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 福岡通信 01/07/06 (金) <前へ次へindexへ>

 初めての代表戦。札幌と大分の風景。


 文/中倉一志
 7月1日、「北の大地」北海道の札幌の地に日本代表チームが登場した。キリンカップ第2戦、日本vs.パラグアイの試合が札幌ドームで開催されたからだ。札幌で日本代表チームが試合をするのは日本サッカー史上初めてのこと。世界で初めて人工芝のグラウンドと天然芝との転換システムを備えた札幌ドームの、サッカー使用での「柿落とし」ということもあって、スタジアムには早くから多くのサッカーファンが駆けつけた。

 まるで宇宙船のようにシルバーに輝く外観と、近未来を思わせるような作りのスタジアム内部。そして、どの席からでもピッチを一目で見渡すことができるのが、なにより素晴らしい。ダークグレーに統一されたドーム内は、やや薄暗い感じがしなくもないが、かえってそれが、中央に運び込まれた天然芝ピッチを舞台のように浮かび上がらせる。否が応でも観客の目はピッチに注がれ、歓声はドーム内に響き渡って独特の雰囲気を作りだす。

 いつものように先発メンバーが発表されると、ドーム内ではこれ以上ない拍手と歓声が沸きあがる。それがドームの内部にこだまして、大きなうねりになって響き渡る。その迫力に、場内アナウンスは全く聞こえない。やがて、FIFAアンセムとともに選手がピッチに姿を現すと、ボルテージは最高潮。そして試合はキックオフ。選手のプレーひとつ、ひとつに歓声が上がり、その声援に後押しされて、我らが代表はパラグアイを追い詰めた。

 小野の素晴らしいフィードから柳沢が先制点をゲット。そして、試合を決めた2点目も小野、柳沢のホットラインから生まれた。守ってもパラグアイに殆ど決定機を与えることなくチャンスの芽を未然に摘み取った。コンフェデ杯、Jリーグ、そしてキリンカップとハードスケジュールが続く中で、ベストパフォーマンスとはいかなかったが、実力を見せ付けての完勝に、札幌のサッカーファンは満足感一杯にドームを後にしたことだろう。



 続く7月4日、日本代表はキリンカップの優勝をかけて大分に乗り込んだ。こちらも、日本代表が始めてプレーする土地だ。札幌同様、地元サッカーファンの注目度は高く、平日の水曜日、しかもナイターにも拘わらず、ビッグアイには38,147人もの観客が訪れた。スタジアムの前に長蛇の列ができるなどということは、九州のサッカーシーンではあまり見かけないが、この日だけは特別。100メートルを越す列が開場を待ちわびていた。

 既に大分トリニータと京都パープルサンガとの間で、大盛況のうちに「柿落とし」が済んでいたが、さすがに代表の試合となるとスタジアムの雰囲気はまるで違う。「柿落とし」の試合では1万人を越える招待客がいたことや、初めてサッカーを見にきたと思われるご年配の方が多かったこともあり、どこか和やかなムードが漂っていたのだが、さすがにこの日は、そんなゆったりとした空気は流れていなかった。

 懸念されていたピッチの状態もかなり回復。よく眺めると、まだ芝生を補正した後が確認できるが綺麗な緑が蘇っている。そして、そのピッチの上で感触を確かめるために代表チームの面々が顔を見せると、札幌同様、大歓声が巻き上がり、それがスタジアムの観衆を包み込んで、更に大きな輪になって響き渡る。大分では、今まで見ることの出来なかった風景だ。そして、ゴスペラーズによる君が代がスタジアムに流れ、試合が始まった。

 気温28度、湿度73%という過酷な条件が選手から体力を奪い去る。何とか動き回っていられたのは最初の15分だけで、両チームとも疲労の色が濃く、ホイッスルのたびに水を飲みにいくシーンが目立つ。特に札幌からの移動、札幌との大きな気温差、中2日というハードなスケジュールという不利な条件を課せられた日本は、いつものスピーディさがない。しかし、大分のサッカーファンの期待に応えて1−0で勝利。2年連続してキリンカップを制した。



 初めての代表チームによる試合。札幌も、大分も、大いに盛り上がり、地元サッカーファンも満足のうちにスタジアムを後にした。しかし、今まで幾度となく代表試合を観戦した人たちは、幾分違和感を感じたかもしれない。スタンドは青のシャツを身にまとった人たちで埋められ、いつもの代表戦のように大歓声が選手たちを後押しした。しかし、日本代表チームとの一体感という点では、若干、物足りなさが残ったのも確かだ。

 札幌という土地は、決してサッカーが強い土地柄ではない。また、津軽海峡から西を「内地」と呼ぶほど本州以西との距離を依然として遠く感じている。それゆえに、どこかで代表チームを「内地」のものと感じていたのかもしれない。札幌という町を、そしてコンサドーレをこよなく愛し、自分たちの誇りとして熱い思いを持つ。それでいて、「内地」からやって来る人たちを心広く受け入れる、おおらかで優しい人たち。けれど、どこかで「内地」に対して遠慮がちな、シャイな札幌の土地柄故のことなのかもしれない。

 一方大分は、J2屈指といわれるトリニータというチームを持ちながら、サッカーというスポーツに興味を持っている人たちは決して多くはない土地だ。ビッグアイの「柿落とし」の試合でも、どちらかと言うと、サッカーを見るというよりも、ビッグアイを見物にきたという風情の人たちが多かった。そこへやってきた代表の試合。いくら代表チームに魅力があるとは言っても、たった1試合で一体感を作れるほどの魅力はない。

 いまや、国立競技場や横浜国際総合競技場では当たり前になった君が代の大合唱はなく、国際Aマッチにもかかわらず、チラベルトやストイコビッチ、そしてユーゴスラビアのサビチェビッチにも、日本代表と同じくらいの大声援が送られた。スタープレーヤーのプレーには、日本、相手国の区別なく、Jリーグ初年度を思わせるようなフラッシュがたかれた。代表を応援してはいるが、それよりも夢のゲームを楽しむことが先決のようだった。



 しかし、考えてみれば、代表サポーターと呼ばれる人たちが「日本代表とともに戦う」ようになったのは、つい最近のこと。フランスW杯の予選以前は君が代を歌う人など限られていたし、中には国家斉唱の時に起立しない人だっていた。今でこそプラチナチケットになった代表戦だが、Jリーグ開幕以降も、しばらくの間は、それほど苦労もせずに手に入ったのだ。そして、多くの人たちが、代表チームというよりも、有名プレーヤーたちに目を奪われていた。

 全ては、あのW杯予選から始まった。思うように勝ち点が伸ばせない戦いに、多くの人たちがフラストレーションを抱え込んだ。サポーターも、サッカーファンも、そして協会もメディアも、誰もが勝敗の結果に一喜一憂し、希望と絶望を交互に口にした。あまりの苛立ちに、カズとサポーターが試合後に衝突したことさえあった。そんな戦いに立ち会い、時間と感情を共有していくことで、「ともに戦う」という意識が醸成されていったのだ。

 そんな戦いに立ち会ったのは国立競技場に足を運べる環境にあった人たちが大部分。代表を間近に見られないばかりか、Jリーグのチームさえなかった2つの土地に、そんな感情が醸成されなかったとしても無理はない。日本中を巻き込んだフランスW杯予選も、TV画面を通してしか見られなかった。そんな人たちが、代表チームを雲の上の存在と見るのは極めて自然なこと。応援よりも憧れが先に立つのは当然だ。

 しかし、だからこそ、この2つの土地で代表がプレーしたこと、W杯が開催されることは、とてつもなく意義があることなのだ。W杯では世界のサッカーチームが集まってくる。そのインパクトは強烈だ。そして、必ずサッカーの、そしてスポーツ文化とは何かということを考える大きなきっかけを与えてくれる。現に、この2つの土地には、札幌ドームとビッグアイという素晴らしいスタジアムが建設された。W杯を迎え、大きく変わっていくであろう2つの土地を、うらやましく思えた4日間だった。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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