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 福岡通信 03/01/10 (金) <前へ次へindexへ>

 年末年始に思ったこと


 文/中倉一志
 いつものようにサッカーとともに年が暮れ、サッカーとともに年が明けた。28日に博多を出発し、天皇杯を追いかけて大阪、東京へと移動。そして、そのまま東京へ居座って高校サッカーを取材する。私の年末年始の恒例行事である。諸般の事情で高校サッカーの取材は準々決勝までとなったが、9日間で12試合を取材するという密度の濃い日々、そして、地元以外での仕事には新たな発見が多いのもいつものことだ。過ぎ行く1年を振り返り、これから始まる1年に思いを馳せる。私にとっては欠かすことのできない年中行事だ。

 大阪では天皇杯準決勝の取材を終えた後、2002CLUBの有志によるオフ会に参加した。毎年顔を見せてくださる常連の方たち、初めて参加してくださった方たちとともに遅い時間までサッカー談義に花を咲かせる。年に1回だけしか顔を合わさない仲間たちだが、サッカーという共通言語は、そんな時間の空白をあっという間に埋めてくれる。そして東京では、2002CLUB有志による忘年会に参加。白熱したサッカー談義は終わることなく続き、気が付いたら夜が明けていた。



 思う存分サッカーを見て、サッカーを語った9日間。いろんなことを考えさせられたが、そんな中で気になったことについて、いくつか触れておきたいと思う。オフ会では当然のようにトルシエ前監督の話題になった。トルシエが約4年間率いた日本代表の意味は何か、トルシエとは一体どんな人物だったのか、監督在任中から退任後まで、これほどまでに話題を提供してくれた代表監督は過去にはいない。良くも悪くも日本中の注目を集めていたということなのだろう。

 私は日本代表を追いかけていたわけではないので、トルシエの真実に言及する立場にはない。しかし、それでもW杯後のトルシエ報道には違和感を禁じえない。様々な情報を整理すると、トルシエは日本人から見れば相当エキセントリックな性格だったようだ。しかし、批判報道のほとんどが、そのエキセントリックな性格を指摘するところから始まっていること、そしてW杯でベスト8に進出できなかったことを彼の限界として整理することが多いからだ。

 日本が彼に求めた最大のもの、それはW杯でベスト16に進出することだったはずだ。彼は、その条件を飲み、そして目標を達成した。ベスト8にいけなかったのは、彼の限界によるものではなく、最初から日本がベスト16を目標としていたことに起因するものだ。最初から目標が別のところにあったのならば、違ったアプローチを取らなければならなかった。ましてや、彼の性格が災いして日本代表が弱くなったわけではあるまい。日本代表が強くなったことは厳然たる事実だ。



 トルシエの残した最大の財産は、2006年大会に繋がる若い世代を育成したことだろう。もちろん、Jリーグを見ながら育った選手たちが、トレセン制度の改革とあいまって高い個人技を有していたことを忘れるわけにはいかない。だが、これほど多くの選手がユースから五輪代表、そしてフル代表へとステップアップしていったのは初めてのことではないか。そして、驚くほどの多くの選手を代表候補合宿に召集し、先発メンバー以外にも高い能力を持つ選手たちを育成したことも忘れてはならない。

 また、トルシエ退任後、組織を重視するトルシエの手法が、あたかも誤っているかのような表現がなされているが、彼の指導したポジションのバランスの取り方や、プレッシングのスタイルは、今も代表の特徴として色濃く残っている。そして何より、地元開催のW杯でベスト16入りを果たすという大きな成果を残した。トルコ戦の選手起用は不可思議なものであったが、それもべスト16入りという快挙を否定する材料にはならないだろう。

 だからといって、全てよしとするわけにもいかない。伝え聞く彼の言動は日本の常識を逸脱していることも多く問題点はある。また、チームの力とはチームに関わる全ての人たちの総力によるもの。成功も失敗も全てが監督だけに依存するものではないからだ。にもかかわらず、その結果について、必要以上にトルシエの性格上の問題を取り上げて批判するのは、サラリーマンが上司の悪口を肴に酒を飲んでいるようなものだ。必要なことは、日本代表チームが残した結果を、JFAはもちろん、全ての関係者の問題として分析し、その功罪を明らかにすること。論点は彼の性格にあるのではない。



 さて、翻って高校選手権。優勝候補の本命に上げられている国見が着々と勝ち進み、いよいよ3連覇まで後1勝に迫った。高校選手権の連続優勝記録は第1回(大正7)〜7回大会(大正13)にかけて御影師範(兵庫)が達成した7連覇。国見が3連覇を達成すれば、歴代2位、戦後初のことになる。なお、御影師範が記録を達成した当時は参加チームは関西勢に限られており、そういう意味では、国見が3連覇を達成すれば偉業といっていい。

 ところが、その国見のサッカーが専門家の間では評価が低いらしい。昨年はサッカージャーナリストが堂々と国見のサッカーを批判したことに「おい、おい」という感じがしたが、今年も6日付の朝日新聞のスポーツ欄に、国見のサッカーは勝負重視で、育成という観点からは疑問が残るという評価を持つ関係者がいるという旨のコラムが掲載された。ちょっと待って欲しい。彼らは高校生。彼らに対する関係者の批判を公の場で公表することにどれだけの意味があるのだろうか。

 しかも彼らのサッカーは、ただ前へ蹴っておいてフィフティボールを体力勝負で奪うといった昔のサッカーとは違う。スペースに走りこむ選手に合せるロングキックの精度。前線の選手が孤立しないように素早く押し上げる中盤。奪われたボールに高い位置からプレスをかけて、素早く攻撃に移る攻守の切り替えの速さ。1対1のマークで決して相手を自由にさせない最終ライン。それは体力任せの偶然に頼るサッカーではなく十分に戦術と呼べるものだ。



 その国見の戦術を支えているのが他を圧倒する体力だ。ところが、日本では体力よりも技術や戦術眼のほうを好む傾向にあるのか、「高いテクニック」とか、「優れた戦術眼」という言葉があるのに対し、体力系は「体力だけ」とか「体力にものを言わせて」と表現されることが多い。しかし、スポーツとは心技体の総合力を競うもの。体力は、技術、戦術と並ぶ重要な要素なのだ。むしろ、体力があってこそ技術、戦術が生きるとも言える。

 鍛え上げられたフィジカルをベースに戦うのは国見の伝統。その戦い方で、高校選手権で数々の勝利をものにした。しかし、市立船橋や、東福岡等の組織力に優れたチームの出現により国見は勝てない時期が続いた。それでも国見は伝統の戦い方を変えず、マイナーチェンジを施すことによって高校サッカー界で見事に復活を果たした。それならば、今度は組織力重視のチームが国見を破る番だ。そうすることで互いのレベルが上がっていく。

 どんなチームでも勝利を目指して戦っている。自分たちの特徴を存分に発揮した上で勝利を目指せば、国見の場合はああいうスタイルになるだけのことだ。個人技で勝負するチームも、組織で勝負するチームも、手法が違うだけで目指すものは変わらない。Jユースカップでは国見のようなチームは見当たらないとの指摘もあるが、国見の選手たち全員がプロを目指しているわけではない。この大会を最後にサッカーから離れる選手もいるのだ。高校選手権で勝ちたいという姿勢を前面に出して戦うチームを批判する理由はない。



 13日には高校サッカー選手権の決勝戦が行われ、その後はサッカー界も、つかの間のシーズンオフに入ると思われている方もいらっしゃるかもしれない。しかし、12日からは女子のチャンピオンチームを決定する全日本女子サッカー選手権大会が開催される。この大会が終われば全国レベルの大会は一段楽することになるが、その後も、全国各地でシーズン開幕に備えて数々の試合が行われる。高校年代の新人戦が行われる地域もある。そして3月にはJリーグが開幕する。

 いつでも、どこでもサッカーの試合は行われている。サッカーにシーズンオフという言葉は似合わない。そして、どんな試合でも、ひとつのボールを必死に追い、ゴールを目指してボールを運ぶ気持ちに変わりはない。どんな試合でもサッカーはサッカー。レベルの違いはあっても、そこにはサッカーの面白さや、素晴らしさがちりばめられている。そんなひとつ、ひとつを伝えるために、今年もあちこちのスタジアムへ足を運ぼうと思う。今年もよろしくお願いします。



※このレポートは「fantasista online magazine 2002CLUB」に掲載されたものです。
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