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 福岡通信 02/07/20 (土) <前へ次へindexへ>

 ボールを追いかけて30年。


 文/中倉一志
「たまには遠出しませんか。帰りに温泉につかるっていうのもいいもんですよ」

 そんな友人の言葉に誘われてドライブとしゃれ込んだ。行き先は佐賀県藤津郡嬉野(うれしの)町。嬉野温泉として古くから知られる町だ。九州縦貫道を鳥栖ジャンクションから長崎自動車道に入って約1時間。嬉野ICから降りると小さな温泉街が広がる。町のあちこちの建物を見ていると賑やかだった頃が偲ばれるが、いまでは街中を歩く人の姿は少なく、ひっそりと静かな雰囲気を漂わせている。

 古くからの言い伝えによると、その昔、この土地に立ち寄られた神功皇后が、川中に白鶴が疲れた羽を浸して元気に飛び立つ様子をごらんになり、戦いで傷ついた兵士を入れて見たところ、そこには温泉が湧いていて兵士の傷が癒えた。それを喜んだ皇后が、「あな、うれしいの」と言われたことが「嬉野」の地名の起源となっているそうだ。オランダの医師ケンペェルやシーボルトも宿泊したほか、あの「遠山の金さん」の父である当時の長崎奉行、遠山金四郎景普が宿泊したとの記録も残されている。

 なにやら、温泉地めぐりのような書き出しになってしまったが(笑)、この日は嬉野町にある「嬉野みゆき運動公園」で九州サッカーリーグ(通称Kyuリーグ)第12節が行われた。世界の技に酔いしれたワールドカップもサッカー。J1昇格のために必死になって戦うのもサッカー。そして、観客のほとんどいないスタジアムで、ただボールを追いかけたくて走り回るのもサッカー。たまたま予定が空いたこの日だったが、やはりサッカーが観たくて車を走らせてきた。

 キックオフ5分前にスタジアムに到着。ピッチを囲む小さな土手が即席のスタンド代わりだ。正面と両ゴール裏には芝生が、バックスタンドに当たる場所は即席の駐車場になっている。そのバックスタンド(?)へ向かうと、既に7〜8人のサポーターが集まっていた。挨拶を交わし、早速サッカー談義を始める。顔見知りの人も、初めて会う人も、何のわだかまりもなく話に花が咲く。「みんなサッカーが好きなんだな」。そんな言葉が心に浮かんだ。



 さて、第一試合は「沖縄かりゆしFC(以下、かりゆしFC)」と「熊本教員蹴友団」という、九州地区の古豪と新鋭の対戦になった。沖縄かりゆしFCは、以前も福岡通信で紹介したが、「沖縄からJリーグへ」を合言葉に最短距離でのJ2入りを目指すプロサッカークラブ。2シーズン目になる今年の目標は1年でJFLに昇格すること。その目標どおり、ここまで11連勝(うちPK勝ちが1つ)とまだ負けがない。Kyuリーグにあっては攻守ともに他の追随を許さない存在だ。

 対する熊本教員蹴友団の創立は昭和28年。熊本県内の教員を中心に組織されたクラブで、熊本県一の伝統を誇り、「熊本教員団」の名で親しまれている。平成元年のシーズンから県リーグでの活動を強いられたが、平成3年にKyuリーグに復帰。平成11年からは再び県リーグで3年間を過ごした後、各県リーグ決勝大会を勝ち抜いて今シーズンからKyuリーグ復帰を果たした。ここまで2勝9敗と厳しい戦いが続いているが、全力を挙げて沖縄かりゆしFCに挑む。

 試合は戦前の予想通り、かりゆしFCが攻め、熊本教員蹴友団が守るという展開で進んでいく。守りを固める熊本教員蹴友団は最前線にFWを1人残して全員が引いてスペースを消す。そして、中盤でボールをキープする選手にはきちんと身体を寄せて、かりゆしFCに自由を与えない。かりゆしFCの選手たちの動きが重いこともあったが、自分たちの狙い通りの展開でゲームを進めていく。第3節の対戦で8−0で熊本蹴友団を一蹴したかりゆしFCは思わぬ苦戦を強いられていた。

 しかし、時間が経過するにつれて、両チームの地力の差が細かなところで現れ始めた。そして29分、かりゆしFCが先制点を挙げる。決めたのは佐藤。熊本蹴友団のマークが一瞬遅れたのを見逃さずに放ったミドルシュートが熊本教員蹴友団のゴールネットを揺らした。60分には先制点を挙げた佐藤からのパスを河原崎が決め、さらに83分にはオウンゴールからだめ押しの3点目をゲットした。熊本蹴友団の健闘が光った試合だったが、最後は力の差が出てしまった試合だった。



 ところで、この試合が終わった後、1人の選手がサポーターたちが集まっている土手に向かって走ってきた。熊本蹴友団の10番。この日、たった1人で前線に残って僅かなチャンスを待ちつづけた島崎修選手だ。中学校のときにサッカーを始めて30年。42歳になった今も現役を続ける九州リーグ最年長プレーヤーだ。実はこの日、土手の後ろにある金網に「威風堂々 島崎修」という横断幕が張ってあったのだが、それを見つけた島崎選手がサポーターたちに挨拶にきたのだった。

 この横断幕について、かりゆしFCのサポーターズクラブである「TORCIDA JOVEM DA'I-DA'I(トルシーダ・ジョーベン・ダイダイ)」のリーダー池間さんは次のように話してくれた。「各クラブのサポーターが集まって食事をしたときに、威風堂々という言葉が一番似合う選手は誰だろうっていうことになった。そうしたら、やはり島崎選手だろうと。42歳になっても、ピッチの上で堂々と現役としてボールを追いかけてる。みんなの意見も一致した」

 いくつになっても自分たちはサッカーというスポーツを、そして愛するチームをサポートしていたい。そして、選手たちには、年齢とともにプレーする場所が変わっても、何時までも現役としてボールを蹴り続けていて欲しい。そんな選手たちの姿を追い続けられたらサポーターとして最高だと池間さんは言う。様々な困難を乗り越えて今も現役を続ける島崎選手の姿は、彼らにとってまさに威風堂々と見えた。そして、各クラブのサポーターと協力して「九州リーグサポーター一同」として横断幕を作ったのだ。

「びっくりしました」と島崎選手は開口一番こう語った。中学校の教師を務める島崎選手は、県大会に出場する生徒の練習のため試合に出る予定はなかったのだが、メンバーが足りないため、急遽、前日の試合に参加。そこで横断幕を見つけたと言う。「実は今日は試合には来られなかったんですけれど、サポーターの皆さんが来ていると聞きましたので、頑張らなくちゃいけないということで時間を作ってやってきました」。かりゆしFCとの試合でも、そんな思いをサポーターたちに見せてくれた。



「みんなが支えてくれている。子供たちの支えとか、家族の支え、チームメートの支えでやってこれました。サッカーが好きで、その好きなサッカーを、ここまでやらせてくれている全ての環境に感謝しています。だから頑張れるって言う気持ちにもなれるし、好きだから、ここまでやってこれたんだと思います。もちろん仕事もたくさんありますし、だけど、そういう中で時間を見つけてやるということが自分の中でも重要なことなので、感謝を持ってやらせてもらっています」

 仕事をしながらプレーを続けるというのは言葉で言うほどたやすいことではない。全ての環境に感謝していると島崎選手は話してくれたが、そうした環境があるのは、仕事にも、サッカーにも全力を挙げて取り組む島崎選手の姿勢があるからこそ。しかも、体力的な衰えとも戦わなくてはならない。言葉では言い表せない努力をしていることは間違いない。しかし、そんな雰囲気を少しも見せず、当然のように淡々と語る島崎選手の姿は威風堂々そのものだった。

「実は蹴友団の監督はボクの教え子なんですよ」。島崎選手はこっそりと教えてくれた。他にも蹴友団の選手の中には多くの教え子たちがいるという。「学校の現場では自分は子供たちに対して先生という立場だったんですけれど、今ではチームメイト。先輩と後輩という関係です」。そう語る島崎選手の表情はどこか嬉しそうにも見えた。サッカーという共通言語が、立場や年齢を超えて、一人の人間として対等にコミュニケーションが取れる。これもスポーツの素晴らしさだ。

「教えた子供たちが、何らかの形でサッカーに携わってくれれば、自分の教師としての仕事は出来ているし、しかも、自分の好きなことを続けていられるということは自分にとっても大きなことだと思っています。横断幕を作ってもらって、まだ頑張れるかなって思っています」。島崎選手はそう言って颯爽と帰っていった。名もない、地域リーグに所属する1人のプレーヤー。しかし、その姿は間違いなく輝いていた。



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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