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 福岡通信 01/12/14 (金) <前へ次へindexへ>

 冬の風物詩。天皇杯を、考える。


 文/中倉一志
 ビック・キリング、これこそがカップ戦の醍醐味。長い期間をかけて戦うリーグ戦でも、所謂「番狂わせ」は起こるものだが、試合数を重ねれば重ねるほど、その成績は実力を反映するのは自明の理。最終的には真の実力を持ったものにしか栄冠は与えられない。しかし、一発勝負のカップ戦では、たった一つの敗戦で全てが終わる。戦い方次第では実力上位のチームを破ることは可能だ。だからこそ全てのチームが虎視眈々と大物食いを狙う。

 日本の「最大・最古のカップ戦」である天皇杯全日本サッカー選手権大会(以下、天皇杯)でも、過去、数多くのビック・キリングが起こりファンの記憶に焼きついている。そして、それは81回目を迎えた今年の天皇杯でも起こっているのだが、それにしても、今年は随分と派手な負け方だ。その派手さは過去に例を見ないのではないか。ここまで来ると、果たしてビック・キリングなどという言葉が適切かどうか考えざるを得なくなってくる。

 ことの始まりは1回戦での東海大学vs.大宮アルディージャ。ここでまずJ2・5位の大宮が神奈川県代表の東海大学に0−2で敗戦。続く2回戦では湘南ベルマーレが奈良県代表の奈良産業大学相手に得点が奪えず、PK戦の上、姿を消した。敗れた2チームには失礼だが、ここまでなら、まあ予想の範囲内と言えなくもない。実力上位チームにとって1回戦は難しいもの。何かの拍子にチームがバランスを崩すことは無くも無いことだからだ。

 しかし、3回戦があまりにも派手だった。シード制の関係で2001年シーズンをJ1で戦ったチームは3回戦からの出場となるのだが、このJ1チームが次から次へとJ2に敗れたのだ。FC東京、C札幌、福岡、柏、横浜FMがJ2のチームに破れ、名古屋にいたってはJFL2位の佐川急便SCに対して2人も退場者を出した上に、0−4となす術もなく敗れた。もちろん、勝ったチームの頑張りこそ賞賛されるべきだが、「最大・最古のカップ戦」に対する臨み方に疑問が浮かばないでもない。



 天皇杯が「最大・最古のカップ戦」と呼ばれるのは、その歴史の古さと参加チームの多さによるものだ。記念すべき第1回大会が開催されたのは1921年11月26日。決勝大会には4チーム(うち1チームは棄権)が出場。初期の段階では、当時開催されていた明治神宮大会との兼ね合いもあり、必ずしも最高の大会ではなかったが、第31回大会(1951年度)に優勝チームに天皇杯が授与されるようになると、天皇杯は日本で最高の大会として発展を始めた。

 日本サッカーリーグ(以下、JSL)の設立により、第45回大会(1965年度)からはJSLと大学の上位4チームずつで争われる大会に変更され、一般プレーヤーの天皇杯参加への道は閉ざされたが、第52回大会(1972年度)からオープン化を実施。地域予選を実施して各地域のプレーヤーたちに門戸が開かれた。そして第76回大会(1996年度)では、それまでの全国9地区制を廃止し、全国47都道府県代表が本大会に出場する方法に改められた。

 同時に第2種チームまで参加資格を拡大して完全オープン化に踏み切った天皇杯は、選ばれた者だけではなく、サッカーをプレーするものなら誰でもが参加でき、そして誰でもが日本一の座を目指して戦うことの出来る大会へと変貌を遂げた。そして、完全オープン化に踏み切った天皇杯への参加チームは年を追うごとに増加。81年前に、たった4チーム(うち1チームは棄権)で始まった大会は、6151ものチームが参加する大会へと成長した。

 文字通り、日本で最大の規模と最高の栄誉が与えられた天皇杯であるが、1993年のJリーグ開幕以降、その様子が様変わりしつつある。Jリーグのレベルが上がり、そして、その権威が高まれば高まるほど、天皇杯へのサッカーファンの関心が、ややもすれば薄れがちになっているように思える。元旦に行なわれる決勝戦はともかく、それ以外の試合では観客数は決して多いとはいえず、特に1、2回戦では250人などという試合さえある。



 何故か。いくつかの理由が考えられるだろうが、一番の原因は、やはりJリーグとの兼ね合いだろう。現在のJリーグは、ほぼ3月〜11月の期間で開催されているため、リーグ戦終了後、1〜2週間のインターバル後に天皇杯を戦うことになる。しかし、プロ選手にとっては最高の栄誉であるリーグチャンピオンを目指した戦いが終了した直後では、精神的、肉体的な疲労は隠せず、そのモチベーションが上がらないのは否定できない事実だ。

 またJリーグでは、来シーズンの選手・スタッフの契約更改を11月から行なわなければならないため、天皇杯を戦う選手・スタッフの中には、翌年のシーズンはチームにいないことが決っている者たちがいる。また残る者に対しても、天皇杯の活躍を次年度の年棒に反映させるのは時期的に難しい。プロである以上、翌年のことはともかく契約が残っている間は全力を尽くすべきなのは当たり前のことだが、実際は中々そうもいかない。

 さらに、スケジュール上の問題で、天皇杯が開催中にチャンピオンシップが行なわれることも大きな影響を与えているのではないか。Jリーグの1年間の総決算とも言うべきチャンピオンシップに大きな注目が集まるのは当然のこと。同時期に行なわれる天皇杯の1、2回戦と比較すれば、どちらに注目が集まるかはハッキリしている。その結果、天皇杯のメディアに対する露出度が低くなっていることも原因の一つのように思える。

 J2のチームがJ1に所属するチームを破ることに限って言えば、決して否定的な理由だけではない。JFL時代は限られたチームだけがJ1昇格を目指していたが、J2を設立したことによって確実にJ1を目指すチームが増え、今シーズンでは上位8チームがJ1昇格を具体的な目標としていた。したがって、彼らがJ1のチームに対して全力でぶつかってくるのは、ある意味では当然のことだ。しかし、それも迎え撃つJ1のモチベーションが上がっていなければ、ただの消化試合に過ぎなくなってしまう。



 Jリーグの試合と異なり、どこか牧歌的な雰囲気が漂う天皇杯を、私は決して嫌いではない。ブームや単なる人気に惑わされずに、ずっと昔からサッカーが好きで試合を観戦していると言った風情の観客が目立つのも好きな理由の一つだ。各都道府県代表同士の試合はプロのレベルとは比べるべくもないが、そこは同じサッカー。どんな試合にもサッカーというスポーツが持つ魅力がちりばめられていて、どんな試合でも心を躍らせてくれる。

 しかし、それも選手たちのモチベーションが高く、そして何よりも勝利だけを願って戦っているからこそのことだ。プロならではの技術や戦術が見られても、モチベーションが低くては決して楽しい試合にはならない。やはり、彼らが十分に実力を発揮できるよう何らかの見直しがきているのかもしれない。個人的には、天皇杯の開幕とともに年の終わりを感じ、天皇杯決勝戦とともに新年を感じる私としては、大会スケジュールだけは代えて欲しくないと思うのだが。

 加えて、もっと天皇杯をアピールする努力も必要だろう。Jリーグ開幕以前のオールドファンならともかく、現在は、「ドーハの悲劇」以降のサッカーファンや、Jリーグ開幕以降、そして'98フランス大会以降のサッカーファンが圧倒的に多い。そういった人たちにどうやって天皇杯の価値を伝えるかも考えていかなければならないことだ。1996年度の完全オープン化以降、衛星放送での中継試合は多くなったが、一般ファンに対する露出は決して多いとはいえない。

 さて、そんな天皇杯も16日からはいよいよ4回戦に突入する。J1のチームを破ってベスト16まで勝ち進んできたチームが再びJ1を破るのか。唯一アマチュアのチームとして残っている佐川急便SCがC大阪相手にどんな戦いをするのか。その興味は尽きない。ここまでモチベーションが上がらなかったチームも、そろそろ集中力が高まってくる時期。面白い試合が増えてくるだろう。近所のスタジアムで天皇杯が開催されているという方は、是非、スタジアムに足を運んで見ることをお勧めする。Jリーグとは違った魅力に接することが出来るはずだ。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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