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呪縛からの開放
2004Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ 第13節 浦和レッズvs.名古屋グランパスエイト


文/KY

 長く苦しい戦いは終わった。11月20日、ついに呪縛から解き放たれるときがやってきた。

 2002年8月17日、東京スタジアム(現・味の素スタジアム)でのFC東京戦以来、勝ち星に見放された。周囲からの声は「おまえが行くから勝てないんだろ」「疫病神だ」「もうやめろ」と散々。厄払いになればと、応援用のウェアやタオルマフラーを何度か買い替えたり、スタジアムに持ち込む飲料水をいつもと変えたりした。関東圏で勝てないのはチームのジンクスでもあったため、貯金をして東京から名古屋まで足を運んだ。ただ勝つためだけに。それでも勝てない。勝利の女神が微笑まなくなってから、すでに19試合に達していた。

 そして迎えた浦和との戦い。負ければ目の前で優勝を決められるのはわかっていた。見渡す限りの浦和サポの中で、ひとり駒場へと向かった。アウェーサポにはおなじみの『出島』で試合開始を待つ。すると突然、「瑞穂にもいつもいらしてますよね?」と声をかけられた。話によれば、たまたま彼らの目の前にいたらしい。瑞穂に行ったのはたった2回だったが、単独で声を張り上げて跳ねていたから覚えていたのだろうか?「今日は一緒にやろう」と赤白のフラッグを手渡された。


 雰囲気は完全なアウェー。優勝を目前に盛り上がる浦和サポの声援に掻き消され、開始直前のコールもピッチにいる選手には届かない。そしてどこからともなく灰色の紙吹雪が舞い降りた。その勢いのまま試合は始まり、序盤から浦和の猛攻を受ける。いつ先制点を許してもおかしくなかった。

 そんなムードに拍車をかけたのが主審の不可解なジャッジだった。体を入れてコースを消すディフェンスや、互いに手を使っての競り合いといった何でもないプレーに対して過敏に反応。イエローカードを連発した。それでも秋田を中心とした最終ラインがしのぎ、40分にはマルケスが押し込んで名古屋が先制する。

 その直後に攻撃の要・マルケスが負傷退場して攻め手をなくした名古屋は、後半も防戦一方。そして最悪の事態は起こった。エメルソンをマークしていた大森がポジション争いの中で連続してファールを犯し、わずか1分間で警告2枚を受け退場。納得のいかない判定ではあったが、気持ちを切り替えなければならない。いつもの名古屋はここで終わる。この時点で覚悟を決めていた。


 しかし、この日の名古屋は違った。すぐさま井川を投入してディフェンスを立て直すと、気持ちも切らさなかった。秋田の体を張ったタックル、楢崎のスーパーセーブ、さらにはカウンターから浦和ゴールを脅かす。早く2点目が欲しかった。おそらく、これを浦和に決められていたら負けていた。

 後半も残り15分を切っていた。クライトンのフィードに対して三都主が目測を誤り、待っていた角田にボールが渡る。角田は落ち着いていた。決まった…。ここから浦和は全力で来る。もう耐えるしかなかった。このあとの10数分間は本当に長かった。何度も時計に目をやり、「粘れ、早く終われ」と祈りながら声を振り絞った。だが、あと4分というところで浦和にPKを与え、抗議したクライトンが退場。ロスタイムが長いことはわかっていた。脳裏にはこれまでの2年3ヶ月の悪夢がよぎった。1点差となりロスタイム表示は4分。同点、さらには逆転を狙う浦和は攻めつづける。

 楢崎が大きく蹴り出した瞬間、試合終了を告げるホイッスルが鳴った。終わった。ついに勝った。そのまま駆け出し、最前列の柵に登った。笑顔で向かってくる選手たちを迎えることが、こんなに気持ちのいいものだとは…。選手たちとみんなでバンザイをすることが、こんなに嬉しいものだとは…。


 9人の選手の中でも、秋田だけは最後までサポーターの前に残っていた。「秋田!秋田!」の声援に拳を突き上げ、その手を左胸に当てて応えた秋田。「秋田、ありがとう!」と心から叫んだ。秋田のファイティングスピリットがチームに浸透し、それが勝利へ導いたのだから。

 アウェーで2人の退場者を出しながらも集中力と気持ちで上回り、浦和を撃破した。この勝利はチームにとっても、そして自分にとっても非常に意味のあるものになった。2年3ヶ月という苦悩の日々を乗り越えて味わった勝利の美酒は最高だった。
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