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 福岡通信 02/09/06 (金) <前へ次へindexへ>

 「その衝撃が、バリアを突き破る」〜2002年世界車椅子バスケットボール選手権大会


 文/中倉一志
 福岡県は、毎年のように様々なスポーツの国際大会を開催している都市である。福岡国際マラソンと言えば知らない人はいないだろうし、日本サッカー界が初めて世界のタイトルを獲得した1995年ユニヴァーシアード大会も福岡市で開催された。また、昨年は世界水泳が開催され、オーストラリアのイアン・ソープが6冠を獲得したのは記憶に新しい。そしてワールドカップが開催された今年、北九州市でも世界一を決めるビッグイベントが開催された。

 通称「Gold Cup in 北九州」(正式名称:The 2002 World Wheelchair Basketball Championships Kitakyushu)。下肢に障害を持つ人たちによって行われる車椅子バスケットボールの世界選手権だ。以前から、車椅子バスケットボールを観戦したいと思っていたのだが、それが身近なところで、しかも世界選手権と聞いては見逃すわけには行かない。大会開催期間は8月23日から9月1日まで。早速、会場へ足を運んでみた。というわけで、今週はサッカーの話題から外れて「Gold Cup in 北九州」について紹介したいと思う。

 世界車椅子バスケットボール選手権は、いまから27年前の1975年、ベルギーのブルージュで第1回大会が開催された。その後、大会は4年に1度のサイクルで行われ、今年で第8回目(女子は4回目)、アジアで開催されるのは初めてのことだ。現在、国際車椅子バスケットボール連盟(IWBF)には、50を越える国と地域が加盟しているが、その中から予選を勝ち抜いた男子12カ国、女子8カ国の代表チームによって争われ、パラリンピックと並んで最も権威のある大会とされている。

 本大会は、まず参加国を2つのブロックに分けて予選リーグを実施。各ブロック上位4チームによって決勝トーナメントが行われる(女子は参加8カ国のため、全チームが決勝トーナメントに進出。予選リーグはシード順をつける予備選のようなもの)。敗れたチームは、そのまま順位決定戦を行い、最終的に優勝チームから12位(女子は8位)まで、全てのチームに順位をつけることになる。試合時間が10分×4であること以外は、ほとんど通常のバスケットボールと同じルール。ちゃんとトラベリングもある(ボールを保持した状態で車輪に触れるのが許されているのは2回まで)。



 初めて見る車椅子バスケットボール。凄いとは聞かされていたが、これほどの迫力があるとは思わなかった。その激しさと技術の高さは単なる障害者スポーツのレベルを遥かに超えている。素早い切り返しからのカウンター、スペースを見つけて背後を突くタイミングの良さ、素早いパス交換からのカットイン、とても抜けられそうもない相手の間をするりと抜ける技術、そして、それらに着実に対応するディフェンス能力。それは完全にひとつのスポーツ種目としての地位を確立していると言っていいほどだ。

 また、会場である北九州市立総合体育館は連日立ち見が出るほどの大盛況で、対戦カードによっては会場に入ることが出来ない観客が出るほど。最も多くの観客が集まった男子決勝戦では、会場に入りきれない人のために、第2競技場に大型モニターを設置、10日間で集まった観衆は80,479人を数えた。これは、北九州市が毎年、車椅子バスケットボールの全国レベルの大会を開催していることが大きく影響しているのだろう。

 そんな中、最も注目されたのが日本代表の試合。地元北九州市のファンを中心に、連日大声援を背に受けて、世界の強豪と堂々と渡り合う大活躍を見せた。残念ながら、世界のトップクラスとの差は明らかだったが、男子は1990年大会の7位に次ぐ8位、女子は前回大会に続き4位の成績を収めた。なお、女子の決勝戦は3大会連続してカナダとアメリカの対戦となったが、カナダがアメリカを破って3連覇を達成。3位には3大会連続でオーストラリアが入った。

 さて、注目の男子決勝戦はイギリスとアメリカの間で行われた。イギリスは1975年大会の3位、1994年大会の2位以外にはこれといった成績は残せていなかったが、今大会は初日に優勝候補筆頭のアメリカを破り、その勢いをかって決勝戦まで進んできた。狙うはもちろん初優勝だ。対するアメリカは、過去優勝5回、2位2回と圧倒的な強さを誇る世界の強豪。現在も2連覇中で、2度目の3連覇達成を目指す。初戦の借りを返そうと試合前から気合が入っている。



 試合はイギリスの攻勢で幕を開ける。優勝に強い意欲を見せるイギリスは、アメリカを上回る攻守の切り替えの速さと、正確なシュートを武器にゴールを連発。あっという間に8−0とリードを広げる。その後、必死に追い上げをかけるアメリカに一歩も引かず互角の展開で試合を進めていく。追いつけそうで追いつけないアメリカ。さすがに、いきなり背負った8点のビハインドは大きいようにも見えた。

 しかし、この流れをアメリカのエース、ポール・シュルトゥが変えた。正確なシュート力を武器に3ポイントシュートをたて続けに決めて流れを引き戻したのだ。そして前半残り7分を切ったところで、またまたポール・シュルトゥが3ポイントシュートを決めて同点に追いつくと、後はアメリカのペース。堅い守りでイギリスの攻撃を封じ、攻めては着実にポイントを重ねて32−39と逆に7点のリードを奪って前半を終えた。ポール・シュルトゥはチームの6割を超える22ポイントを決めた。

 だがイギリスも、このまま引き下がってはいなかった。後半の立ち上がりは激しく争う一進一退の攻防が続いたが、ジョン・ボロックが正確なミドルレンジのシュートからポイントを重ね、それに触発されたようにサイモン・ムンが試合開始直後の調子を取り戻しアメリカを追い上げる。そして第4ピリオドに入って間もなく同点に追いつくことに成功する。ここからは互いに我慢比べ。どちらかがポイントを重ねれば、すかさずポイントを奪い返して追いつく。そんなジリジリした展開が続いていく。

 そして残り4分となったところでイギリスが61−60と1ポイントのリード。いよいよ最後の勝負どころを迎える。そして、この場面で勝負を決めるポイントを決めたのがポール・シュルトゥだった。この大事な場面に放った3ポイントシュートが綺麗にネットに吸い込まれると、その直後に、再びポール・シュルトゥが3ポイントシュートをゲット。これでイギリスの息の根を止めた。その後、逆転を狙って前に出てくるイギリスに落ち着いて対応したアメリカは、最終的に61−74のスコアで3連覇を飾った。



 大盛況のうちに10日間に渡る大会を終えた「Gold Cup in 北九州」。世界の技は、初めて車椅子バスケットボールを観戦した私を競技の楽しさや、素晴らしさに引き込んでくれたが、一番驚かされたのは競技場の雰囲気だった。とにかく観客層が広い。まだ小学校低学年の子供から老夫婦まで、あらゆる年代の人たちが、それぞれ均等にスタジアムに姿を見せていた。3世代に渡る家族連れが多かったことも私の目を引いた。

 加えて、誰もが実に試合に詳しい。チームを応援するコールはタイミングよく発声され、歓声は勝負どころや質の高いプレーが出るたびに大きくなる。決勝戦では私の隣には、かなりお年を召された方が1人で観戦されていたが、ひとつ、ひとつのプレーに呟く言葉は専門家そのもの。プレー中の指示(?)も実に適確なものだった。北九州市が車椅子バスケットボールに対して理解が深いことが原因だろうが、この町では、このスポーツが地元住民に定着していることが窺い知れた。

 また、ボランティア・スタッフの方々の暖かさ溢れるホスティングは、スタジアムに訪れた観客だけではなく、参加した選手たちからも大好評。多くの選手が「こんなに暖かな大会はなかった」という言葉を残した。そして、試合毎に各国の応援コーナーを設置して各国代表に声援を送った観客の姿に、ドイツ男子チームのディルク・タルハイム選手は、「観客の態度の良さに感激。各応援国ごとのコーナーがあるのにも驚いた。とても友好的ですね。ドイツではこれほどの観客を動員するのは難しいと思う」と振り返ってくれた。

 そんな中、私の心に最も印象に残ったのは、参加した選手たちも、ボランティア・スタッフも、そして観客も、誰もが、この大会を障害者スポーツとしてではなく、ひとつのスポーツ競技として勝利を目指し、声援を送り、楽しんでいたことだ。互いにハンデを意識することなく、ごく当たり前に接し、ともに楽しむ。しかも、それは付け焼刃ではなく、観客のほとんどがごく当たり前に振舞っていた。これこそバリアフリーの、そしてスポーツのあるべき姿なんだと改めて実感させられた。とても貴重な体験を得ることが出来た大会だった。



この大会の出場国の紹介や、大会の模様は下記でご覧になれます。

2002年世界車椅子バスケットボール世界選手権公式ホームページ
http://www.goldcup2002.com/

西日本新聞社の世界車椅子バスケットボール関連ニュース一覧
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/0208/kurumaisu/menu.html



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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