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 福岡通信 02/01/25 (金) <前へ次へindexへ>

 夢へのチャレンジ  〜沖縄からJリーグへ


 文/中倉一志
 圧倒的な強さだった。九州リーグ昇格を争う「九州県リーグ決勝大会」に出場した沖縄県代表、沖縄かりゆしFCは、1回戦で佐賀楠葉クラブを7−1と一蹴。続く準決勝でも中津クラブを5−0で下して決勝戦に進出すると、リズムを崩しながらも地力の違いを見せつけて熊本教員蹴友団戦を4−1で破って優勝、九州リーグ昇格を決めた。夢へ向かって第一歩を踏み出した沖縄かりゆしFC。来シーズンはJFL昇格を目指して戦うことになる。

 沖縄かりゆしFC設立のきっかけは今から5年前、日本がビーチサッカー世界選手権に初挑戦し、ベスト4まで進出したことだった。その時の中心メンバーだった瀧田一之(現監督)とラモス瑠偉(現テクニカルディレクター)、そして平良朝敬(現、同代表取締役)の3人が、いまだ整わない沖縄のスポーツ環境を変えようと、当時の選手を中心にサッカークラブを作ったことに始まる。FCサウシーシャ、それが夢へのチャレンジのスタートだった。

 翌1998年、FCサウシーシャを母体にして沖縄かりゆしホテルズFCを設立。沖縄県出身者は2〜3人、ほとんどが本土の選手というチームだったが、それでも沖縄にスポーツ文化の花を咲かそうと、選手たちはアルバイトをしながら共同生活をしてクラブを育てた。そして昨年3月29日、チームを法人化するとともに、その名前を「沖縄かりゆしFC」に変更。とうとう、本格的なプロチームとして活動を開始した。合言葉は「3年でJリーグ」だ。

 ゲームメーカーとしてチームを引っ張るリカルド比嘉(28)は「長いけれど、まずは第一段階を登ることが出来て嬉しい。次はJFL昇格を目指して九州リーグの優勝を狙う」と、喜びを表しながらも、次なる目標を口にした。「満足したら駄目。Kyuリーグで回りが納得する勝ち方を見せられるかがポイント。たかが3年か、そこらのチーム。やらなきゃいけないことはたくさんある」と瀧田監督も表情を崩さない。しかし、その目は確実にJリーグを見据えている。



 そんなチームを支える頼もしい力がある。「TORCIDA JOVEM DA'I-DA'I(トルシーダ・ジョーベン・ダイダイ)」。昨年の4月にチームの法人化とともに生まれたサポーターチームだ。チーム名はポルトガル語で「その時・そこから始まる若い応援団」を意味している。代表を務める池間弘章さんは語る。「Jリーグを目指すチームがあると聞いて試合を見に行ったらサポーターがいなかった。でも応援して一緒にJリーグに行きたいという人はいるはずだから、僕たちが受け皿になろうということで始めました」。

 しかし、沖縄にはキャンプに来るプロ野球やJリーグのチームはあっても、プロスポーツの公式戦は昨年の鳥栖vs.甲府が1試合あっただけ。プロ選手が本気で戦っている姿を見たことがないばかりか、サポーターの応援も見たことがない。そんな彼らは、鳥栖へ、大分へ、そして仙台へと足を運び、各クラブのサポーターたちに頼んで一緒に応援をさせてもらい、そのビデオを撮って沖縄の仲間に見せた。チーム同様、ゼロからのスタートだった。

 池間さんは更に続ける。「沖縄にはスポーツを観戦する土壌がない。キャンプが来たから見に行こうか。でも1回きりなんです。試合が定期的にあるわけでもないし・・・。それに、サッカーのスタジアムを見たこともないし、芝生のピッチも見たことがない。何で芝じゃなければいけないの。グランドがあればいいんじゃないのっていうのが現状です」。そんな現状を変えて沖縄にスポーツを楽しむ環境を作ること、そして、その中心となってくれる沖縄かりゆしFCと一緒にJリーグに行くこと。それがサポーターたちの夢だ。

 だからこそ、百年構想を今のうちから根付かせたいと言う。「Jリーグにもっと沖縄に近づいて欲しい。スタジアムのパネル展でもいいし、広報活動のひとつでもいい。百年構想について、きちんと沖縄でアピールしてもらって、Jリーグがやっていることを知らせて欲しい」。大切なのは、百年構想を踏まえた上でサポートできる仲間を増やしていくこと。それが、サッカーだけではなく、沖縄のスポーツ環境を変える大きな力になっていく。



 地元のマスコミも、こんなチームとサポーターを暖かく見守っている。チーム創設以来、その活動を追いかけつづけている琉球放送スポーツリポーターの當眞美香さんは、こう話してくれた。「沖縄は地域意識が強く、沖縄出身者と、そうでない人たちとの間に若干の意識の差があるところなんです。それでも彼らが子供たちのためにJリーグを作ろうと、いろいろと努力してくれた。地元のマスコミとして応援しないわけにはいきません」

 資金の問題、スポンサーの問題、そして環境の問題。沖縄かりゆしFCを巡る環境は決していいとは言えない。ゼロからスタートしてクラブは第一段階をクリアしたが、まだまだ問題は多い。それを、ひとつひとつ解決していくことが大切だと言う。「私たちが出来る限りの応援をしていかないと難しい。いろんな問題を解決しなくちゃいけないので、これからも応援していきたい。乗りかかった船、Jリーグに上がるまでは追いかけ続けるつもりです」。

 そして、チームに期待することはと尋ねると次のように話してくれた。「子供たちにいい影響を与えるような選手であって欲しいですね。全てのことを目を輝かして、憬れのまなざしで見ているわけですから、見られているという意識を忘れて欲しくないですね。子供たちにいい影響を与えるような選手であって欲しいと思います」。この日も、多くの子供たちが沖縄から観戦に駆けつけていた。沖縄かりゆしFCは、その存在感を大きくしつつある。

 2人のカメラマンとともに取材を行なっていた當眞さんは、みずからもハンディビデオを片手に、選手、スタッフ、そしてサポーターにと精力的な取材をこなされていた。「サポーターの皆さんも試行錯誤でいろんな所から学びながらやっているということで、彼らを見ていると、またこっちも頑張らなくちゃっていう気持ちになりますよね。でも、まだまだこれからです」。そう語る當眞さんも、サポーター同様、チームを支える一人だ。



 そんな応援もあって、沖縄かりゆしFCの存在は、確実に沖縄のスポーツシーンに変化をもたらしているようだ。「クリアしていかなければならない問題はあるけれど、それでも会場で見ようという子供たちが増えてきたんですよ」(當眞さん)。「子供たちの意識が変わった。本当に一生懸命です。はっきりいいますからね、Jリーガーになりたいって」(池間さん)と、2人は口をそろえる。

 また、沖縄県のサッカー協会にも少なからぬ影響を与えているようだ。スポーツを観戦する土壌がなかった沖縄においては、協会への問合せも、そして協会からの連絡も全ては関係者だけで事足りていた。しかし、観戦する人が増えるに従って、一般の人たちからの開催日時の問合せが増え、また協会からの連絡も関係者だけでは不都合を生じ始めている。協会から関係者以外の人たちへの情報の提供は、スポーツへの関心を必ず高めるはずだ。

 そして、沖縄かりゆしFCが、厳しい環境ながら下部組織を持って活動しているのも大きな影響を与えることになるだろう。サッカーの普及に大きな役割を果たすことはもちろん、プロ選手たちの技術や立居振舞いに直接触れることや、Jリーグに挑戦する過程を一緒に体験することは、子供たちの将来にとっては大きな財産になる。そうして育った子供たちが、いつかは沖縄かりゆしFCの中心選手に育ち、沖縄のスポーツ文化の中心として活動する日がやってくるのは間違いない。

「例えば北海道のチームと対戦するようになって、それがクラシコになって、沖縄の選手が真冬の雪の中で試合をするのもいい。真夏の暑い中で汗だくになって北海道の選手がプレーするのもいい。そして、他のチームが、もう沖縄では試合をしたくない。あそこでは勝てる気がしないよ。終わったら、サッサと飛行機に乗って帰りたい。将来はそうなりたい」と語る池間さん。沖縄かりゆしFCの大きな夢へのチャレンジは、まだ始まったばかりだ。



※このレポートは「online magazine yahoo 2002CLUB」、ならびに「online magazine ISIZE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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