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 福岡通信 01/10/05 (金) <前へ次へindexへ>

 クラブを支える力、サガン鳥栖ボランティアスタッフ


 文/中倉一志
「いらっしゃいませ」

 入場ゲートをくぐると元気な声が響いてくる。その隣では、今日の対戦相手について尋ねられた係員が丁寧に受け答えをしている。

係員:「水戸とは、今年3戦して1勝1敗1分。前回の対戦では2−0でリードしながら、2−3で逆転負けしてしまいました」
観客:「今日はどげんね」
係員:「いやぁ、今日は大丈夫でしょう。ホームでの試合ですから」



 スタジアム内をぐるっと回ると、各入場ゲートで同じような光景に出会う。どのゲートの係員も丁寧に観客を誘導している。サガン鳥栖試合運営ボランティアスタッフ。それが彼らの正式名称だ。以前からボランティアはサガン鳥栖の運営に大きな役割を果たしていたが、更にサガン鳥栖は今年からボランティアを増強して、外部に委託していた試合運営を完全自主運営に変更。フロント、警備会社、サッカー協会とともに運営に当たっている。

 そのうちの1人の酒井さんは、かつてのサッカー青年。就職を境にサッカーから離れていたが、鳥栖へ移り住んだことで再びサッカーへの情熱に火がついた。「鳥栖スタジアムに試合を見に行ったら昔を思い出しましてね。それから応援に行くようになって、シニアのチームに入って、審判もやり始めて。それからサッカー漬ですね」。そんな時、鳥栖フューチャーズが解散し、新しくサガン鳥栖が生まれた。「自分に何か出来ることはないだろうか」。酒井さんは、ごく自然にサガン鳥栖と関わるようになる。

「アンチJリーグやったし、あんなのビジュアルだけやって思ってたし」。当時を思い出して笑いながら話してくれたのは西原さん。「でも、プロのクラブを持っている町が、そのクラブを応援することで盛り上がっている。自分の町にもクラブがあるんだから、盛り上がっていくための努力をしたいなと思ったのが始まり。そんな時クラブがなくなって、じゃあ誰かがしないと始まらないなっていうことでボランティアを始めました」。彼もサガン鳥栖設立当時からボランティアスタッフとしてサガン鳥栖の運営を支えている。



 2人が担当している仕事はゲート係。キックオフの3時間前にスタジアムに集合して会場の設営を行なった後、開場時間までの間に、様々な情報を頭に入れて開場時間を待つ。「いろんなことを尋ねてこられるお客さんがいらっしゃるんで、そういうことに、一つ一つ丁寧に答えていくのが大変です。お客さんは自分たちを社員だと思っていますから、何でも知っていると思って聞いてこられるんで」(酒井さん)。ただチケットをもぎるだけが仕事ではない。

 そこには、甘えや手抜きは許されない。ボランティアであろうと、正社員であろうと、スタジアムにやってくる観客は最高のサービスを求めてくる。何かがあれば、それは会社の責任だ。ボランティアといっても、その責任の重さは正社員のそれと全く変わらない。「社員になったつもりでやらないと、あとで大変なことになる、粗相があると。これが一番気を使うところですね」。西原さんも、責任の重さを痛感している。

 しかし、そんな役割をこなせるのも、誇りと自信があるからだ。「いろんな人がいないと成り立たない。試合を見に来てくれた、試合を見ているお客さんのための運営。それを誰かがやればいいことであって、それを自分たちがやっているだけ」(西原さん)。スタジアム内でのボランティアの仕事は、決して目立つものではない。しかし、誰かがやらなければ運営自体が成り立たない。「縁の下の力持ち」とは彼らのことを言うのだろう。

 ところで、そんなボランティアの仕事のやりがいとはなんだろう。酒井さんは、こう話す。「勝った時に帰るお客さんの後姿を見るのが、なんとも言えないんですよね。負けた時は負けた時で、肩を落として帰られるお客さんを見るのは辛いですけれど、勝った時のお客さんの笑顔とか後姿、あれがとても嬉しいです。もちろんゲームを見たいのは山々ですけれど、試合の様子はスタンドの歓声で、大体分かりますから」。



 さて、サガン鳥栖を支えている彼らにとってフロントはどのように映っているのだろうか。会社にお願いしたいことはという質問を投げかけると、2人とも「組織の強化」と答えてくれた。サガン鳥栖は、もともとサポーターの中から代表者を選んでクラブを設立した経緯がある。したがって、役員とは言えども本業は別でフロント業務に全ての力が注げない。そのため組織力がつかず、その組織も十分に機能しているとは言い難い部分もある。

 去る9月20日に行われた臨時株主総会で、サガン鳥栖は新たに外部から2人の新役員の登用を決定した。また地元紙の佐賀新聞では、今後とも新たな役員を加えて新体制を整えるのではという記事も掲載された。こうした動きは、フロント業務に専念できる人材の確保を目的としているものと思われるが、新しい血が入ることでフロントの視野が拡大し、さらには、今まで不十分だった現場の把握と理解という点でも改善につながることだろう。

 しかし、それだけで経営がドラスティックに変わるわけではない。ボランティアをはじめとする外部からサガン鳥栖を支える力は依然として必要だ。もちろん、ボランティアの面々も、その覚悟でクラブを支えていく姿勢を見せている。「新しく社長に就任する高祖監督のバックアップを他の役員の方たちにやってもらいたいし、自分たちも更にレベルアップして応援していかなきゃと思っている」。酒井さんはこう語った。

 西原さんも続ける。「最終的には独り立ちしてもらわないと。だんだん、しっかりしていかなくちゃいけないと思いますけど、うちはまだ5年ですよ、5年。まだまだ。なんでも会社が自分たちで出来るようになれば、それが一番いいこと。だけど、そこに行くまでに、うちの会社はまだ何年もかかりそうだし、だから、みんなで手伝わなくちゃいけないというところから始まってますから」。サガン鳥栖にとって、これ以上の言葉はない。



 最後に、2人にこれからの夢を聞かせてもらった。

「もともと、プロスポーツを誘致しようとした始まりが『人づくり、町づくり、夢づくり』。そういう目的で誘致したんだから、もっと町の皆さんに利用してもらいたいっていうのがあります。でも少しずつではありますが、サガン鳥栖に普及部が出来て、あちこちの園児や低学年の児童を通して広がってきているようですから、その子たちが大きくなれば、もっともっと盛んになるんじゃないかと思います。将来は鹿嶋みたいになればいいなと」(酒井さん)。

「バルセロナでしたっけ。1人、1人が支える。それこそ、その人たちの入場料収入と会費だけでやっていける。そういうふうになっていけばね。サッカーだけじゃなくて他のスポーツにも手を出していっていいわけで。大きなクラブハウスを作ってね、そこに選手がいて、一般の人たちがいて、一緒にバイクを走るようになれば、そういうのがいいなと思いますね。大きな芝生のグラウンドがあって、子供たちがそこで遊んでいる、そういうふうになりたいですよね」(西原さん)

 チームの解散という不幸な歴史の結果、産声を上げたサガン鳥栖。ない物づくしにも拘わらず、ここまでやってこれたのは、こうしたボランティアスタッフを始め、多くの人たちが手弁当の支援を続けてきたからに他ならない。親会社を持たないサガン鳥栖にとって、今後も苦しい時期が続くだろう。しかし、逆を言えば、それは市民の手で支える、市民球団を作り上げるという作業でもある。

 その作業は途方もないほどの多くの工程が必要であり、多くの苦労も強いられる。その過程では新たな問題も起こってくるだろう。実際、ここへきてクラブとサポーターのすれ違いが表面化しているが、それは、こうした膨大な作業を重ねていく上での、小さなコミュニケーション不足が重なって起こってしまったもの。決して対立などというものではないと信じたい。サガン鳥栖を大きく育てたいという思いは誰もが同じはずだ。

 こうした問題をどうやって乗り越えていくのか。それがこれからのサガン鳥栖の課題だ。では、どうやって解決するのか。西原さんは、こう話してくれた。「このままずっと同じ状態だったら甘えも出てくる。次はないだろうし。そういう危機感をもって会社の人は会社の運営をしなければいけないし、サポーターは応援しなきゃいけないし、ボランティアはボランティアで会社の経費が浮くように頑張らなくちゃいけないし、それぞれの、立場によってどうすればいいのかっていうことを考えれば、おのずと答は出てくる」。



「いらっしゃいませ」

 ゲートをくぐると大きな声で係員が観客を迎える。

観客:「今日はどげんね」
係員:「対戦相手の山形はJ1昇格を争っている強豪、今年の対戦成績は2敗1分です。でも大丈夫。今日も力の限り戦いますよ」

 今日もボランティアの面々は一生懸命に試合運営に精を出す。サガン鳥栖が1人立ちする日を、そして、鳥栖の町にスポーツ文化が根付く日を夢見て。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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