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 福岡通信 02/01/12 (土) <前へ次へindexへ>

 たかがアビスパ。されどアビスパ。


 文/中倉一志
 年末から年始にかけて、天皇杯と高校選手権を追いかけて、福岡から神戸、そして東京へとサッカー三昧の日々を過ごした。29日の天皇杯準決勝を皮切りに、30日から始まった高校選手権、そして元旦の国立、さらに2日からは再び高校選手権と、6日間連続8試合の試合観戦というハードなスケジュールだったが、これ以上ない充実した年末年始を過ごすことが出来た。その間に参加させていただいた「2002CLUB有志による関西オフミ」でも、時間を忘れるほど楽しい時間を過ごさせていただいた。

 天皇杯とともに東上し、そして高校選手権を観戦して再び福岡へ戻る。私が福岡に移り住むようになってから年末年始の恒例行事となった1週間程度の小旅行は、私に1年の活動の力を与えてくれる。普段見ることが出来ない、アビスパ福岡以外のJリーグのチーム同士が戦う天皇杯。40,000人を超す大観衆の中で行われる決勝戦。国立のスタンドを埋め尽くしたサポーターが挙げる歓喜の声。そのどれもが私を強く刺激する。

 そして、福岡ではあれほど強い東福岡高校が、さほど目立たない高校選手権もいい。全国には、もっと強いチームがたくさんあることは知っているつもりでも、やはり目の当たりにするのと、頭の中でだけ考えているのとでは大きく違う。今では全国どこにいてもサッカーの中継をTVで見ることができるが、TVは事実の一部を映してくれても、全ての真実を伝えてはくれない。直接見て、触れることが大切だと言うことを嫌と言うほど教えてくれる。

 加えて、関西オフミで会うサッカー好きの仲間たちや、東京で再開する旧友たちの話も、とても刺激的だ。普段、アビスパ福岡を通してサッカーを見る癖がついている私にとって、他のチームを追いかけているサッカーファンや、多くのチームの試合を観戦している人たちから聞くサッカーの話は、とても興味深いものばかりだ。何しろ情報量が違う。彼らは書くことを生業としているわけではないが、その目は確か。教えられることは多い。



「ところでアビスパはどうですか」。そんな彼らと話していると、最後は必ずこの話題になる。「もちろん、来年は必ず戻ってくるよ」と間髪いれずに答えたいところなのだが、そうもいかない事情がある。ピッコリ元監督の不透明な解任劇。中心選手の大量解雇。山下、久永らのレンタル移籍。その他にも多くの選手の契約更改がもめている。監督はようやく決まったとは言え、強化部長は後任が決まらないまま。客観的に見て、来シーズンを戦える体勢は整っていない。

 確かに盧廷潤、呂比須、ビスコンティの残留は決まっている。呂比須と誰かで2トップを組んで(誰かと言わなければいけないところが辛い)、OHにビスコンティ。ボランチには盧廷潤と篠田。DFは右に内藤、左には新しく獲得した古賀誠史を置いて、小島と川口のCB。フムフムなるほど、それなりの布陣にはなる。3バックにして藤崎をストッパー、古賀を左WBに使うのもいい。GKは塚本か大神。しかし、相変わらず選手層が薄すぎる。

 44試合という長丁場を11人で戦い抜くことは不可能。怪我もあれば、累積警告での出場停止もある。この苛酷なリーグ戦を戦い抜くにはリザーブ選手の充実は必要不可欠だ。しかし、上記の選手以外は殆どがリーグ戦の経験が無い。J1よりはレベルが落ちるとは言え、J2は簡単に勝てるリーグではない。ここ数年の昇格争いを見ても分かるように、どんなチームでも、最後の最後、やっとの思いで昇格を決めている。「やってみなければ分からない」というのがJ2リーグなのだ。

 しかも開幕までに残された時間は短い。フロントは「来シーズンは1年でのJ1復帰を目指す」と繰り返すが、その方策が見えてこない。かくして、仲間が私に対して発した問いに対して、「う〜ん・・・。戻ってくる・・・んじゃないかな・・・多分・・・。う〜ん」と、分かったような、分からないような答えをするに留まるのだ。9日には今井監督の就任会見とともに新コーチ陣の発表があったが、出遅れた感は否めない。



 アビスパサポーターの間では、当たり前のようにフロントに対する批判が燻っている。中には呆れてしまっている人たちもいる。誤解の無いように書いておくが、何もピッコリ元監督を解任したことに腹を立てているわけではない。中心選手の大量解雇や、山下、久永らの選手たちが出て行ったから頭に来ているのでもない。その対応のまずさ、そして、「1年でJ1」という言葉と、そうは思えない行動との不一致さに頭を悩ませているのだ。

 アビスパ福岡のレギュラー陣が高齢化し、若手が育っていないことは以前から問題となっていたこと。2001年シーズンの開幕前から、薄い選手層ではシーズンを通して戦えないことも分かっていた。また、ピッコリ監督の采配についても賛否両論だった。敢えて言えば、2001年シーズンのアビスパの戦い方は予想をはるかに越えるものではなく、どの試合も予想の範囲内の出来事だった。J1に残留しようが、J2に降格しようが、どちらにしても手をつけなければならない問題だったのだ。

 一連の流れは、あたかもJ2に降格したからの行動であるかのように報じられているが、本当はそうではない。これらは残留・降格に拘わらず解決しなければならなかった問題であり、そういう強い認識があったのなら(普通の企業なら、あって当たり前だが)、シーズン中から、その解決に向けて行動を起こさなければならなかったはずだ。したがって、シーズン終了直後には、降格・残留に拘わらず、速やかに、フロント・スタッフ・選手の刷新が行われてしかるべきだったのだ。

 しかし、このドタバタ劇を見ていると、残念ながら、アビスパ福岡が抱える問題点に対してのフロントの認識は、極めて甘かったと言わざるを得ない。サポーターが問題にしているのはそういうことだ。問題解決の準備をしていなかったことに呆れているのだ。そして、その問題を指摘することなくシーズンを過ごしてしまった私自身の活動にも、自戒の念がつのる。今さら悔やんでも取り返しはつかないが、もう少し何とかなったのにと悔やまれてならない。



 関西オフミの場では、お酒が進むにつれて、後悔とも、愚痴ともつかない言葉が口をついた。そんな時、参加していたある方が、私にこう質問した。「ところで、中倉さんはどこに住んでいるの?」。その方は以前からのサッカー仲間の1人。私が福岡にいることは百も承知だ。「何でそんなことを?」、そう思った次の瞬間、私は質問の意味に気がついた。そうだ、アビスパ福岡は私が住む地元のチーム。出来の良し悪しに拘わらず、私たち福岡の住民で支えていかなければならないチームなのだ。

 文句を言うのも良し。批判を浴びせるのもいい。けれど、それはアビスパ福岡を支えるためのものでなければならない。降格したと言う事実に腹を立て、フロントの振る舞いに個人的な怒りをぶつけたところでどうにもなるものではない。私たちの町「福岡」をホームタウンに置くチームが、私たち住民の誇りになり、誰からも愛される市民球団に育っていくための意見でなければならない。例え今は情けなくても、アビスパ福岡は私たちのチームだ。

 2002年シーズンに向けてチームが始動するまで後10日。開幕までは1ヵ月半しかない。ついこの間、シーズンが終了したように思えるが、2002年シーズンまでの準備期間は殆どないに等しい。現状を客観的に見れば、アビスパは「チーム史上、最も大切なシーズン」に向けて明らかにスタートで出遅れている。だからこそ、現実から目をそむけずに、この遅れを取り戻す方策を、それぞれの人が、それぞれの立場で考えていかなければならない。

 決して楽観視せず(もっとも、楽観視する人はいないだろうが)、必要以上に悲観的にもならず、そして、客観的に事実を見つめること。予想をはるかに上回る厳しいシーズンになることを覚悟の上で、足りないことが山ほどあるのも承知の上で、自分に何ができるかを考え、そして自分のできる範囲で行動を起こすこと。それが一番大切なのだと思う。今は欠点が目立ってもアビスパは私たちのチーム。チームを支える熱い気持ちと情熱をもって、アビスパとともに、この1年間を過ごしたいと思う。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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