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 福岡通信 01/08/31 (金) <前へ次へindexへ>

 サポートするということ


 文/中倉一志
 考えさせられた先週末だった。アビスパ福岡の大敗はもちろん、その試合で起こった様々な出来事が頭の中から離れない。一部の心無い観客による物の投げ入れ。まさか、そのせいではあるまいが、その直後に失点し、明らかにリズムを崩したアビスパ福岡。あれよ、あれよという間に3失点した福岡への応援の中止。試合後の小競り合い。そしてネット上で交わされた議論の数々。どうしてしまったんだ? そんな思いが頭の中を一杯にしている。

 サポートって何だろう。そもそも、我々はこの言葉の意味をしっかりと理解していないのかもしれない。元々、日本のスポーツ界、とりわけプロスポーツの中には「サポート」「サポーター」などという言葉は存在しなかった。それが、93年のJリーグ開幕の年に、各メディアがこぞって取り上げたのが始まりだ。プロ野球に代表されるような応援団ではなく、チームの一員としてチームを支えるという意味で使われたのが最初だったと思う。

 企業・行政・地域住民の三位一体による総合スポーツクラブ作りと、スポーツ文化の定着を目指したJリーグは、地域密着型のクラブ運営と、それを地域住民自らが支える仕組み作りを模索した。ただの観客というのではなく、単なる応援団というのでもない。クラブの一員として運営を支えてくれる人たちを育て、そんな人たちが自ら積極的に運営に参加してもらうことを目指した。そんな中から、「サポーター」という言葉が生まれた。

 しかし、大上段に構えさえしなければ、それほど難しいものではない。「サポート」とは、その言葉通り、愛するクラブチームを支えるということなのだ。その方法はいろいろとあるだろう。ピッチの上で戦う選手たちに大きな声援を送ることはもちろん、ボランティアとして活動すること、ただスタジアムに足を運ぶことだっていい。自分の出来る範囲で、自分の意志で、チームのためになることを実行することがサポートなのだと思う。



 さて、サポート活動の中で、誰でもが出来るのがスタジアムへ足を運んでチームを応援することだろう。そのスタイルは様々でいい。スタジアムのサポーターグループと一緒になって声援を送るのもいい。好きな席に座って旗を振るのでもいいだろう。また、チームの勝利を願って一心に祈るのだって立派なサポートだ。大切なのは、ピッチの上のイレブンがベストパフォーマンスを発揮できるよう、最高の環境を作り出す一助となることだ。

 そもそも、サッカーというスポーツは得点が入りにくいスポーツだ。したがって、一瞬の隙が命取りになる。しかし、90分間という時間を全て集中することはとても難しく、必ず集中力が切れる時間帯というものがある。そんな時、選手の背中に送られる大きな声援は、彼らに再び集中力溢れたプレーを取り戻すきっかけを与えることが出来る。逆に彼らの集中を切らすような行為があるとすれば、それは絶対に避けなければいけないことだ。

 また、プロ同士の戦いでは、両チームの力の差は、あったとしてもわずかなもの。たとえ優位に試合を進めていても、90分間圧倒するということはありえない。必ず押し込まれる時間帯はあるし、1度や2度のピンチはあるものだ。そんな時間帯を踏ん張れるかどうかが勝負の分かれ目。そんな時、スタジアムに起こる大声援は、相手チームにとって、とてつもなく厚い壁となり、選手たちにとっては、何物にも代えられない大きな支えとなる。

 同じように、相手のゴールを目指して攻撃している時でも、相手チームは、そう易々と最後の壁を破らせてはくれない。高い集中力と持てる力の全てを発揮して、我が愛するチームの攻撃を跳ね返すに違いない。相手も必死。そう簡単にはゴールは奪えない。そんな時、彼らを後押しする大声援は、選手たちの力を何倍にも大きくする。選手たちと一緒に押し寄せる巨大な波は、相手が跳ね返せないほどのプレッシャーを与えることだろう。



 さて、Jリーグは、それまで日本ではあまり見られることがなかった「ブーイング」というものをプロスポーツ界にもたらした。相手チームの卑怯なプレーに対してはもちろん、自分たちがサポートするチームに対しても、ふがいない戦いを見せた場合には、「愛のムチ」と称してブーイングを浴びせることもある。場合によっては、応援放棄をすることもある。単なる応援団ではなく、チームとの距離が近いサポーターだからこそ起こる行為だ。

 もちろん、こうした行為には賛否両論、様々な意見がある。愛するチームへのブーイング、あるいは応援放棄という行為は、チームの負けが混んでいるときや、相手の攻撃の前にずるずるとやられている時に起こるもの。当然、チーム状況は厳しい。そんな時だからこそ、もっと応援しようという声もある。いやいや、甘やかせては事態は変わらない。厳しく見守れという意見もある。どちらも尤も。どちらが正しいというものではないだろう。

 ただし、忘れてはならないのは、あくまでもチームをサポートするという大前提だ。全ての判断基準は、愛するチームのためになるかどうかにある。方法論は様々だ。ただし、その根底の考え方はひとつでなければならない。間違っても、ふがいない戦いに対する怒りや不満にまかせて行うことではない。チームのためになるのかどうか。そのための最善策には何があるのか。その結論としての行動でなければ、それはサポートとは呼べない。

 相手に対するブーイングも同じだと思う。サッカーは戦争ではない。チームは分かれていても、同じサッカーを愛する者同士が正々堂々と競い合うのが試合だ。サッカーを愛する気持ち。この日のために重ねてきた努力。負けたくないという意地。支えてくれる人たちへの感謝。そうしたものを胸に、誇りをかけて戦うのが試合なのだ。自分の不満に任せて誹謗・中傷を浴びせることなど許されることではない。愛するチームが堂々と戦えるよう、そして、最高のパフォーマンスを発揮できるよう後押しすることこそがサポートだ。



 応援のスタイルは様々だ。90分間立ちっ放しで声援を送り続ける方もいる。指定席で据わったまま応援する人もいるだろう。応援を止める人。1人でも声援を送りつづける人。みんなに応援をするよう声をかける人。誰もがチームをサポートしている。大切なことは、そのスタイルではなく、チームを支えるという気持ちと当事者意識だ。他人の意思ではなく、自分自身の意思で、自分の出来る範囲で、何を実行するかにある。形など問う必要はない。

 ただし、どうしても許せない行為があるとすれば、それは、ここ数試合続いている「物の投げ入れ」というルール違反だ。どんな事情があるにせよ、その行為は、ただ自分の不満をぶつけているだけのこと。チームのサポートにならないばかりか、足を引っ張ることにもなりかねない。加えて、スタジアムという空間を様々な人たちが楽しめるように設定したルールを破るということでもある。言い訳は通用しない。ルール破りは見逃せない。

 物を投げ入れる人間が、毎回、毎回、あるサポーターグループの中に立っているため、そのリーダーとグループを批判する声が上がっている。集団で行動している以上、好むと好まざるとに拘らず、リーダーにはリーダーの、集団を構成している者には構成している者の責任がある。したがって批判を受けることは致し方ないことだろう。しかし、批判されるべきは投げ入れた本人であるということ。そして、批判をする我々も、広い意味では当事者であるということを忘れてはならない。そうでなければ、またルール破りは起こる。

 さて9月15日、アビスパ福岡は再び「博多の森」に帰ってくる。その時、我々はどんなサポートが出来るだろうか。ゴールが決まるたびに、記者席でガッツポーズをするのがルール破りかどうか知らないが、私は私なりの方法で応援したいと思う。そして、それぞれの人の、それぞれの思いがこもったサポートがひとつになった時、博多の森には、あの熱狂が帰ってくるはず。その時は、多少、羽目を外して騒ぎたいと思う。ただし、ルール破りだけは、ご勘弁だ。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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