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 福岡通信 02/11/08 (金) <前へ次へindexへ>

 遂に叶えたJ1への夢


 文/中倉一志
 大分トリニータが4年越しの夢を叶えた。過去3年間、最終戦までJ1昇格の可能性を残しながら後一歩のところで夢を逃しつづけていたが、とうとうJ1への扉を自らの手で開いたのだ。選手、チーム関係者、サポーター、そしてクラブを支えた多くの支援企業は、言葉では言い表せない喜びに浸っていることと思う。残る目標はJ2での優勝。残すは3試合だが1つ勝てば優勝が決まる。これまでの戦い方からすれば難しい目標ではないだろう。

 過去3シーズン、大分は試行錯誤の繰り返しだった。2000年シーズンを前に、チームを丸ごと入れ替えてしまうのかと思うほどの大型補強を行なったものの結局はチーム作りに失敗。2001年シーズンには外国人に頼った大型補強を行い同じ轍を踏んだ。課題とされていたリーダーシップの取れる日本人選手の獲得は行なわず、チーム強化は2年続けて失敗した。名のある選手をただ集めるだけでは勝てないという見本のようなチームだった。

 それでも石崎元監督はチームを良くまとめ上げた。持ち駒をフルに使い、いくつものフォーメーションと戦術を駆使して勝ち星を積み上げていく手腕は、十分評価されてしかるべきだった。ただし、常に相手に合わせて戦術を組み立てる石崎サッカーは、勝てる相手には確実に勝てても、上位チームとのここ一番の勝負では弱い側面も見せた。臨機応変な戦い方をする一方、「これが大分」というチームの形がなかったことも確かで、それが最後の壁を破ることが出来ない原因にもなっていた。

 しかし、今年は違った。補強の目玉はアンドラジーニャ、浮氣、サンドロの3人。縦のラインを固めるというチームの考えが明確に表れた補強だった。その狙い通り、この3人の補強が、「確実に守り抜いて、攻撃はアンドラジーニャと吉田を中心としたカウンター主体」という明確なチームの形を作り上げた。そして、中盤の底で圧倒的な存在感を見せた浮氣がチームを引っ張る役割を果たし、リーダーシップを取れる選手がいないという欠点も消えた。



 大分のサッカーを面白くないというサッカーファンは多い。しかし、人がどう評価しようと、物事を徹底させるほど強いものはない。大分はその見本のようなチームになった。そして、その戦い振りからは何が何でもJ1に上がるという強い意志が、ひしひしと感じて取れたものだ。それがワールドカップ前の快進撃につながった。15試合を戦って12勝2分1敗、25得点7失点の成績は誰からも文句がつけられないものだった。さすがに、ここまでの成績を残すと思っていたサッカーファンは少なかったのではないだろうか。

 そんな大分の快進撃もワールドカップ後は急激に減速する。一時は最大で10まで開いた勝ち点差がみるみるうちに縮まり、第27節には守り抜いてきた首位の座を新潟に明渡した。ここまでの12試合の成績は4勝5分3敗、15得点12失点。相手に得点を与えず、少ないチャンスをアンドラジーニャと吉田がものにするという大分の形が崩れたための失速だった。ここからはC大阪、新潟との激しいデットヒートが続くことになる。

 しかし、相手に合わせて戦ってきた過去3年間とは違い確固たる戦い方を作り上げたことが下降線を描いていたチームに歯止めをかけた。苦しくなったときに帰る場所が大分にはあったのだ。そして原点に戻った大分は再び快進撃を開始。28節以降の14試合を10勝3分1敗、25得点12失点で駆け抜けて、2位のC大阪に勝ち点で8の差をつけて、早々とJ1昇格圏内である2位以内を確保した。過去3年間の欠点を克服した大分が2位以内を確保することは当然のことだったとも言える。

 「果たして。この戦い方でJ1が戦えるのか」。そう疑問視する声も少なくない。スピードも、あたりも、プレッシャーも、そして攻撃力という点ではJ2とは比較にならないJ1の舞台で同じ戦い方が出来るかといえば不安要素はある。しかし、それはこれから手を打てばいいこと。チーム編成や戦術の見直しは必要だが、その根本にある「目標を達成するためにどんな手段を打てばいいか」という考え方を身に付けた大分なら、効果的な手段が打てるはずだ。



 大分の2位以内確保について、もうひとつ忘れてはならないのが地元の盛り上がりだ。今シーズンは福岡がJ2で戦ったため、試合日程が重なり大分まで足を運ぶことがあまりできなかったが、それでも、訪れるたびに、過去3シーズンとは比較にならない程の盛り上がりに驚いたものだ。初めてJ1のチャンスを掴みかけた1999年シーズン。大分市営陸上競技場を埋め尽くした観客のほとんどが見物人となっていたのとはまるで違う光景がスタジアムにはあった。

 ワールドカップのためだけのチーム。過去は大分に住む人たちでさえ、そんな言葉を口にした。「いつかはいなくなるチーム」、そんな言葉を口にするサッカー関係者もいた。「トリニータが盛り上がらなければワールドカップも盛り上がらない」そう言った者もいたが、その言葉の裏には「トリニータありき」ではなく、「ワールドカップありき」という気持ちが隠されていた。事実、2000年シーズン第39節、浦和レッズとの大一番を迎えた大分市営陸上競技場はワールドカップ一色に染められていた。

 しかし、今年私が訪れた数試合ではそんな光景は微塵も感じられなかった。3年前、見物人だった観客はピッチの上の11人とともに戦い、そしてありったけの声援を送っていた。相変わらず、いくつかに分かれたサポーターグーループがそれぞれに応援をする光景はあったが、以前のように、どこかバラバラな感じを受けることはなかった。難しい問題はあるのだろうが、少なくとも、「チームに勝ってもらいたい」という気持ちはひとつになっていたように思う。

 いろんなものを背負いながら、いろんなことを経験しながら、そして悔しい思いを積み重ねて、大分は地元住民とともに成長していった。1999年11月21日、15702人もの観客が大分市営陸上競技場に詰め掛けていたが、延長戦に入ると同時に席を立ち始めた観客がいた。メインスタンドには勝ち点をいくつ取ればいいのかさえ知らない観客が大勢いた。そして声援さえなくなっていった。2000年11月19日、観客は7631人に減っていた。しかし、ともに戦う7631人だった。そして2002年、大分は初めて地元のチームになった。



 手作りのチームとして出発してから8年。大分はとうとうJ1で戦う権利を手中に収めた。しかし、これが終わりではない。まだ1つの目標を達成したばかり。この結果はあくまでも通過点で、もう新たな挑戦へのスタートが始まっている。これからもっと多くの困難が待ち受けているだろう。喜びもつかの間、来シーズンは、これまで経験しなかったような苦しい場面に出くわすかもしれない。しかし、それを乗り越えてこそチームは成長を続ける。J1の舞台でも九州の代表としての誇りを持って戦って欲しい。

 そして同じく九州にホームタウンを置くアビスパ福岡とサガン鳥栖にも、大分に続き、チームの飛躍を期待したい。昨シーズンのJ2降格に始まった福岡のドタバタ劇は、結局収集がつかないままに気が付けば1年が経った。チームは極度の不振に陥り、崩壊の危機に瀕しているばかりか、いまだに進むべき方向を見つけられないでいる。しかし、いつまでもこんなことを繰り返してはいられない。大分に先を越された悔しさをばねにして、新たなアビスパ福岡をスタートさせて欲しい。

 そしてサガン鳥栖。今年もシーズン終了間際に来てチームは大きく揺れている。毎年のように繰り返されるお家騒動に、さすがに今度ばかりはサポーターも今までとは違った対応を迫られている。小さな町の小さなクラブ。クラブを地域住民が手弁当で守る姿は美談そのものだが、それだけでは、いつまでたっても今の環境から抜け出すことは出来ない。そろそろ存続するのが目的のクラブから、長期的ビジョンを持った会社経営へ脱皮する時期だ。いまは資金がないかもしれない。しかし、大分も手作りで始めたクラブであることを忘れてはいけない。

 今年のJ2も、あと3試合を残すのみ。九州サッカー界は、いい意味でも、悪い意味でも大きく動いた1年間だったといえる。同じサッカーを愛する仲間として、大分の選手や、チーム関係者、サポーターにはおめでとうといいたい。そして、アビスパ福岡とサガン鳥栖には今後の奮起を期待したい。悔しい気持ちを悔しいままで終わらせずに、まずは大分に続くことだ。そして、いつになるかは分からないが、サッカーどころ九州にホームタウンを置く3チームがJ1の舞台でしのぎを削る姿が見てみたいものだ。



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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