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 福岡通信 02/04/26 (金) <前へ次へindexへ>

 FIFAワールドカップTMまで後35日。


 文/中倉一志
 1989年11月、日本は2002年FIFAワールドカップTMの開催国として立候補することを表明した。それに先立つこと5ヶ月。日本サッカー協会は「プロリーグ検討委員会」を設置。日本サッカー界が大きく動き始めた時だった。とは言え、当時は日本リーグのスタンドに閑古鳥が鳴き、ワールドカップはおろかオリンピックにさえ出場できない時代。プロ化が日本のサッカーの力を上げるのは分かっていたが、全ては夢物語のように思えたことも、また事実だった。

 あれから本当にいろんなことがあった。満員の観衆で埋め尽くされたJリーグ開幕戦に感動し、遠い中東のドーハで起こった出来事に愕然とした。1996年6月1日を迎えるのが怖くて眠れぬ日々を過ごし、その1日前に突然TVの前に現れたジャック・ワーナー氏の言葉に耳を疑った。そしてワールドカップ初出場をかけて戦った最終予選。試合前から足が震え、なぜか涙が止まらない。日本人であることを初めて強く意識したときでもあった。

 中々勝てない日本代表。加茂監督の更迭。国立競技場でのカズとサポーターの小競り合い。戻ってきたゴン中山。国立競技場に舞う青いテープ。そしてジョホールバルの歓喜。岡野のVゴールが決まった瞬間、その4年前に東京のスタジオで涙し、一言のコメントも発せなかった男が真っ先にピッチに飛び出した。TVのマイクの前では、日本のサッカーシーンを静かに、しかし熱く伝えた続けた山本氏がいつもの名文句を語っていた。

 1998年6月、日本は初めて世界の舞台に立った。世界のファンの目を引き付けた日本。悔しい全敗。そう言えば、チケット騒動に巻き込まれて多くの日本人が観戦をあきらめた。全てが初めての経験だった。しかし、中田は実力を認められて海を渡り、名波もその後に続いた。そして、いまでは多くの日本人が外国でプレーするようになった。たった10数年の間にめまぐるしいほど様々な出来事が起こったが、今思えば、全ては2002年のワールドカップのためにあった。



 そのワールドカップがとうとう日本にやってくる。まだ先かと思っていたら後35日、もう目の前だ。世界中からエントリーした198カ国の代表32カ国が日韓の地にやってきて、4年に1度の夢の祭典を繰り広げるのだ。その凄さは知っているつもりだが、実際に目の前で、しかもホスト国として開催されるという現実は、一体何を私たちに経験させてくれるのか、とても想像ができない。もちろん素晴らしい試合の数々は私たちを感動させてくれるに違いないが、きっと私たちの思いもよらないものをたくさん届けてくれるはずだ。

 当たり前のことだが、やってくるのは選手たちばかりではない。自分たちの国の代表を応援しに、多くのサポーターたちがやってくる。外国人ばかりではない。日本国内からも信じられないくらいの人たちが各地の開催地を訪れることだろう。しかも彼らは観光でやってくるのではない。自分たちの代表を応援する。いい試合を見たい。ただそれだけの理由でやってくる。だから、よそいきではない、普段着のままで開催地を訪れることになる。

 そこでは、日本人、外国人に関わらず、様々な文化や風習を持った人たちが、普段着のままで接するコミュニケーションが生まれる。交通網や通信網の発達で世界は狭くなったといわれるが、極東に住む私たちが外国に行く機会はまだまだ少ない。そんな私たちにとって、普段着のままの外国人に接する機会など、ほとんどないといって言い。それが、この1ヶ月間は可能になるのだ。メディアは経済効果ばかりを取り上げるが、それは一過性のもの。最も重要なのは、こうしたコミュニケーションなのだと思う。

 日本代表の試合開始を待つ間、私たちが競技場の周りでフットサルをするように、彼らも広場を見つけてボールを蹴るだろう。私たちがよその国のサッカーを知りたいように、彼らもまた日本のサッカー事情を知りたがるだろう。言葉ができないからといってしり込みする必要はない。ボールをひとつ持って、そして、なにかサッカーらしいものを身につければ、それでOKだ。サッカーという世界の共通言語がコミュニケーションを可能にしてくれる。



 ワールドカップの主役はもちろんサッカー。その中心が試合であることは間違いない。しかし、試合は90分間しかないが、試合を見にやってくる人たちは少なくとも1日、あるいは数日間もの間、開催地にとどまることになる。おまけにキャンプもある。試合時間よりもはるかに長い時間、彼らは開催地やキャンプ地にとどまるのだ。しかも、こんな機会は、最低でも、あと数十年はやってこない。だったら、この機会を逃すわけには行かない。

 そして、これは何も開催地だけの特権ではない。例えば福岡は九州の玄関口。会場である大分が最も盛り上がるのは当然だが、ほとんどの人たちが福岡を経由して大分に行くはずだ。しかも福岡と大分は高速バスで2時間あまり。福岡に宿泊して試合当日に大分に入るという人も多い。彼らは試合のない日のほとんどを福岡で過ごすことになるのだ。きっとスポーツカフェを探して盛り上がり、市役所前広場でボールを蹴ることになるだろう。

 せっかくやって来た外国人や、日本の他の地域からやって来た人たちを観光地に誘導しようという考えもあるようだ。しかし、おそらくほとんどの人たちが観光地には行かないだろう。なぜなら、彼らはサッカーにつかりにくるからだ。現に私がフランス大会最終予選の韓国戦を観戦するためにソウルを訪れたとき、試合開始までの時間帯は市内観光が当てられていたのだが誰も興味を示さなかった。私たちが知りたかったのは韓国の日常だった。

 そして、私たちが空き時間を利用して訪れたところは、韓国蹴球協会、KAWOCの事務所があったビル、そして日本大使館だった。夜は夜で、ただの街中を歩き回った。スタジアムについたら、許される範囲内でスタジアムの中を見て回った。そして韓国のサッカーファンと思われる若者たちは、私たちの様子からサッカーを見にきたと知ると、興味津々と言った顔で近づいてきてくれた。サッカーファンとはそういうものなのだ。



 普段着の交流は、なにも外国からやってくる人たちとの間で起こるわけではない。日本に住んでいる外国の人たちだって、この期間は代表を応援しようと盛り上がる。特に、福岡には韓国や中国の人たちが多く住んでいる。韓国は今大会の日本のパートナー。中国は記念すべき初出場国だ。チケットを手に入れられず開催地へいけない人たちは、きっとどこかに集まって自分たちの代表を応援するはずだ。私たちがフランス大会の時にしたように。

 アジアの仲間として、彼らと一緒に日本、韓国、中国、そしてサウジアラビアを応援するのもいいではないか。スポーツカフェに集い、イベント会場に集まり、同じ画面を見ながら声援を送る。こんな経験はそうそうできることではない。たかがサッカー。サッカーを見ただけで全てが解決するわけではないが、日韓共催が決まってから、両国間の距離は確実に縮まった。あれほど「遠くて近い国」と呼ばれた両国でさえそうなのだ。お互いの文化を理解する大きな機会になるはずだ。

 残念なことに、福岡は、まだワールドカップで盛り上がっているとは言い難い。しかし福岡は、アジアをもっと知るために、そしてアジアの人々に、もっと福岡市を知ってもらうために、言葉や国境を越えた、「人」と「人」との交流を目的として、毎年アジアマンスを開催している土地。その福岡がワールドカップを楽しまない手はない。ボールを蹴れる広場はいたるところにある。博多名物の屋台で外国人と酒を飲み交わすのも一興だ。

 さて、後35日。忙しさにかまけて何も準備をしていなかったが、私もそろそろワールドカップモードに入ろうと思う。4年前、フランスの人たちと交換するために浅草で仕入れたTシャツと扇子、そしていくつもの小物を押入れから探し出そう。効率よく会場を回れるように、スケジュールも立てよう。福岡で開催されるイベント情報にも目を配ろう。そして、長い間したためてきたワールドカップへの思いを、この機会に一気に爆発させよう。ワールドカップを見るだけなら4年待てばいい。けれど、また日本で開催される保証は何処にもない。



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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