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 福岡通信 02/04/19 (金) <前へ次へindexへ>

 責任の重さを背負って


 文/中倉一志
 第9節に行われた福岡vs.山形戦終了後に起こった一連の騒動で、盧廷潤選手の去就が大きな注目を浴びている。事件の直後はアビスパ福岡を退団することが濃厚のような報道も見られたが、現在報道されているところによると、アビスパ福岡に残留することに前向きであるとされている。いずれにせよ、フロントの姿勢によって最終判断を下すことには変わりなく、20日に発表されると言われている友池社長の見解が注目される。しかし、その内容に関わらず、今回の騒動の持つ意味を私たちは深く考えなければならない。

 最も責められるべきは、今回の騒動を引き起こした一部の人間であることは間違いない。どんな事情があるにせよ、韓国代表のユニフォームを投げ捨て、管理塔に入り込んで居座るなどと言う行為は許されるべきものではない。しかし、ここまで大きくなる前に何か手が打てなかったのか、そういう思いが消しきれない。シーズン前からの一部のサポーターの数々の行動を見れば、その中から、いつか爆発する者がいても不思議ではなかった。

 私たちが考えなければならないことは2つあると思う。1つは何故、いつまでもスタジアム内でのルール破りが横行するかという点だ。負ければ誰でも悔しい。選手のふがいない戦い振りを見せられたのでは文句の1つも言いたいもの。熱心に応援していればいるほど、その憤懣やるかたない思いは強くなるものだ。そんな思いが、単なるやんちゃの行き過ぎ程度の行動に現れても目はつぶれる。しかし、ルール破りが許されるはずはない。

 応援のスタイルは様々でいい。それぞれの人が、それぞれの思いを込めてチームを応援すればいい。それを統一する必要もないし、それぞれが自己責任の下で行動を起こせばいい。しかし、スタジアムの秩序を守るため、そして暴力による被害を防ぐために、スタジアムには一定のルールがある。それは、応援のスタイルを規制するためにあるのではなく、お互いの思いを尊重しあって、誰もが自由に応援できるようにするためにあるのだ。



 そのルールを破って、自己責任という言葉の下に、自分の憤懣やるかたない思いを選手やフロントにぶつけてしまっては、それはもうサポートと呼べるものではない。それは、チームを思うという言葉を隠れ蓑にして、身勝手な行動を正当化しているだけに過ぎない。そして、その延長線上に、今回の問題があることを自覚する必要がある。今までのことを単なるルール破りで済ませてきたことに大きな問題があったといわざるを得ないだろう。

 サポートとはいったいなんだろう。それは、ピッチの上のイレブンがベストパフォーマンスを発揮できるよう、最高の環境を作り出す一助となることだと思う。その形は様々だが、大前提として、自分たちの行動がチームの力になるということが必要だ。その根底にある理念さえ忘れなければ、ルール破りなど起こるはずもないし、選手やフロントを誹謗・中傷するような行動が取れるはずもない。もっとも、批判は時には必要だが・・・。

 愛の鞭と罵声は断じて違う。愛の鞭と誹謗・中傷は違う。愛の鞭と暴力は違う。そして愛の鞭は相手の人間性を傷つけるものではない。どんなに尤もらしい言葉で飾ったところで、それは感情の赴くままに自分を押し付けているだけに過ぎない。いつもニコニコしてればいいとは言わない。場合によっては厳しく接することが必要なときもある。しかし、それは、自分の怒りに任せて、相手を叱責することではない。もちろん、ルールを破ることでもない。

 今回の騒動で私たちはもう一度、サポートということを考える必要がある。犯人を見つけ出して紛糾し、誰かを捕まえて責任を取らせるだけなら問題の本質は変らない。いずれ同じ事が起こる。サポートするとはどういうことか。だれもが自由に応援するということはどういうことか。選手の力になるということはどういうことか。当たり前のことだが、それをもう一度見つめなおして、自らの自浄作用を発揮する必要があるのだと思う。



 もうひとつは、今回の騒動の根底には拭いきれないフロント不信があるという事実だ。何故、これほどまでにフロント不信が深くなったのか。この点について、フロントには、是非、熟考をお願いしたい。昨シーズンの最終節、アビスパ福岡のJ2降格が決まったとき、万博記念陸上競技場に集まった多くのサポーターは、悔し涙にくれながらもチームとともに戦うことを誓い合ったはず。それが、わずか数ヶ月の間に、これほどの行動を取るまでになった理由を考えて欲しい。

 サポーターと呼ばれているいくつものグループだけではなく、グループに属さず観客席で戦いを見守っている観客にとっても共通している思いは、アビスパ福岡が何をしようとしているのかが分からないということだ。確かに、今シーズンの目標を「1年でJ1」とは明言している。スポンサーを口説き落として、昨シーズンと同様の支援も受けた。しかし、アビスパ福岡が取っている様々な行動は、その目標とは結びついているとは思えない。

 また、様々な問題に対してフロントの行動が見えないのも不信感をさらに募らせている。今回の盧廷潤の問題も、その前兆はシーズン前からあった。フロント批判を繰り返すサポーターの話し合いに応じ、試合後、怒るサポーターと話に応じたのは盧廷潤。そのたびに険悪なムードが漂っていた。しかし、フロントは自らの意思を明らかにすることはしなかった。盧廷潤は言ってみれば単なる所属選手。フロント批判はフロントが対応すべき問題だった。

 計画は必ずしも予定通りには行かないものだ。思うように勝てないこともある。しかし、皆が問題にしているのは、1年でJ1に行こうとする意思が感じられないことなのだ。メディアの報道の仕方に問題があるのかもしれないが、聞こえてくるコメントは無責任とも取れるものばかり。監督は「J1に上がる」という言葉を明言しない。勝てなくても、問題行動が起こっても、フロントは行動を起こさない。もちろん、様々な手を打っていると信じたい。しかし、今は、その意志を具体的な形に表すことが必要なときだ。

 もちろん、問題行動を取った一部の人間が責められるべきであるのは当然ことだ。しかし、その根本的な原因が、現在のフロント不信にあることを理解してもらいたい。そして、堂々と様々な問題に対処してもらいたい。いろんな方法があると思う。その決定内容についても、賛否両論、様々な意見が寄せられると思う。しかし、どんな決定であれ、いまアビスパ福岡を応援する人たちが求めていることは、直面している問題に正面から堂々と対処するフロントの姿なのだと思う。



 フロントからも、そしてサポーターからも問題が噴出しているアビスパ福岡。それが盧廷潤に対する行動という形で表面化した。今後の対応についてフロントが20日に意思を表明し、盧廷潤が福岡に戻ってくれば、形の上では決着する。しかし、それで全ての問題を終わりにしてしまってはいけない。盧廷潤が戻ってきても彼が受けた心の傷が癒せたわけではない。彼の心を癒すためには、私たち全員がこの問題の大きさを背負って、そして、一丸となって行動することしかない。

 だからこそ、安易な方法で誰かを罰したり、誰かを辞めさせたりして欲しくはない。様々な議論の中から、それしかないという結論に達したのであれば、それも仕方がないだろう。それほど大きな問題であるからだ。しかし、責任を取るということは辞めることばかりではない。自分の罪の大きさを背負って、起こした問題を自らの手で解決するという責任の取り方もある。とにかく、盧廷潤にとって、そしてチームにとって最もいい方法を考えていくべきだ。

 そして、フロントには問題の根本を見つめなおした上で、今後の防止策について手を打って欲しい。様々な規制やルールとは、違反したものを罰するために設けられているのではない。こうした不幸な出来事を未然に防ぐためのものだ。だから、恐れずに毅然とした態度を取って欲しい。そして堂々とした態度でいて欲しい。それは必ずサポーター、フロントとのいい関係を築くはずだ。

 今回の問題がアビスパ福岡に投げかけたもの、そして残したものは計り知れないほど重い。そして、残念で不幸な出来事は、責任を取るなどと軽々しく発言できるものでもない。私たちに残されている道は、この出来事をしっかりと背負い、その問題の大きさを噛み締めながら、一丸となって一歩ずつ進んでいくしかない。目の前に突きつけられた問題から逃げないこと。それが、私たちに求められていることなのだと思う。



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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