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 福岡通信 02/12/13 (金) <前へ次へindexへ>

 スポーツが文化たりうるために(3) 〜地域を支えるのは地域住民
 シンポジウム「もう1つのワールドカップ〜Jリーグ百年構想 ホームタウンづくりへ」

 文/中倉一志
 去る10月18日にアビスパ福岡後援会が主催した「もう1つのワールドカップ〜Jリーグ百年構想 ホームタウンづくりへ」と題されたシンポジウムでの二宮清純氏の基調講演の模様を2回にわたって紹介したが、今回は、シンポジウムの2部として行なわれたパネルディスカッションの様子についてお知らせすることにしたい。パネルディスカッションでは、文化とは何か、地域住民がその振興にどうかかわっていくべきか等について、熱心な討論が行なわれた。

 パネリストとして名を連ねたのは二宮氏のほか、瀬戸山隆三氏(株式会社福岡ダイエーホークス 常務取締役球団代表)、榎本一彦氏(福岡地所株式会社 代表取締役社長)、隠塚昇氏(田主丸町教育委員会生涯学習課主任主事)、植木とみ子氏(福岡市文化芸術振興財団 副理事長)、前野文雄氏(福岡ブルックス株式会社 代表取締役専務)の6人。コーディネーターはRKB毎日放送株式会社の中西一清アナウンサーが勤めた。



 まずは瀬戸山隆三氏。かつては地域密着を図るJリーグの対極にあるとされていたプロ野球界だが、そのプロ野球界において地域とともに歩む道を模索し、福岡ダイエーホークスを地域密着の代名詞として語られるまでに育て上げた。「親子で見たいプロ野球」をキャッチフレーズに年齢を超えてスポーツを楽しむことを模索する同氏は、1988年春に球団の運営に携わるようになったときのことを「福岡は非常に球団誘致熱が高かった。ホークス成功の決め手は福岡の情熱」と振り返る。

 Jリーグが提唱する百年構想の詳細については詳しくないとする瀬戸山氏だが、考え方はまさに地域密着。その地道な努力の結果、現在は、チームを支える人たちが単なるファンから、クラブメンバーへと育つ土壌が出来つつあり、今後も引き続きホームタウン構想を進めていくと語る。福岡の野球ファンの間ではあたりまえのことになっているが、そんな球団の経営姿勢は選手獲得や育成の面に最も顕著に表れている。

 野球、サッカーに限らず九州はスポーツ大国。様々な競技で活躍する選手は多い。しかし、多くの選手たちが学校を卒業すると東京や大阪へ出て行くという現実もある。「地元の選手が東京や大阪に出て行くのは寂しいこと」と語る瀬戸山氏は、そんな状況の中で地元の選手を地道に獲得しつづけ、そして大事に育てて球界を代表する選手に鍛え上げている。おらが町の選手が、おらが町のスタジアムで活躍する。地域住民たちがチームを支えないはずはない。

 これからもますます地域の住民とともに歩んでいきたいとする瀬戸山氏。「情報を交換し合いながら、地元の選手を獲得する努力を一緒にやっていきたい」。そう語る瀬戸山氏は、福岡にホームタウンを置くプロスポーツの仲間としてアビスパ福岡と手を携えてやっていきたいという。そして、こう語って締めくくった。「福岡ドームと博多の森に足を運んで試合を観てください。観ていただくことで選手が育つと思う。また、福岡ドームをもっと一般に開放するのはやぶさかではない。是非、県、市、地方自治体と協力体制をとりたい」



 アビスパ福岡に対し、愛情ある手厳しい意見を交えながら文化について語ってくれたのは榎本一彦氏。現在、都市開発のディベロッパーとして活躍中で、1996年にキャナルシティを完成させたことは記憶に新しい。同じ福岡市でありながら、昔からの伝統が残る博多の町(現在の博多区)と、その西側に広がる福岡の町(現在の中央区)は異なった文化圏として存在しているのだが、その博多と福岡をつなげたいとの思いで建設したのがキャナルシティだった。

 新しいものを作るには「飛び抜けた情熱を持って夢中になる人が出てこないと難しい」と榎本氏は語るが、博多の町はその原動力となる情熱があると分析する。二宮清純氏が基調講演で「スポーツの原点は祭り」と語った言葉に参照し、「博多の町には『山笠』がある。この気質を生かしていろんなものを支えていくパワーに出来ればいい」と語る。そして、遊びの中で文化を育てていくことが大事だとも指摘する。事実、キャナルシティにおける販売スペースは49%。残りはエンターテイメントスペースとして設計されている。

 ダイエーホークスが負けた日は不機嫌だが、勝てばチャンネルを切り替えて、スポーツニュースを何度でも見るという榎本氏は、アビスパ福岡が地域に密着するためには、まずは強いということも必要な要素の一つであると指摘する。「とにかく強くなること。あと2年以内にはJ1へ昇格して、そして頑張ってもらうこと。それが出来ないと福岡市民の関心が強くならない。強くなることがホームタウンづくりの原動力。勝たなきゃだめです」と手厳しい。しかし、これもアビスパ福岡のことを思っての言葉だろう。

 また、それぞれの人がいろんなものを好きで構わないとする榎本氏は、そうした人々の横の連携をどうやって作っていくかが大切であって、そのためには、ある程度、行政が束ねる必要があると主張する。そして「文化・歴史・スポーツは金儲けとは違う。精神的、人生観、本能の部分にあたるもの。金儲けの面からではなく、こういうことを言いつづけることが大事」と話し、福岡を住みやすい町にするためにクラブに対する税制面での優遇措置等も必要ではないかと付け加えた。



 「スポーツも文化も自分のためにあるもの。それは自分自身が豊かになるために必要なもの。その事を知ってもらうために、自分自身が文化・スポーツの担い手にならなければいけない」。そう語るのは植木とみ子氏。1991年に福岡市市民局女性部長に就任以来、一貫してスポーツ・文化・芸術の振興に務めてきた植木氏は、文化やスポーツに対する福岡市のかかわりを「スポーツに対しては『国際スポーツ都市宣言』をしてそれなりにやってきたが、ただし、不況の時代にはどうしても文化やスポーツは切られやすい」と説明する。だからこそ「自分たちの町づくりは自分たちでやることが大切」だと主張する。

 榎本氏の発言を受けてマイクを握った植木氏も、地域に文化が定着するための要素として、様々な芸術やスポーツなどが横断的な関係を築き上げることの大切さを挙げる。大政奉還から100年が経って地域がそれなりに力をつけてきた。いまは地域に住むみんなで自分たちの町を作り上げる時期とする植木氏だが、そのためには、あまりにも急ぎすぎる傾向は危険とも指摘する。

 「自分たちの文化は自分たちの手で作る。しかし、じっくりと育てていくという気持ちも必要。自分たちがスポーツを育て、クラブの歴史を築き上げていくのに勝ちを急ぎすぎたら本当の意味で作り上げることは出来ない。強いこと、長い目で育てることの両方が大切だが、(アビスパ福岡は)いまが厳しい時で、みんなが支えなければいけない時。勝たなければ応援しないというのはどうかと思う」。

 榎本氏の意見とは全く反対の意見だったが、アビスパ福岡を思っての言葉であることは間違いない。こちらもアビスパ福岡関係者にはありがたい言葉だった。ようするにバランスの問題。クラブには強くあろうという姿勢が欠かせないし、だからこそ、サポーターはクラブを支える。そして支えることによってクラブは更に強くなっていく。どちらが欠けても成り立たない。ひとつだけ言えることは、クラブが強くなるという意思を持つことが全ての始まりだということだ。



 様々な分野で活躍される方たちの発言には重みがあり、なるほどとうなづくことばかりだった。そして、それぞれの活動分野は違っても、同じ福岡を本拠地にして活動するアビスパ福岡に対して愛情ある発言をしてくれた。その言葉は時には厳しく、そして時には温かいものであったが、壇上の前野専務、会場で耳を傾けていたフロント陣、そして駆けつけたアビスパ福岡サポーターには、ありがたい内容のものばかりであった。

 現在アビスパ福岡は、チームが崩壊しかねないほどの危機に瀕している。要因はいろいろとあるのだが、根本的な原因は、スポーツ文化の担い手であるはずのクラブが、その運営に関して確固たる方針を持っていないこと、クラブの担う役割を果たすために情熱を持って取り組む人材が欠けていることにある。この日のシンポジウムは、アビスパ福岡がこのような状況に陥ることを予想して開催されたものではないだろうが、皮肉なことにいまのアビスパ福岡にとって、これ以上ないアドバイスを得る機会になったようだ。

 さて、次回は隠塚昇氏が中心となって活動している「田主丸(たぬしまる)カル・スポクラブ」について紹介したいと思う。


(この項、続く)



※このレポートは「online magazine fantasista 2002CLUB」に掲載されたものです。
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