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 福岡通信 02/11/29 (金) <前へ次へindexへ>

 スポーツが文化たりうるために(1) 〜地域にスポーツを取り戻そう
 シンポジウム「もう1つのワールドカップ〜Jリーグ百年構想 ホームタウンづくりへ」

 文/中倉一志
 去る10月18日、福岡市にある会場で(都久志会館)「もう1つのワールドカップ〜Jリーグ百年構想 ホームタウンづくりへ」と題されたシンポジウムが開催された。アビスパ福岡後援会がホームタウンづくりの一環として主催したもので、共催には福岡ブルックス株式会社(アビスパ福岡の運営会社)、後援には福岡市教育委員会と財)福岡市体育協会が名を連ねた。シンポジウムは講演とパネルディスカッションの2部からなり、会場である都久志会館には、アビスパ福岡のサポーターを中心に約200名の人たちが訪れた。

 まず基調講演のために壇上に立ったのは、スポーツファンにはお馴染みの二宮清純氏(スポーツジャーナリスト・株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役)。「21世紀のスポーツ文化について」〜地域と住民を中心としたスポーツクラブづくりへ〜と題し、日本のスポーツ界が抱える問題点と今後の課題について熱弁を振るった。辛口と歯に衣を着せぬ語り口はいつもの通り。時には冗談を交え、そして時には厳しく指摘する二宮氏の話に参加者は熱心に耳を傾けた。

 「スポーツは文化である」と常々口にする二宮氏は、日本でスポーツが文化たりえない大きな原因として、学校と企業がスポーツの中心であることを指摘する。歴史的に見て、唯一の例外である蹴鞠を除いては、日本では武道以外にスポーツが育たなかったわけだが、そんな日本にスポーツがもたらされたのは明治維新以降のこと。欧米留学を終えた帰国者・御雇い外国人らや、西洋式の軍事教練や外国人居留地の外国人との接触によって、西洋の近代スポーツが伝播された。

 しかし、その際スポーツを体育と訳したことに、そもそもの問題があると二宮氏は言う。もともと体育とは学校教育の中の軍事教練として行なわれたもの。「鉄棒は銃を撃つときのために両腕を鍛えるためのもの。マット運動は銃弾をよけるための身体の動きを鍛えるもの。跳び箱は塹壕を飛び越えるためのもの」(二宮氏)であった。しかし、その体育とスポーツを結びつけたことにより、スポーツ本来が持つ「楽しむ」という要素が欠け、文化としての側面が否定されたというわけだ。



 歴史的に見て武道以外に日本ではスポーツが育たなかったと書いたが、そんな日本にもスポーツの原型は存在していたと二宮氏は言う。それは「お祭り」だ。老若男女が集まって1つの神輿をみんなでかつぎ、飲み、食べ、そして歌う。それはまさしく文化であって、スポーツも本来はそうあるべきだと主張する。W杯イタリア大会の決勝戦に先立って3大テノールの競演が行なわれたのも、フランス大会の時にはイヴ・サンローランのファッションショーが行なわれたのも、スポーツが文化として認知されているからこそだと言う。

 二宮氏は、取材のためにW杯フランス大会を訪れた際、ラグビーの試合を観にいったときのことを話してくれた。そこでは、10代から60〜70代までの幅広い年齢層のプレーヤーが試合に参加、ともにボールを追いかけていたという。10代の選手がボールを奪って走れば、まだまだ負けないぞとばかりに年上のプレーヤーがタックルに入る。そんな試合を通して、年長者は若者の成長の喜びを分かち合い、若い選手たちは先輩の経験を学び取る。

 試合が終われば、チームを招いたホーム側の選手たちの家族が料理を振舞って相手チームをもてなし、延々と飲んで、食べて、騒ぐ。そして、今度はうちへ来て試合をしようと相手チームが次の試合を誘う。現在日本では各世代間のギャップが問題にされているが、ここでは3世代に渡る選手たちが1つのボールを追いかけてプレーし、試合後の交流を行なうことによって、自然に互いを理解し、尊敬しあう土壌が出来上がっていたそうだ。

 これと似たような光景が実は福岡市にもある。毎年7月1日から15日間に渡って行われる博多祇園山笠だ(正確には博多の町のお祭り)。若者も年長者も一緒になって15日間の行事をこなし、最終日の「追い山」にそなえる。厳しい上下関係と若者を温かく見守る年長者たち。1つの山笠を全員の力を合わせて舁き、それが終われば用意された料理と酒で騒ぐ。3世代がともに行動することで尊敬と信頼が生まれる。これを文化と呼ばない人は博多の町にはいない。



 さて、もう1つの問題点である企業中心のスポーツについて。
 そもそも、西洋から伝播した近代スポーツの研究・普及に努めたのは1878年に開設された体育伝習所(現、筑波大学)だった。そして、卒業生たちが全国の高等師範学校や師範学校に赴任し、学校教育を通して近代スポーツが日本各地に広がっていった。この日本におけるスポーツの特殊な普及方法から、日本においてはスポーツの中心は学校教育に委ねられていた。そして当然のように大学スポーツが日本の頂点となっていく。

 しかし、1960年代に高度成長期を迎えた日本では、スポーツの中心は大学から実業団へと移っていく。大学スポーツの一流選手たちが日本のトップ企業に就職したこと、そして、スポーツに資金を投資できる環境が整ったことが、企業がスポーツに力を入れ始める大きな要因となったのだ。しかし、「スポーツは本来、公のもの。社威発揚、宣伝広告、福利厚生のためにあるものではない」と二宮氏は指摘する。

 二宮氏は続ける。「企業は元々利益を追求するもの。そこでのスポーツは利益追求のための手段でしかなく、公のものとは異なる。そもそも企業に頼った方法が間違っていたのであって、もう一度地域にスポーツを取り戻さなければならない」。
 スポーツが企業のものであることの悲劇が、横浜フリューゲルスの横浜マリノスへの吸収合併という形で表面化したことは私たちの記憶に新しい。また、九州では企業の撤退による鳥栖フューチャーズの解散という事件も起こった。

 企業はその存続のために利益を追求することは当然のこと。不採算部門や、企業の経営を圧迫するような部門があれば、当然のように、その部門は縮小されるか、あるいは撤退を余儀なくされる。しかし、文化とは一私企業の持ち物ではない。それは地域住民の中で育まれ、そして歴史を積み重ねながら、伝統を重んじながら成長していくもの。バブル崩壊以降、次々とスポーツから撤退する企業の姿を見る限り、企業は文化を支える決め手にはなりえない。



 この大きな問題点を解く鍵は「スポーツを地域に取り戻す」ということにあるのだろう。そのためには、「スポーツを産業として捉えることが必要」と二宮氏は主張する。ドイツでは老人の健康維持のために、老人でも運動が出来る環境を整えているそうだが、それは、グラウンドの整備やセキュリティの確保、そして芝の管理等々、町づくりの一貫として行なわれているそうだ。そして、こうした町づくりは、新たな雇用を生むばかりか、老人医療費の削減や、観光の促進にまでつながっているとのことだ。

 そしてもう1つ、スポーツを享受する我々自体も文化を育てる一員としての自覚が、より一層必要だと二宮氏は続ける。Jリーグは、従来から日本にはなかった「サポーター」という新たな概念を生み出した。それは、お金を払って試合を観に来るだけの「ファン」という概念を、自分の応援するチームを支えるために行動するところまで高めたものであるが、二宮氏はもう一歩踏み込んでクラブメンバーという概念まで進んで欲しいという。

 チームを運営するクラブの施設をクラブメンバーが使用し、そして、その施設やクラブの運営費をクラブメンバーが受益者負担する。欧米では全く当たり前になっているこの概念を育てる必要があると言うのだ。ではクラブとは我々にとってどういう意味を持つのか。二宮氏は「クラブは家庭だ」と説く。クラブとは家庭であり、クラブメンバーは家族。残念ながら、日本にはまだこの概念が育っていないと二宮氏は続ける。

 その一例として、二宮氏はNFLのグリーンベイ・パッカーズを挙げる。同氏がことあるごとに力説する地域密着の見本となるチームのことだ。グリーンベイパッカーズは現在市民が株主となって運営を行なっているが、その株は決して売りに出されることがないという。そして親から子へ、子から孫へと引き継がれ、市民はその運営を支えつづけている。自分たちの大切なものは自分たちの手で必ず守る。そんな思想がそこからは感じ取れる。Jリーグが作り出したサポーターという概念。この概念がクラブメンバーという概念になる道筋を地域住民に探って欲しいと二宮氏は語った。


(この項、続く)



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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