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 福岡通信 02/01/18 (金) <前へ次へindexへ>

 国見高校の強さとは、何か? 若年層の強化と普及を考えよう。


 文/中倉一志
 第80回全国高校サッカー選手権大会は、長崎県代表の国見高校が2年連続優勝を飾って幕を閉じた。大会前は、「優勝候補はあっても、図抜けたチームはいない」と言われていたが、その中で国見高校は初戦から他校を圧倒。終わってみれば、17得点5失点と圧倒的な強さを見せつけた。堅い守りとロングボール主体の国見高校のサッカーは、一見、単調に見えなくもないが、その裏側に隠された鍛え上げられた技術を垣間見る思いだった。

 今年の高校サッカー選手権は、「超高校級」と呼ばれる選手もおらず、また大本命と目されるチームもなかったことから、どこかこじんまりとした印象を持った方もいらっしゃったことだろう。しかし、中々どうして、随所に見所があり、高校サッカー界全体がレベルアップしていることを再認識した大会であったとも言える。私は生で6試合8校の試合を観戦したが、一昔前のようにキック&ダッシュに頼る高校はなく、どこも組織的なサッカーを志向していた。

 私が観戦した中で印象に残ったのは、東福岡と前橋育英の試合だった。東福岡は、Jリーグ内定者6名を擁する前橋育英に対して、ダブルボランチを置いて、いつものフラットな4人の最終ラインを、最後尾に1人余らせる形に変更。相手の2トップをマンツーマンでマークし、SBの山形を左に余らせて対面の佐田の攻撃参加を封じにかかった。そして、このシステム変更に選手たちは見事に対応した。システム変更も含めて、相手の特徴を消し、自分たちの持ち味を出して隙を狙う両校のせめぎあいは見所が多かった。

 3回戦の静岡学園と作陽高校の試合も好ゲームの1つだった。ともすれば静岡学園の個人技の高さが注目されがちな試合だったが、作陽は見事な組織力を発揮、静岡学園を3−1で一蹴した。桜内を中心に素晴らしい連携を見せた最終ライン。相手の個人技に対しては、必ず2人で囲い込んでサイドラインに押しやる中盤の守備。そして有機的に連動し、頻繁にポジションチェンジを繰り返してゲームを組み立てた5人のMF。殆どノーマークのチームだったが、その見事な組織力は関係者を驚かせた。



 さて、そんな中で見事に2連覇を達成した国見高校。その国見の高校サッカー選手権での歴史を振り返ると、改めてその強さが実感できる。今大会を含めて、現在まで16回連続、通算16回の出場を誇る同校は、ベスト8以上に進出したのが実に11回。そのうち優勝5回、準優勝1回、ベスト4は2回、そして一度も初戦で敗退したことはなく、その強さは他の追随を許さない。毎年選手が入れ替わる高校にあって、これは驚異的な成績だと言える。

 しかし、そんな国見にも勝てない時期があった。第73回大会〜第78回大会までの6年間は、ベスト8に一度進出した以外は全て2戦目で敗退した。実は、国見が初めてベスト8に進出できなかった第73回大会は、高校サッカー選手権にとって転機となった大会でもあった。時は1994年度。Jリーグが開幕して2年目のことだった。それは、プロリーグがスタートしたことで高校生に新たな目標が出来た年。高校サッカーの質は明らかに変化していた。

 それまでの高校サッカーの舞台は、選手たちにとってひとつのゴールだった。そんな状況にあっては、とにかく勝利が最大の目標。リスクを最小限に抑えるのが至上命題となっていた。その結果、多くの高校がロングボールを多用して、自分たちのゴール前からボールを遠ざけ、フィフティボールを追いかけて、フィジカルにものを言わせてゴールを狙うというパターンが多かった。しかし、新たにプロになるという目標が出来た選手たちは、次のステージを目指し始めていた。

 この状況の変化にいち早く目を向けたのが若い指導者たちだった。上のレベルでも戦えることを前提に指導を始めた結果、高校サッカーの技術は飛躍的に伸び、そして、単なる「蹴っとけサッカー」から、パスをつないで組織的にゲームを作るチームが増え始めた。国見が勝てなかった6年の間、市立船橋と東福岡が合わせて5度の優勝を飾ったが、両校ともにパスをつなぐ組織プレーの代表とも言えるチーム。一時代を築いた国見のサッカーにも終焉が訪れた。



 しかし、第79回大会で、国見は見事な復活劇を演じる。スタイルそのものは堅い守備とロングキック主体の国見伝統のパターン。しかし、それは単なるキック&ダッシュ戦法とは違っていた。高い技術に裏打ちされた正確なロングフィード。あっという間に相手を囲い込む中盤の守備。前線に起点が出来ると、積極的に押し上げてパスをつないで相手を崩す。敗れ続けた組織プレーに対抗すべき技と戦術を、伝統のサッカーにプラスした新しい国見サッカーだった。

 そのサッカーを継承し、国見は今年も優勝を飾った。一見すると単純で型にはまったサッカー。しかし、それは明らかに従来の「蹴っとけサッカー」とは一線を引くものだ。そして何より、「それしか出来ないから、それを徹底する」というのではなく、「いくつもの戦い方も出来る中から、自分たちにとってベストと思われる選択をした」というところに意味がある。創造的ではないという批判もあるが、リスクを犯す必要がないほど、国見は他校を圧倒する力を身につけていた。

 しかし、何時までも国見の思い通りにはいかないだろう。中盤からビルドアップして組織的なプレーを志向する指導者たちは、必ずや国見の伝統のサッカーを再び過去のものにするべく研究、指導するはずだ。そして、それに対抗すべく、国見のサッカーもマイナーチェンジを繰り返すに違いない。そうやって、互いにタイプの違うチーム同士が凌ぎを削りあって戦うところに、技術やレベルの向上がある。

 ただひとつ残念なことは、高校レベルの大会の殆どがトーナメント戦で行なわれていることだ。たった一度の対戦で、しかも負ければ全てが終わってしまう方式では、勝利を優先せざるを得ない事情もあり、互いの持ち味をフルに発揮して切磋琢磨するという機会は生まれにくい。指導者たちが全てをかけ、そして必死の思いでトレーニングを積んだ選手たちの成果が思う存分に発揮できるよう、リーグ戦による大会というものも考えなければならない時期だろう。



 また、クラブチームとの交流も考えなければならない時期に来ている。もともと、どちらも2種加盟のチーム同士。その生い立ちは違っても、サッカーという競技をするにあたっては、区別して運営する必要は何処にもない。コンセプトが違うと言う意見もあるかもしれないが、異なるタイプのチーム同士が対戦することはプラスになりこそすれ、マイナスにはなり得ない。また少子化により学校単独ではチームを作れない高校もあるという。高校とクラブチームが共に協力しあうのは時代の必然でもある。

 幸いなことに、関東では高校16チームと、Jのクラブチーム4チームとで「サッカーU−18(18歳以下)関東リーグ」が3月から開始されることになった。これは、現在行なわれている「関東スーパーリーグ」を発展させたもの。今まで非公式だった同大会だったが、新しいリーグは、日本サッカー協会も公認するそうだ。各地でも、指導者同士が協力しあって行なっている非公式なリーグ戦があるが、これを機会に同様の大会が広がれば、高校年代のサッカーは飛躍的に変わることだろう。

 その一方で、忘れてはならないこともある。それは普及という問題だ。我々は高校サッカー選手権や、クラブチームの全国レベルの大会を見て強化の方法について議論を交わすことが多いが、全国的に見れば、サッカーをプレーする選手たちのうち、殆どの選手が桧舞台に登場しないということも忘れてはならない。多くのプレーヤーたちは、日本代表とは無縁に、しかし、好きなサッカーを続けている。こうしたプレーヤーたちにも、サッカーをプレーする機会を増やす努力も必要だ。

 強化と普及は両輪。時や場所によって優先順位が変わることがあっても、どちらがかけても日本のサッカーは発展しない。少子化や指導者不足、大会の運営方法、クラブチームと高校との連携等々、難題は多いが、一つ一つの問題に柔軟に対応していく必要性が産まれている。これまでは、そうした問題を現場の指導者たちの努力で補ってきたと言えるが、日本サッカー協会やJリーグが、こうした問題に主体的に取り組むことが望まれているのではないだろうか。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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