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楽しい不幸


文/石毛大介

 皆さんのような一般生活者とは違うサッカー好きは、何の要素を軸にサッカーを捉えていますか?

 例えば戦術論からのアプローチが最も多いかもしれません。身体能力や筋持久力等、基礎運動能力からなら運動生理学上アプローチ。「今のボールインパクトの瞬間は〜」を語るなら運動物理学的アプローチ。なかには「サッカーは心理ゲームだ。選手間の心理的要因をベースに〜」と語ると止まらない方も。チーム内における異民族、異国人(異文化)がいて、それを語るなら民俗学的アプローチ。そうなるとそれに付随して、宗教学的アプローチも可能になります。「地域社会におけるサッカー文化」として、地域社会生活の中に、どれだけサッカーというスポーツが入り込んでいるか考えるなら、地域社会学からのアプローチ。

 サッカーを捉える観点、論点は数限りないです。当然のことながら、個々人捉え方は千差万別で、また1つの要素だけではなく、複数の要素を取り入れ、調合させて捉えていませんか?皆さんはサッカーを「楽しむ」のに、きっといろいろな要素を絡み合わせて楽しんでいると思います。
 またわずか数秒のプレーの中に、自分なりのドラマを描くこともしませんか?ピッチ上のほとんどの選手や観客をも欺き、僅か数人の選手のみが持ち得る、ハイレベルなゴールへのイメージを融合させ、凡人の次元を超越した世界を展開させるシーンは何度も目の当りにしたと思います。そうすると皆さんは限りない空想の世界へ入り込むことと思います。

          


 これらの例はごく一部で、サッカーはいろいろな要素を絡み合わせるものであると理解しているし、私たちはそのようにサッカーを捉えています。totoのように単なる勝ち負け「だけ」を重点においてないと思います。ゴールを決めたという「結果」だけを楽しんでいる訳でもない。もちろんこれらが最重要ではありますが、それだけをサッカーから見出してはいません。

 そのため私たちは、ただ手離しでサッカーを楽しめなくなってしまっています。これはサッカーにあまり興味の無い、「一般生活者」からみれば、「不幸」のなにものでもないのではないでしょうか?なぜなら、色々な要素を絡み合わせてサッカーを観るなど、大変面倒なことだからです。totoなど、勝敗のみこだわる「一般生活者」に、いくら「サッカーは心理ゲームであり・・・」「フラットラインの上げ下げはね・・・」「プロスポーツとアマチュアリズムとは・・・」と説いても伝わらないでしょう。いやうわの空では聞いてくれるかもしれません。またピッチ上でのある出来事を、自分なりに描いたドラマを「一般生活者」に説いてもそれは同じです。

「一般生活者」からすれば「不幸」のなにものでもない。サッカー1つをこんなにも、いろいろな要素を調和させ、そこから自分なりの価値、文化等を見出し、自分の中に深く取り入れるなんて本当に面倒なことで、勝敗やゴールのみに興味を注げば、楽ですよね?でも私たちはそれが出来ない。いやいつのまにか、できなくなってしまった。というのが妥当でしょうか。

 しかし私たちは、そうしたことを少しも不幸と思ったことはない。むしろ、それを存分に楽しんでいます。時に招いてしまう苦悩さえも、快楽に変えてしまう。飽くなき知的好奇心・探求心を携えて。

 そう、私たちは「不幸」を自ら背負い、存分に楽しんでいるのではありませんか。
 「楽しい不幸」として。
 何とも不思議なことですね。

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