリニータ。


 文/中倉一志
 石崎監督更迭。5月15日、ショッキングなニュースがトリニータ・サポーターを襲った。昇格候補筆頭と言われて臨んだ今シーズンの成績は、第1クールを終えて首位と勝ち点6差の7位。昇格に危機感を抱いたフロントが大なたをふるったのだ。フロントは石崎監督のコメントとして次の言葉を発表した。「このような状況の時は何か変化を与えなければならない。私が辞めるという変化を与えることにより、選手達も気持ちを切り替えて、残りの33試合、力を合わせてJ1昇格を目指し頑張って欲しい」

 石崎監督は広島工高、東京農業大を経て、当時JSL2部の東芝でプレー。その後、指導者に転身し、1995年からモンテディオ山形の監督に就任。JFL13位で引き継いだ山形を3位まで導びき、その手腕はサポーターのみならず、サッカー関係者の間でも高い評価を得ていた。そして1999年、J2開幕の年に大分トリニータの監督に就任すると、前年のJFL6位から3位に躍進。勝ち点1差で昇格を逃したものの、評判どおりの策士振りを見せた。

 勢いに乗るトリニータは、3年計画だったJ1への昇格を2年に変更。14人もの大型補強を敢行して2000年シーズンに臨んだ。しかし、思うように勝ち星を伸ばせない。なんとか後半に追い上げ、最終戦の結果次第でJ1昇格というところまで迫ったが、結局は、再び勝ち点1の差に涙を飲んだ。そして迎えた2001年シーズン。トリニータは、再び大型補強を敢行。スターレンス、崔文植、クビツァらを獲得し、悲願のJ1昇格に向けて歩き始めた。

 しかし、開幕戦で大宮アルディージャに敗戦。いきなり躓いた。各メディアが圧倒的なJ1昇格候補にあげていたのに反し、チームは全くと言っていいほど出来上がっていなかった。第9節からはリベロを勤めていたスターレンスをボランチにコンバート。これが効を奏して川崎F、湘南を連破し波に乗ったかと思えたが、第10節で仙台に敗れると、続く山形戦にも敗れて2連敗。急遽、対策を協議したフロントは石崎監督の更迭に踏み切った。



 今回の決定にサポーターたちの多くは大きなショックを受けている。サポータたちは、弱小チームだったトリニータをJ1昇格候補までに成長させた手腕に感謝しているばかりでなく、その温かい人柄にほれ込んでいたからだ。しかも、成績不振とはいえ首位との勝ち点差は6。残り試合が33試合もあることを考えると、その差はないに等しい。更に昇格争いは過去に類を見ない混戦模様。どのチームにも図抜けた強さがない。勝負はまだまだ横一線だった。

 何故?どうして?これが大分サポーターの偽らざる思いだ。トリニータ系のHPの掲示板は、そうしたサポーターの怒りの声であふれている。いや、そればかりか、他のチームの多くのサポーターからも今回の決定に対する疑問の声が寄せられている。監督だけに責任を取らせるのはフロントの横暴だとするもの。W杯のためにトリニータを利用しようとしていると批判するもの。三位一体は名ばかりだとするもの。その多くは行政やフロントに対する批判ばかりだ。

 中には、オランダ人のファン・デ・レム氏が7月から監督に就任するのではという驚くような情報も寄せられていた。レム氏は現オランダ代表・ファンハール監督の右腕として知られており、アヤックス、バルセロナと常にファンハールと行動をともにした人物。この件は、既にイサイズ・スポーツでも報じられているが、サポーターからの情報は、それより1日早いものだった。その情報によれば、地元紙ではその事実を4月に報じており、当初予定されていた2002年シーズンからの就任が、前倒しになったと言うものだった。

 今回の監督更迭についてフロントは何もコメントを出していない。また、混乱を心配してか、石崎前監督も沈黙を守ったまま。事の真相は定かではない。しかしサポーターにとっては、あまりにも唐突な出来事だったことだけは確かだ。そしてまた、様々な批判は、いままでおおっぴらに語られることはなかったが、いろんなところで囁かれていたことも事実だ。J1昇格という夢に向かって進まなければならない大分は、いま大きく揺れている。



「プロの世界では結果が出なければ仕方がない」。監督が更迭されるたびに繰り返される常套句だ。しかし、サッカーというものはチームスポーツ。決して、監督1人の力だけでチームがどうなるものでもない。確かに監督の指導力の影響は大きいが、それだけではない。大切なことは現状の課題はどこに原因があって、どうすればその原因を解決するかを検討すること。首のすげ替えだけでは単なるカンフル剤にしかならず、薬が切れれば問題はまた顕在化してくる。

 チームが入れ代わってしまうのではないかと思われるほどの大幅な補強を実行した昨シーズン。しかし結果は出なかった。最終節の記者会見で記者の質問に答えた石崎監督は、メンバーを大幅に変えてスタートしたため、コンビネーションが上手くいかなかったことを明かした。そして、メンバーを入れ替えたために、それなりのリスクを負わなければならなかったとも語っていた。しかし、今年も大幅な補強を敢行。チームはコンビネーションが整わないままにシーズンを迎えた。

 また、おとなしい選手が多いことをあげて、日本人としてリーダーシップを取れる選手の必要性を訴えていた。昨年のチームキャプテンを務めたのはシジクレイ。しかし、言葉の問題もあり、日本人で、試合中にリーダーシップを取れる選手を補強してくれれば、若手も伸びてチームはもっとよくなるとも語っていた。しかし、今年の補強の目玉はベルギーの至宝、スターレンス。今年も日本人でリーダーシップを取る選手は出て来ていない。

 2年連続してJ1昇格を逃した石崎トリニータ。しかし、若手の成長に石崎元監督は手応えを感じていた。その選手たちをベースにチームを育て、そんな若手たちを引っ張ってくれるベテラン日本人選手の獲得を望んでいた石崎元監督。昨年の最終節の記者会見後、記者たちに囲まれて、「フロントに意見具申するか」と問われて、「難しいですけどね」と一言呟いた呟いた石崎元監督。その時の姿が思い起こされる。



 またこんなこともあった。昨シーズン第39節の浦和戦。J1昇格の夢をかけた大切な試合でのことだった。昇格を争う直接対決とあって大分市営陸上競技場は過去にない大勢の報道陣で賑わった。それを目当てにしたわけでもないだろうが、スタジアム内にはいたるところにW杯のポスターが。そしてW杯推進室の面々が、報道陣に盛んにPRを繰り返していた。確かに大事なことだ。しかし、この日はJ1昇格をかけた大一番。何かが違うと感じたのは私だけだったろうか。

 以前、W杯推進室の方に取材させていただいた時、大分はペイントハウスだけではなく、実は700もの協賛企業が支えていること、そして、不十分だとは言え、他のJリーグよりも地域に密着しているというお話を伺った。しかし、駅前の中心街では、今でもトリニータのポスターを見ることは出来ない。スタジアム行きのバス乗り場の表示もなく、駅の中のtotoの販売所にすらトリニータの試合日程表はない。ただ目立っていたのは、県庁に続く道に、キリンカップで日本代表が大分で戦うことを告げる横断幕だけだった。

 そして今年のシーズン前、地元紙にショッキングなニュースが掲載された。大分市営陸上競技場がJリーグの基準を満たしていないため、今シーズンのJリーグの開催を許可しないというものだった。3年前に時間をかけながら改修するという約束をしながら、いっこうに改修の動きがないことにJリーグが不満を表したのだ。しかし、そんなことは聞いていないとする行政側。最終的には試合は開催されているが、開幕戦のピッチは緑とは程遠いものだった。

 トリニータはW杯のためにあるのではない。何かに利用するためにあるのではない。地域の住民がスポーツに触れ、スポーツの素晴らしさを感じ、スポーツを通じてコミュニケーションができるようになるためにある。そして、地域の誇りをかけて選手たちは戦っている。もう一度、原点を見直すことが必要ではないか。スタジアムに張り出された「俺たちの誇り」という横断幕の意味を、もう一度考え直さなければならないのではないか。それが、志半ばにしてチームを去っていく石崎元監督への礼儀ではないか。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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