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 福岡通信 02/10/18 (金) <前へ次へindexへ>

 いよいよ、ジーコジャパン


 文/中倉一志
 日本中のサッカーファンの注目を浴びて、いよいよジーコジャパンが船出した。まず戦術ありきで、自らの戦術に合う選手をピックアップしてチームを構成したトルシエ前監督の方法論が誤りであったかと思わせるほど、「個性を活かしたサッカー」を連呼する各メディアのジーコジャパンの扱いには閉口したが、ジーコ監督が選んだ代表チームが、どんなパフォーマンスを見せるのかは大いに興味があるところ。残念ながら国立競技場へ足を運べなかったが、はやる気持ちを抑えきれずにTVのチャンネルを合わせた。

 それにしても豪華な顔ぶれだ。マスコミが騒ぎ立てる「黄金の中盤」を筆頭に、2トップは高原と鈴木。両SBには攻撃的な名良橋と、ユーティリティプレーヤーの服部を起用し、中央には秋田と松田が構える。ゴールマウスを守るのは安定感抜群の楢崎だ。選手の好みは人それぞれだが、これほど豪華な感じを与える代表は初めてだろう。さらに名波を筆頭にベンチに座るメンバーも錚々たるもの。いつのまにか日本代表の選手層は随分と厚くなったものだ。

 「立ち上がり15分は前からどんどんプレスをかけろ」というジーコ監督の指示通り、日本はジャマイカにホイッスルと同時に襲い掛かる。そして7分、早くもジーコジャパンの初ゴールが生まれた。中盤で中田がボールをキープすると、すかさず高原が前へ飛び出す。その足元へ吸い付くようにボールが渡ると高原は高速ドリブルで前進。その動きに合わせて右サイドを駆け上がってきた小野にラストパスを送ると、柔らかなタッチで振り抜いた小野の左足から放たれたシュートがゴールネットを揺らした。

 中田がボールを持ってから、ほんの数秒で生まれたゴール。流れるようにつないだ攻撃に、スタジアムのボルテージが最高潮に達しているのがTV画面からも伝わってくる。なるほど面白い。これほどワクワクするプレーを見るのも久し振りだ。しかし、そんな期待感とはうらはらに、このゴール以降、日本は攻撃を形作ることが出来ない。流れるように見事につないでボールを運ぶシーンは時折見られるのだが、どこか慌しい雰囲気が拭いきれない。



 それも仕方のないことだったかもしれない。確かに顔ぶれは豪華なのだが、チームとしての体をなしていないのだから、組織としての落ち着きが生まれないのは当然のこと。中田と小野が抜群の存在感を醸し出して引っ張る中盤が目立つものの、その動きに、前も後もついていけない。ほとんど何も出来ないジャマイカだったが、そんなジャマイカの攻撃を跳ね返すことすら上手くいかない。守備は組織で守るものだが、お世辞にも機能しているとは言い難い。

 それは前線にも言えることだ。病気からの復帰後、何か吹っ切れたかのように、その才能を発揮し続けている高原にチャンスがやってこない。見た目ほどチャンスの数も多くない。TV画面からは、アナウンサーが興奮気味に「面白い、面白い」と叫ぶが、「もっとシュートを打たなくてはいけない。前とのコンビネーションがよくない。両サイドからの攻撃も出来ていない」と西野監督(ガンバ大阪)は冷静に試合を分析していた。

 ただがむしゃらに、そして全速力で前へ出て行くといった前半を終えて、後半に入ると、日本はややペースを落とす。そして、両サイドへボールが出るようになり、慌しかった攻撃も落ち着いてきた。しかし、日本にチャンスがそれほどやってこないのは前半と同じ。試合はやや膠着状態に陥った。徐々にジャマイカが攻め込むシーンが増え、そのたびに不安定な守備が顔を覗かせるが、落ち着いて守りさえすれば1−0で逃げ切れる展開だった。

 ところが35分、日本の動きが止まりかけ始めた時間帯にジャマイカに同点ゴールが生まれる。左からのクロスにフラーがヘディングシュート。これはDFにあたって跳ね返ったが、そのボールをフラーが再び拾って右足でけりこんだ。前半の途中から名良橋が積極的にサイドを駆け上がっていたのだが、日本はその背後のスペースをカバーしきれず、そこをジャマイカに狙われていた。この得点も、日本の右サイドを崩されたのが失点の原因だった。結局、試合はこのまま1−1で引き分けた。



 正直な感想を言えば、まあ、こんなものだろうといったところか。合流してからの練習は僅かに2日。紅白戦を行なった程度で、互いのコンビネーションを合わせる時間も十分でなかったのだから、チームが組織として機能しなかったのは当然のことだ。ジーコ監督は2日で十分と言っていたが、まさか、その言葉を真に受けていたメディアはいないだろう。引き分けという結果も、試合の内容も、全ては予想範囲の出来事だった。満足するわけにはいかないが、現時点ではこんなものだろう。

 チームとしてみた場合、ほとんど評価できる材料はなかったが、それでもポテンシャルの高さという点では大きな可能性を感じさせてくれた。中村、稲本、名良橋、中田とつなぎ、最後は中田のピンポイントのクロスを鈴木がダイビングヘッドで合わせた前半45分のシーン。そして、名良橋、中田、鈴木、再び中田、柳沢、福西と全てダイレクトでつないでシュートまで持ち込んだ後半ロスタイムのシーンは見事としかいいようがなかった。

 「黄金の中盤」と称された4人の連携は予想ほどではなかったが、それでも中盤が面白いシーンを作り出していたのは、中田、小野によるところが大きい。その存在感は際立っていた。その一方で、残念ながら中村は力不足を感じさせた。前半は相手の攻撃に引っ張られて後退し、すぐに寄せられてはボールを奪われるシーンも目立ち、自由にプレーすることが出来なかった。後半は中田とポジションチェンジすることで前でプレーできるようになったが、この試合に限って言えば、機能していたとはいい難い。

 攻撃ばかりが注目されていた中盤だったが、中田、小野、稲本がその力を存分に見せたのは中盤でのボールの奪い合い。激しいぶつかり合いからボールを奪い、すばやくフィードするプレーは、さすがに海外の厳しい環境でプレーしているからこそ。そういった面でも中村との差は顕著だった。前半の途中でユニフォームがびしょびしょになっているのがTV画面でも確認できたが、中村は体調面での厳しさもあったのだろう。しかし、この厳しさを乗り越えなければワールドカップ出場の夢は叶わない。



 試合終了後、TV画面からは不思議な雰囲気が感じられた。試合に臨むまでの準備や、海外から5人も合流しての試合であることを考えれば、この結果は十分に予測の範囲内だが、TVカメラが映し出すスタンドの雰囲気は、この結果をどう受け取っていいのか戸惑っているように感じられた。それも無理もないかもしれない。試合前の報道振りからして、多くのサポーターは、もっと多くのことを期待してスタジアムに足を運んでいたからだ。

 ジーコジャパンはトルシエ元監督とは違うといわれている。しかし、同じサッカー。全く正反対のものなど存在しない。チームスポーツであるサッカーは組織が出来ていなければ試合にならないし、また、組織だけでは相手を崩しきることは出来ない。チームとしてどう戦うかというディシプリンと、局面を個人のアイデアと技で乗り切る力の両方が備わっていなければ、結果は出ないスポーツだ。戦術重視でチームを作り上げたトルシエ元監督でさえ、経験の大切さを説いていたのは、そのことを意味してのものだろう。

 前監督と現監督。2人が求めるものは別のものではない。組織力と個人の自由な発想の融合、結局はそれしかない。そこへ行き着くまでの方法論や、どちらを重視するかという色の違いは出るだろうが、全く違うものを作り上げようとしているわけではない。日本は組織力で戦えることを世界に示したわけだが、それだけでは上へはいけない。これまで築いてきたものをベースに、いかに個人の発想を豊かに組み込むことが出来るのか、それがジーコジャパンに求められているものだ。

 しかし、もしかしたら、我々は今までに抱いてきた日本代表のイメージを根本から覆すようなチームを見ることが出来るかもしれない。根拠はないが、そんな気持ちにとらわれたのも事実だ。日本にサッカーが伝来したとされている1873年以降、日本はヨーロッパの組織サッカーを目指してきた。例外的にファルカンが短期間だけ指揮をとったことがあるが、それ以外は全て欧州の指導者に教えを請いながらサッカーを普及させてきた。その路線を大きく変えるジーコ監督の招聘。それは、日本のサッカーに一大転機をもたらすかもしれない。そんなチームを、我々は冷静な目で見つめていきたい。決してワイドショーのようには見たくはない。



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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