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 福岡通信 01/12/07 (金) <前へ次へindexへ>

 FIFAワールドカップTMを楽しもう。


 文/中倉一志
 12月1日、韓国の釜山展示コンベンションセンターで2002年FIFAワールドカップTMの組み合わせ抽選会が行なわれ、一次リーグ48試合の組み合わせが決った。我が日本の対戦相手はベルギー、ロシア、チュニジアの3チーム。6月4日の埼玉スタジアムでのベルギーとの試合を皮切りに、同9日には横浜国際総合競技場でロシアと、同14日には長居スタジアムでチュニジアと対戦する。いよいよワールドカップへのカウントダウンが始まった。

 翌日には「見えた!!日本全勝」などと景気のいい見出しを掲載するスポーツ紙もあったが、中々どうして、そう簡単に勝たせてくれるはずはない。過去の対戦成績など所詮は親善試合でのこと。彼らの実力はワールドカップ本大会でこそ発揮されることは賢明なる読者の方々なら既にご存知のはずだ。あのオランダが敗れた欧州予選を勝ち抜いてきたベルギーとロシア。弱いなんてことがあるわけはない。他よりはまし、そんな程度のことだ。

 トルシエ監督の友人というアンリ・ミシェル監督(チュニジア)は、「ロシア、ベルギー、日本は同じレベルでバランスが取れているが、チュニジアは少し劣っている」と控え目なコメントを残しているが、それも当てにはならない。情報量が少なく実態は不明だが、アフリカ予選では10戦して無敗。この事実がチュニジアの実力を物語っている。フランス大会でのジャマイカの例もある。知られていないから弱いという論理は成り立たない。

 そんな、どうにもこうにも癖がありそうな、そして実力を秘めていそうな3チームにどうやって勝ったものか。ああでもない、こうでもないと、いろんな考えが頭の中を駆け巡る。ある時は3戦全勝しそうな気にもなるし、とても歯が立たずに負けてしまうような不安な気持ちになることもある。考え出したらきりがないが、ずっと考え続けずにはいられない。まあ、これもワールドカップの楽しみのうち。既にワールドカップは始まっている。



 ワールドカップは言うまでもなく、世界一流の技術と技術がぶつかり合う最高の舞台。そのレベルの高いサッカーを堪能するのが一番の楽しみ方だ。しかし、それだけがワールドカップの楽しみ方ではない。大会期間は1ヶ月、その準備期間であるキャンプも含めれば、約2ヶ月間にわたって彼らは日本に滞在することになる。それに伴い、多くのサポーターも日本にやってくる。そんな外国人たちとコミュニケーションをとり、文化交流を行なうことが出来るのも、ワールドカップの大きな魅力のひとつなのだ。

 選手たちは当然のことながら、ワールドカップで勝ち進むことを目的にやってくる。普段どおりにトレーニングを積み、普段どおりに余暇を過ごす。日本に観光にやってくる人たちが、日本の文化に積極的に触れようとするのとは異なり、母国の生活のままに日本で過ごすことになる。これはサポーターにも言えることで、彼らは母国のチームを応援するという日常のままに日本にやってくる。そこには、彼らのありのままの姿がある。

 一方、ホスト国として外国人を迎える我々にとっては、日本で過ごす毎日は日常生活そのもの。ワールドカップという一大イベントがあっても、何もよそ行きの姿で2ヶ月間を過ごすわけではない。彼らを観光地に案内することが目的でもないし、日本の文化を伝えるために彼らを迎えるわけでもない。我々もまた、ありのままの姿で彼らに接することになる。そこでは国民性の違いや文化の違いが正面からぶつかり合うことになる。

 現在の日本では海外へ旅行するのは当たり前のようになっているが、それは観光でしかない。それはあくまでもよそ行きの姿であるし、相手もよそ行きのままで迎える。そこでは、本当の意味での文化の違いを理解することは難しい。しかし、ワールドカップは、よそ行きではなく、普段着のままでのコミュニケーションを可能にしてくれる。都合のいいことばかりではない。理解できないこともあるかもしれない。しかし、本当の文化の違いを知る経験など一生のうちに、そう何度もあるものではない。



 そういう意味で考えれば、各国のキャンプ地に指定された町の人たちが一番ワールドカップの恩恵をこうむるのかもしれない。例えば、カメルーンのキャンプ地に指定された大分県の中津江村は、人口約1400人の小さな村。テレビで何度も紹介されたことがあるので、ご存知の方もいらっしゃると思うが、大自然に囲まれた静かな村で、都会との比較でものを言えば何もない村だ。おそらく多くの外国人が、しかも長期に渡って滞在することなどなかったはずだ。

 そこへカメルーンの代表チームがやってくる。代表チームだけじゃない。メディアもサポーターもやってくる。そして、まるで母国にいるかのように自由に振舞う。これには中津江村の人たちも驚くことだろう。自分たちとの感覚や風習の違い、そして文化の違い。戸惑うことも多いかもしれない。しかし、本や映像でしか見聞きできないことを実体験できる。異文化との交流を肌と肌で感じることが出来る。これは何事にも代えがたいことだ。

 もちろん、素晴らしい試合を観戦することは我々に大きな感動を与えてくれる。その感動も何物にも代えがたいものだろう。しかし、試合数はたったの64試合、しかも20会場に分散して行なわれる。スタジアムの中で、この感動を体験できる人たちは限られている。チケットはプラチナチケットと化し、誰でもが気軽に観戦できるというわけには行かない。しかし、キャンプ地に住む人たちは、いとも簡単に、異文化との交流が可能だ。

 余談になるが、中津江村が用意した選手宿舎の床は総檜張り。壁は杉の木で出来ている。なんとも豪華なものだなあと思っていたら、カメルーンからは全てペンキを塗って欲しいとの要望が出ているそうだ。総檜張りの床は、日本では最高の贅沢だと説明したのだそうだが、木目がそのまま出ているのは安っぽく感じるらしい。これも文化の違いなのだろう。

 九州には中津江村の他に、ドイツとスウェーデンが宮崎、ベルギーが熊本、フランスが指宿、チュニジアが大分の佐伯にキャンプを張ることが決っている。実にうらやましいことだ。



 極論を言えば、試合を見るだけなら2006年だって、2010年だって飛行機に飛び乗れば不可能なわけではない。しかし、多くの外国人たちが長期に渡って日本にやってくる機会に遭遇することは、おそらくこれから先、そうあるものではないだろう。ワールドカップに限って言えば、再び日本にやってくるのは何十年先になるか分からない。こんな機会は逃すわけには行かない。キャンプ地の人たちのようには行かないが、私も積極的に会場やキャンプ地のある町へ出かけたいと思う。

 私のようなしがないライターが、ワールドカップのプレスパスを手に入れられる可能性は天文学的な数値。せっせと出したチケット応募も全て外れてしまい、これからチケットを手に入れることも至難の業だろう。それでもなお、会場には駆けつけてみたい。そこには多くのサポーターが集まっている。そして、ボールのひとつも蹴っているはずだ。日本語以外に話せる言葉は知らないが、サッカーが好きなもの同士。きっとコミュニケーションは取れるはずだ。

 それ程多くの機会があるわけではないかもしれない。しかし、世界中からやってくるサポーターたちと一緒に何かを感じてみたい。そして、何かを伝えてみたい。今からそれが楽しみで仕方がない。もちろん、最大の楽しみは日本代表が世界の強豪の度肝を抜く活躍をしてくれること。しかし、それに優るとも劣らず、様々な外国人とコミュニケーションをとってみたい。そうすれば、まだ頭の中でしか分かっていないワールドカップというものを、ほんの少しだけでも理解できるかもしれない。

 1994年アメリカ大会の事務局長だったスタインブレッシャー氏は、大会を終えてこう語った。「ワールドカップは窓である。我々アメリカは窓を持った、その窓を通じてアメリカ人は世界を見、世界はアメリカを見た」。サッカーファンにとっては、あまりにも有名な言葉だ。さて、我々はどんな窓を持ち、そしてどんな世界を見ることが出来るのだろうか。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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