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 福岡通信 01/06/08 (金) <前へ次へindexへ>

 暖かな人たちとビッグスワン


 文/中倉一志
 東京から新幹線に乗って2時間あまり。新幹線の右側にひときわ大きな建物が見えてくる。新潟スタジアム、通称「ビッグスワン」。新潟県が夢の舞台「W杯」に備えて建設した総合競技場だ。緑に色づいた水田の真中に立ち尽くす姿は威風堂々と言う言葉がぴったり。建築面積36,700uは国立霞ヶ丘競技場とほぼ同じだが、総敷地面積は約6倍にあたる462,000u。このスタジアムの周りに大きく広がるスペースが、ビッグスワンを一層巨大なものに感じさせる。

 しかし、それでいてどこか優雅さを漂わせているのは流線型の屋根のおかげだろう。鳥屋野潟に飛来する白鳥の姿をイメージしたというその屋根は、巨大なスタジアムをすっぽりと包み込み、「世界へ羽ばたく新潟をアピールしている」という言葉通り、いまにも優雅に舞い上がりそうな気配を漂わせている。シャトルバスの発着所からゲートをくぐってスタジアムに行くまでの距離も程よく、その距離感が適度に気分を高揚させてくれる。

 スタジアムの外側の通路をまわって入場ゲートにたどり着くと、ここでも素晴らしい景観を眺めることができる。スタンドに続く入場ゲートが幅広く、しかも奥行きがやや深いため、入場ゲートから中を覗くと、前方に、まるで映画のスクリーンに映し出されたようなピッチとスタンドが目に飛び込んでくる。そして、薄暗い入場ゲートを一歩、一歩進んでいくと、その景色は次第に目の前に大きく広がり、やがてスタジアムが全貌を現す。

 絨毯のように整備された芝。適度な傾斜により距離感を感じさせないスタンド。ここで満員の観衆が超一流のプレーに酔いしれることを想像しただけで、思わず興奮してしまいそうなくらいだ。陸上トラックが併設されているため(現段階では未完成)、臨場感という意味ではカシマサッカースタジアムにかなわないが、それは決してマイナス点にはなっていない。これだけのスタジアムなら、世界のサッカーフリークも納得するに違いない。



 約43,200人の観客を収容する、地上5階、高さ約32.5mのスタンドは2層構造。スタンド2層目の4、5階席は選手の動きをよく捉えられるようにフィールドにせり出し、1層目よりも、その傾斜は急角度になっている。2層式のスタンドでは上層部の席の方が見やすいといわれているが、ここも例外ではない。むしろ、かなり見やすいといっていいだろう。なにしろ、階段を下りるときに下を見ると、怖いくらいに傾斜がつけられているのだ。

 そしてメインスタンドから見て右側のバックスタンド上段には、9.6m×19.2mのオーロラビジョンが設置され、左側にはやや小ぶりの(と言ってもかなり大きいが)電光掲示板を設置。ここに映し出される映像やデータの数々は、目の前で繰り広げられる熱戦を、より一層楽しませてくれるスパイスになることだろう。そして、スタンドが屋根に包み込まれているため音響効果も抜群。湧き上がる歓声は観客を包み込み、その興奮はさらに増す。

 また、スタジアムから眺める外の景色も抜群だ。バックスタンド外側の通路から外を眺めると、左手に大きな鳥屋野潟が広がる。その鳥屋野潟から引かれた運河のようなものがスタジアムの前を横切り、その周辺は遊歩道のようになっており、ここで各国のサポーターたちが交流することを想像するだけでも楽しい。そして、正面に広がる新潟県スポーツ公園の緑も美しい。夜になり街頭に明かりが灯されると、その美しさが際立ってくる。

 こんな素晴らしいビッグスワンだが、この場所はもともとは水田地帯。現在もその周りは水田で囲まれている。そこへ出来上がった巨大スタジアム。付近の住民の方の中には戸惑いを隠せない方たちもいる。何しろ、40,000人もの人が一度に訪れるなどということは今まで一度もなかった場所だ。しかし、これをきっかけにしてサッカーを見るようになった方や、すっかりサッカーにはまった方たちもいる。代表が練習をしているかもしれないと、夜にこっそりとスタジアムを覗きに行くというおばちゃん(失礼)もいた。



 さて、私がビッグスワンを訪れたのは、コンフェデ杯一次リーグ第3戦のカメルーンvs.カナダ戦の時のこと。実を言うと、5月31日の開幕戦でシャトルバスの運行に不手際があり、多くの人たちがキックオフに間に合わなかったということを聞いていたので、その運営についてはやや懐疑的になっていた。また、日本とブラジルの準決勝進出がほぼ決定しており、完全な消化試合にどれだけの観衆が集まるのだろうという疑問もあった。

 しかし、そんなことは全て杞憂だった。まず新潟駅について驚いたことは、駅からスタジアムに続く道のいたるところにボランティアと思われる人たちが立っていたことだった。シャトルバスの発着所までは、ほぼ10m間隔にプラカードを持った人が立ち、スタジアムに行くらしい人を見つけると、積極的に声をかけて案内を買って出る。デイバッグをかついで歩く私を目ざとく見つけると、丁寧にバス乗り場までの道順を教えてくれた。

 また、試合終了後、ためしに駅まで歩いて帰ってみたのだが(約40分)、この時もいたるところに人がいる。そして、道案内の看板も設置され初めての道でも迷わない。加えて、通行人の整理をする警察やボランティアの方たちが実に親切なのだ。大勢の人に、次から次へと様々なことを尋ねられているのだが、嫌な顔ひとつしない。それどころか、急いで道路を渡ろうとすると「ごゆっくりどうぞ」と必ず声をかけてくれ、車を制止してくれた。

 運営に携わった方、警察の方、そしてボランティアの方たちの名誉のために断っておくが、シャトルバスでの運行に支障をきたしたのは初日だけ。発着所に観客が押し寄せたためにバスが立ち往生してしまったことが原因なのだが、2試合目からは見事なくらいにてきぱきと観客を誘導した。2試合目のシャトルバス利用客の最大待ち時間は20分。最終日は、試合終了約1時間後には、ほぼ観客の移動が終了している。



 心配された観客も、この日は15,882人。この数字が多いか少ないかは議論が分かれるかもしれないが、私は立派な動員数だったと思う。スタンドを見渡す限りでは、招待客や学校関係の動員と思われる人たちは殆どいなかった。殆ど消化試合、しかも同じ時間帯に日本vs.ブラジル戦が生放送されていることを考えると、かなりの動員数ではないだろうか。新潟という土地には、サッカーが盛んだというイメージはなかったが、着実にサッカーは定着しているのかもしれない。

 それは、町の中でも随所に感じられた。W杯の本番までは約1年。まだW杯一色というわけにはいかないが、いろんなところにさりげなくW杯関連のポスターや告知がある。また、W杯を町をあげて成功させようといったたぐいの告知も随分見られた。駅前には、手書きで「コンフェデ杯へ、ようこそ」と表示してある店もあり、また、古い商店街を歩くと、アルビレックス新潟のポスターも貼ってあった。

 どれだけの人がW杯に関心を持ち、そしてサッカーが好きなのかは、正直なところ分からない。しかし、今までサッカーのことは全く知らないお年寄りたちが、近所にスタジアムが出来たことでサッカーの試合を見に行くようになったという話を聞いたり、ボランティアの人たちの暖かな態度に接したりすると、確実にサッカーは地域の生活に入り込み、町の人たちが新潟で開かれるW杯を楽しんでもらいたいと考えていることが分かる。

 これと同じような雰囲気を以前一度だけ感じたことがある。Jリーグが開幕してから2年目、まだスポーツライターの仕事をする前に、ただのサッカーファンとして鹿嶋の町を尋ねたときだった。アントラーズの試合も素晴らしかったが、あの町の、さりげないサッカーに対する情熱がとても印象的だった。新潟の町に今後サッカーがどのような影響を与えるかは分からない。しかし、間違いなくサッカーは浸透し始めているようだ。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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