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優勝するための第一歩。 日テレ・ベレーザ、リーグ戦を終えて
L・リーグ第14節 TASAKIペルーレFCvs.日テレ・ベレーザ


文/ベレーザサポーター"VB" 佐相陽一

 10月31日。淡路島をレンタカーで走る。話には聞いていたが、想像を上回る台風の影響・・・。崖は支えのコンクリートの堤防などお構いなしに倒し、川は氾濫の後をまざまざと残していた。関東に住む僕らが見たことのない風景が広がっていた。そして、数日前に起こった新潟県中越地震・・・。天災は予告なく、容赦なく起きている。

 そんな中、アスパ五色では2004年L・リーグ(なでしこ・リーグ)最終戦の2試合が行われた。試合は黙祷から始まり、いつもと同じユニフォームに喪章をつけた選手たちがいた。サポーターとしての最終戦の緊張の中、違うことを少しだけ考えた。「サッカーで何ができるんだろう?」と。僕はいつも日常の生活、練習、そして全力を出し切る試合。そんなベレーザの選手たちを見て「自分もがんばらなきゃ」と思う。すべてはそこに繋がるんじゃないかなと思った。

 800人のアスパに集まった会場の方々に感動と元気をくれる試合になればいいなと期待は膨らんだ。日本のトップに位置するサッカー選手はたくさんの人に夢や希望を与える存在じゃないといけない。女子サッカーが永遠にいつだって全力を尽くし、老若男女問わず感動を与えられる競技であって欲しいと願った。そしてそんな競技をサポーターとして、一ファンとして応援できるのは本当に幸せだと。


 今期のベレーザは、優勝できるものだと信じて疑わなかった。選手、チーム、サポーター、フロント、誰もが・リーグ終盤にきて無敗のベレーザに優勝した時のことを少なからず考えていたと思う。10月17日の伊賀FCくノ一戦で大切な何かを失っていたことに気が付く。くノ一は素晴らしいチームだ。しかし、負けるわけはないとどこかに過剰な気持ちがあった気がする。チームはがんばった。全体的には決して悪くなかった。くノ一の勝ちたいという気持ちが強かった。ただそれだけの結果だった。

 自力優勝のなくなったベレーザは一試合で180度の状況の変化が起こった。長い・リーグであろうとそれがサッカーだし、それが優勝争いということ。その敗戦から残すところ2試合。チームとサポーターは同じことを考えていた。「今、できることを一生懸命やろう」。そんな同じことを考えていたと思う。

 次の週、東京V対清水の後座として行われた試合、リーグ戦初の国立開催。僕らサポーターはたくさんの方の力に支えられ、より多くの方にLを知って欲しいと7000枚のビラを作り配布した。通算出場100試合を達成した四方菜穂選手と前節で100試合を達成した小林弥生選手のお祝いも、僕らにできる感謝の形とこれからも、もっと、ずっとという期待を込めて祝った。

 しかし、その日の僕らが絶対に叶わなかったのが選手のがんばりだった。前節の敗戦から1週間。どこまで気持ちが切り替えられているか不安もある中で宝塚バニーズ相手に選手たちは攻め続けた。その結果、11−0。最後の最後までゴールを狙い続けた。優勝、その可能性を少しでも広くこじ開けるために。


 そしてベレーザは最終節のTASAKIペルーレFC戦を迎えた。この試合は選手より、萩谷で時間差で先に行われている「スペランツァF.C.高槻対さいたまレイナスFC」の試合結果を知らずに戦いたいという希望があった。何といっても相手はペルーレである。アテネ五輪を引っ張ってきた女子サッカー最高峰の2チーム。同志であり、ライバルである相手。目の前のペルーレに全力でぶつかり最高の試合がしたい。そんな選手たちの気持ちにいやおうなしに期待が膨らむ。

 小雨が降る中、メインスタンドを埋め尽くした観客。ペルーレサポーターは地元のサッカーチームの少年、少女にチアースティックを配布し大応援団での声援、ベレーザも最終戦ということで15人ほど集まった。現状のL・リーグの応援としては緊張感、期待感と人数的な華やかさという会場の雰囲気があった気がする。地元のサッカー少女たちと両チーム手つなぎ入場から、前節で100試合出場を達成したペルーレの大谷未央選手へ花束が贈呈された。そして14:00、キックオフの笛が鳴った。

 試合は両チームの集中力が途切れることない息詰まる熱戦となった。サイドからの突破に活路を見出そうとする、ペルーレの柳田、土橋が駆け上がれば、ベレーザ近賀、伊藤も負けてはいない。しかし特筆すべきは両チームDF陣の活躍だろう。この対戦は攻守の切り替えが驚くほど早い。両チーム、チャンスが訪れる一歩前に集中したDF陣にボールを奪われる。「どうしたら切り開けるか?」。瞬間瞬間の判断であの手この手を使い相手陣内へボールを運ぼうとする。そんな試合展開だった。全体的に前半はペルーレのペースだった。集中力を欠いた瞬間を作ってしまえば失点もありえたかもしれないが、0−0で前半を折り返した。

 後半、ベレーザは攻撃的布陣を考え、中地に変えて澤をピッチに送り出す。澤はいつだって精神的支柱であり、日本一の選手ながらアテネ五輪含めて今年一番苦しい思いをした選手であろうと思う。大怪我から復帰し、未だ100%の実力を出し切れてないながらベレーザとして試合に出たいとアテネ後も苦しいリハビリと治療をしてきた。交代した中地もベンチに戻りサポーター以上の大きな声でピッチの選手を叱咤激励する。チームの思いが一つになる。


 そして、51分。ゴール前の混戦から、フリーになった伊藤がループ気味のシュート…。ゴール裏に陣取った僕らベレーザサポーターの目の前のネットを揺らした。歓喜にわくベレーザ。今年を象徴するかのごとく、一番決めて欲しい人が決めたゴールだったのかもしれない。1年も2年も怪我に悩まされ、満足いく練習すらできなかった伊藤香奈子。そんな彼女から繰り出されるやわらかくしなやかなパス。そしてシュート。試合にさえ出ていれば、確実にアテネ五輪でなでしこJAPANに選ばれて活躍していたであろう彼女がベレーザの2004年度L・リーグを締めくくった。

 例えれば優勝を思わせるような喜びから一転、選手は瞬間で集中を切り替え、その後のペルーレの猛攻に耐え、追加点を狙い、残り39分を戦いホイッスルを迎えた。結果0−1、ベレーザの勝利。「やるだけやった」。そんな気持ちが残った。僕らサポーターとしても苦しいまでも懸命に声を出した。ホイッスルの後、喜ぶ気力もあまり残っていないほどに全力を出した。選手も笑顔というよりは出し尽くした脱力感が見られた。

 試合終了後、サポーターへの挨拶の直後にレイナスの優勝が伝えられる。その瞬間、表情は変わらなかった。涙がこぼれ落ちていたとしても強い表情を保っていた。「悔しさ」はもちろん心の底から悔しく。「やるだけやった」充実感は結果として溢れ。感情として表し辛いめずらしい気持ちの中、選手もサポーターも絶望感は微塵もなかったように思う。サッカーは続いていく。

 僕らが応援をはじめてから2年。恥ずかしながらベレーザは優勝をしていない。選手権、来年のL・リーグ、最高の笑顔でファイナルを迎える時。その時のために今は前を向き、一生懸命サッカーを楽しみ「ありがとう」の言葉をとっておこう。


 2004年。オリンピックイヤーの・リーグを終えて、今年はTV、新聞、雑誌など多くのメディアが女子サッカーを取り上げ、観客数も何倍にも増えました。結果すら満足にわからなかった昨年とはまったく違う状況でした。けれど、また来年以降は…という危機感も持たざるをえません。一ファンとしてもっともっと多くの方にこの素晴らしい競技を見ていただきたいし、4.24の国立で見せてくれた女子サッカーの可能性。超える日を作らなくては…と思います。「繋げて、伸ばす」常に発展し続ける女子サッカーであって欲しいと思います。
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