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 福岡通信 03/04/25 (金) <前へ次へindexへ>

 戦うメンタリティ


 文/中倉一志
「非常に悔しい思いが、いま一杯ですね。ゲームはかなりプランどおりに進んだんですけども、それが報われなかったということで。また、細かい、ディーテールな部分でゲームが決まってしまったし、そういうことをまた繰り返してしまったということで、悔しい気持ちで一杯ですね」。いつもは、さほど感情を露にすることのない松田監督。大宮戦後も冷静さは保っていたが、声のトーンからはどうしようもない悔しさがにじみ出ていた。

 試合終了後、私も頭を抱えた。「どう判断したらいいのだろう」。それが正直な気持ちだった。松田監督が言うように決して悪かったわけではない。勝負を決めたのはバレーのたった一発だけ。確かに危ないシーンもいくつかあったが、別にやられていたわけではなかった。「とにかくしっかりしたディフェンスを常に続けよう」というのが、この日のゲームプラン。そういう意味では、最後までディフェンスはやり遂げたと判断していい。

 さりとて、良かったのかと聞かれれば良かったわけでもない。前半は大宮の中盤が悪かったせいもあって、ボールを奪ってから素早く、そしてシンプルに攻めあがる形を何度も見せたが、シュートまで持ち込んだのは僅かに3本。これといった攻め手を持たなかった大宮のシュート数さえも下回った。後半はバレーの一発だけに抑えたが、ゴールが生まれる気配は感じられなかった。ゲーム終盤に攻める姿勢を見せることは見せたのだが・・・。

 J1昇格を具体的な目標として戦っているという前提に立てば今の状態は最悪だ。同じことを繰り返して失点を重ね、既に5敗を喫したという事実は致命的とも言える。一方、21日付の朝日新聞紙上(福岡版)で乾監督(福岡大サッカー部監督)が語ったように、横浜FCや鳥栖を「同レベルか上」と見るのならばJ1昇格など遠い夢。成績など気にせずに長い目で見守らなければならない。しかし、わずか2年足らずのうちに、そういうチームになったという現実をサポーターが受け入れるのは難しい。



 福岡は新しくチームをスタートさせて2年計画でJ1昇格を目指している。しかし、それは今年の目標にJ1昇格がないということではない。戦う以上、目指すはJ1昇格なのは当然のこと。ただ、過去の積み上げが何も残っていない状況の中では無理は出来ない。必要以上の無理をすれば過去の繰り返し。目の前の結果を追うばかりに振り返ってみたら何もなかったということになりかねない。これだけは何があっても避けなければならないことだ。

 しかし、のんびりとやってはいられない。2年計画という目標を達成するためには、最低でも今シーズン上位に食い込んでおかなければならない。具体的には、J1昇格の真っ只中に身をおいて最後まで昇格レースに加わることが必要になる。その結果をノルマにすることはないが、昇格争いを演ずるというノルマは課せられているのだ。そういう意味では、実質的には来シーズンからのJ1昇格を目指すことと何も変わらない。甘えは許されない。

 さて、そういう状況下に置かれているチームは、果たしてJ1昇格を目指すメンタリティを持ち合わせていると言えるだろうか。これまでの試合を見る限り、合格点は出せそうにない。平均年齢がJリーグでも最も若い部類に属すること、経験の浅い選手が多いこと、プロとしての十分な実績を持ち合わせている選手が少ないこと等、事情はある。しかし、それでも物足りなさは否定できない。もっとやれるだけの力は持っているはずだ。

 現在、博多の森の観客は試合を重ねるごとに減少している。だがそれは、本当にコアなサポーターが集まっていることを意味する。彼ら(彼女ら)は辛くても、悔しくても、チームと一緒に戦うためにスタジアムに足を運ぶ。誰よりもチームの現状を知る彼らは、厳しくも暖かくチームの成長を願い、大きな声援を送り、時にはブーイングを浴びせてチームを鼓舞する。僅かでもチームの力になればと思うからだ。そんなサポーターに応える必要が選手たちにはある。



 そもそもプロの世界に身を投じられるのは、ごく限られた人間だけだ。今年のJリーグ・イヤーブックに名を連ねているのは839人。2002年度のJFAへの選手登録数が180,428人だから、その数は0.5%にも満たない。いわば「選ばれし者」たちだけがプロのピッチで戦うことを許されている。下手だの、なっていないなどと、我々は勝手なことを言っているが、彼らの実力には差などない。フリーでプレーさせれば誰もが同じパフォーマンスを発揮するはずだ。

 それでも、歴然と違いは現れている。トップのチームと最下位のチームには、サッカーを知らない人が見ても分るくらいの差がある。その違いを生むのはサッカーにかける姿勢の差と言える。特に、実力が伯仲しているJ2にあっては、ほんの少しの差が大きな結果の違いとなって跳ね返ってくる。逆に言えば、僅かでも気を緩めれば勝つことなどはままならないということだ。どれだけのものをサッカーにかけられるか。それをサッカーの神様は見ているのだ。

 わずか0.5%にしか与えられない権利を有している人間には、等しく勝利を手にするチャンスがある。しかし勝利を掴むことが出来るのは、さらに僅かな人間だけ。もてる力をすべて発揮し、あらゆるものをサッカーにかけた者にしか栄冠が訪れないのは当たり前のことだ。アビスパの選手たちも必死になってサッカーに打ち込んでいるに違いない。しかし、それは見ているものに伝わってこない。まだまだ出し切れていない力があるのではないか。

 僅かなものにだけ与えられる栄冠。選手たちは、それを手にする権利を有している一方で、その能力を全て発揮する義務も与えられている。多くの人たちはチャレンジしたくても、その権利をもともと持っていない。チャレンジできる権利を持っている者が、その権利を行使しないということは罪とさえ言ってもいいかもしれない。観衆の大声援を浴び、空に向かって両手を突き上げ、そして勝利を誇ること。それは彼らにしか出来ないことなのだ。



 すべてのことを精神的なことで済ませてしまうことは危険なことかもしれない。勝った原因、負けた理由、それらは技術や戦術的なところへ回帰して分析していかなくては何の発展もないからだ。しかし、持てる力をすべて発揮するというメンタリティを持ち合わせていることが大前提。これでいいとあきらめることなく、あと一歩、いや後半歩、ほんの数センチだけでも相手より前へ行こうという気持ちがあって、技術や戦術が生きてくる。

 ミスにしても同じことだ。フリーの状態で、しかも練習中なら等しく同じプレーが出来る。試合でミスの数に差が出るのは集中力の差以外のなにものでもない。あるいは、練習に取り組む集中力の差が試合に出ているだけだ。普段から試合を想定しての、あるいはプレッシャーを想定してのトレーニングが出来ているのか、試合に臨むに当たって、万全のメンタリティを持っているか。そうしたものの考え方が出来るか否かに、すべてがかかっている。

「いまは生みの苦しみでしょうか」。あるサポーターから尋ねられた。残念ながら言葉が出なかった。アビスパの選手たちが必死でないとは言わない。彼らも目に見えぬところで必死にもがいているはずだ。しかし、いまのプレーを見ている限りにおいては、一つ、二つ勝ったところで大勢は変わらないだろう。彼らのプレーに輝きがないからだ。ほとばしる情熱が感じられないからだ。負けるときはあんなものかも知れない。しかし、もっと出来るはず。それだけの力は持っている。

 もちろん勝つことに越したことはない。それが博多の森に足を運ぶサポーターへの最大の贈り物であることは間違いない。しかし、その前に強いメンタリティを持って戦う姿を見せて欲しい。言われたことだけをこなすのではなく、互いのミスを容認するのではなく、勝利に対するほとばしる情熱を見せて欲しい。それが出来ればアビスパは前へ進める。それが出来なければ停滞は続くだろう。すべては自分たちの心の中にある。



※このレポートは「ONLINE MAGAZINE 2002CLUB」に掲載されたものです。
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