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 福岡通信 02/05/04 (土) <前へ次へindexへ>

 トルシエ日本、ただいま最終調整中


 文/中倉一志
 誰にでも心に残るスタジアムというものがあるものだが、私にとっては、サッカーと言えば真っ先に国立霞ヶ丘競技場が頭に浮かぶ。Jリーグの開幕、そして、FIFAワールドカップTMの開催を受けて、日本の各地には素晴らしいスタジアムが誕生し、国立競技場はもはや近代設備とは程遠い存在になったが、それでも私にとっては今もなお最高の競技場として胸に刻まれている。神宮の森の中に一際大きく堂々とたたずむ姿は、いつ見ても威厳を感じさせてくれる。

 江戸時代には、周辺に住んでいた人たちが鷹狩を楽しんでいたという神宮周辺に競技場ができたのは1924年(大正13年)のこと。明治神宮外苑競技場と呼ばれたスタジアムは、スタンド建坪4082平方メートル、メインスタンドには15,000人、芝生スタンドに20,000人を収容する東洋一の規模を誇るものだった。このスタジアムで日本代表が初めて試合を行ったのは1930年5月25日、第9回極東選手権大会におけるフィリピンとの試合だった。

 その後、数々の記念すべき試合が神宮競技場で行われた。敗戦後初めての国際試合となるヘルシングボリ(スウェーデン)戦、初めて韓国との間でワールドカップへの出場権を争った1934年スイス大会最終予選。そして1958年のアジア大会開催に備えて大改修が行われ、58,000人を収容する「国立霞ヶ丘競技場」として生まれかわった後も、国際試合の舞台として数々の名勝負を見守ってきた。国立競技場は常に代表とともにあった。



 さて、その国立競技場で4月29日、FIFAワールドカップTMに向けて着々と準備をすすめる日本代表がスロバキアを迎えて国際Aマッチを行った。夢の競演まで約1ヶ月に迫っていることもあって国立競技場に訪れた観衆は55,144人。開場とともに埋め尽くされたスタンドはジャパンブルーで染まっている。日本の組織はどこまで高まっているのか。オプションとして試されている選手たちはどんなプレーを見せるのか。観客の関心はいつも以上に高い。

 この日、最大の注目を集めたのが中村。いつもはかたくなに左サイドでの起用にこだわるトルシエ監督がトップ下での起用を明言していたからだ。そして中村は、その起用に応えて持てる力の全てを発揮した。立ち上がりこそ、上手くボールに絡めなかった中村は9分、左サイドを駆け上がる三都主に絶妙なロングフィードを供給。GKとの1対1のシーンを演出すると、これを機に面白いように決定的なパスを連発した。

 14分には絶妙なパス回しから自らゴール前に飛び込む。23分には攻めあがってきた稲本にラストパス。33分には西澤にこれしかないというタイミングでパスを送った。そして38分、柳沢からのパスを受けて前線に走りこむ西澤へ絶妙のボールを渡して先制点の起点になった。不安視されていた接触プレーでもバランスを崩すことはなく、自らの力でトップ下で力を発揮できることを示して見せた。中田、小野という世界のトップフレーヤーを持つ日本に、さらに大きなオプションが加わったことを証明して見せた試合だった。

 もう1人、スタンドの注目を浴びたのが柳沢だった。トルシエ監督が前日の記者会見で発表していた通り、この日は右サイドで先発。この起用に柳沢がどう対応するかが期待されていたからだ。しかし、柳沢は新しいポジションでも可能性を垣間見せることは出来たが、居心地の悪そうなプレーに終始してしまった。おそらくトルシエ監督は右サイドのMFか、3トップのような活躍を期待していたのではないかと思われるが、WBと化した柳沢は守備に引っ張られて攻撃面での活躍は期待されたほどではなかったようだ。

 日本の攻撃の切り札として左サイドで起用されている三都主は、この日も持ち前の縦へのスピードを披露。代表の左サイドの切り札的オプションとして十分に計算できることを示した。また、中村に代わって出場した小笠原も持ち味を発揮。中村同様、決定的なパスを連発して日本の攻撃を支えた。ウクライナ戦では実力を発揮できなかった福西も、試合を重ねるごとにチームになじんでいる様子が窺える。一方、久し振りの代表ゲームとなった稲本は、残念ながら本来の出来には遠かった。やはり試合感が戻っていないのだろう。



 ところで、ワールドカップまで1ヶ月となっても多くの選手を起用し、更には様々なポジションを試そうとしているトルシエ采配を疑問視する声があちこちで上がっている。早く23人のメンバーを固め戦術浸透度を高めるべきだというのが、その主な理由だ。また、試合を最終選考の場のように使っていては、選手間の無用な競争が怪我人を招くことや、過度な精神的疲労を与えることを危惧する声も上がっている。

 しかし、注意深く選手起用を見ていくと、代表枠の23人の姿はかなり明確に絞り込まれているのが分かる。トルシエ監督は「残りの枠は僅か」と再三語っているが、その言葉通り、最終の枠を争っているのは2人程度でしかなく、それが誰であるかは起用方法から見れば、かなり明確に推測はつく。怪我をしている選手の回復具合や、これから怪我人が出る危険性を考えれば、エントリーぎりぎりまで残り数名の枠を留保することは当然のことで、決してチームの根幹が流動的であるわけではない。

 トルシエ監督のサッカーは組織で戦うもの。ベンチスタートの選手たちが交代出場しても、チームの戦い方が変らないのが特徴であるとも言える。トルシエが監督に就任するまでは、日本代表チームはレギュラーとサブの間に明確な差があったが、それを覆したのがトルシエ監督だった。そのトルシエ監督が最終メンバーと目される選手たちそれぞれに出場機会を与えるのは当然の起用方法であり、それがなければトルシエ監督のサッカーは成り立たない。

 また、トルシエ監督が現在使っている戦術はまさしくオプションのための戦術であって、基本戦術を探しているわけではないだろう。三都主の起用はオプションそのものだし、柳沢の右サイドでの起用も、危険を犯してゴールを狙いに行くときのオプションと見るべきではないかと思う。もちろん、基本戦術の再確認は必要だが、それは海外組が合流してからの最終調整段階で行えば十分に間に合うはず。その位、日本の実力は上がっている。



 トルシエ監督と代表選手たちの戦い振りを見ていると、彼らは自分たちの基本的な戦術の習熟度にかなりの自信を持っているように思える。どんな相手と戦っても、慌てることもなく、決して侮ることもなく、自分たちのペースを乱さずに戦っている。思うように点が取れないこともあるが、それは内容が悪いからではない。選手個々の特徴の違いはあるにしても、代表チームの戦い方は私には何時も同じように見える。

 また、90分間を通して一貫性のある戦いが出来ないのは、まさに様々なオプションを試しているというのが理由だろう。本番は1ヶ月先。いまの時期にオプションの可能性を探っておかなければ、それこそ最終合宿でオプションの精度を上げることが出来なくなる。ここまで3年半もかけてチームを作ってきたこと。しかも、主力メンバーのほとんどが、この期間をトルシエ監督とともに過ごしてきたことを考えれば、基本的な部分は既に完成していると考えていいのではないかと思う。

 それよりも、国際Aマッチで堂々と調整を行い、しかも負けないという事実にこそ注目すべきだと思う。4年前は、海外遠征でタイに敗れ、一次予選ですら明らかに格下の相手に自分たちのサッカーをすることができなかった日本。フランス大会への出場を決めた後に中国の前に簡単に敗れた。その日本が国際Aマッチで堂々と調整試合を、しかも数試合に渡って行うなど当時は考えもつかなかったことだ。外国のチームが日本相手に調整を行っていたのは誰でも知っていること。しかし、いまは日本が外国に対して調整試合を行っている。

 しかし、それでもなお、ワールドカップの舞台で一次ラウンドを突破するのは並大抵のことではない。日本が決勝トーナメントに進むためには、今ある力の上に何かオプションを加えなければならないこともまた必要なことだ。そう考えていけば、最近のトルシエ采配も十分に理解できるものだと思う。さて、日本サッカーの歩みを見守りつづけてきた国立競技場は、この日の試合をどう見たのだろうか。ワールドカップ開幕まで後27日。答えは間もなく出る。



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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