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クラシコ観戦記 (3)


文/茶美

 翌日は、カンプノウのスタジアムツアーとバルサのオフィシャルショップに出かけました。30分位のツアーは、券を買うときに時間を指定され、他の観光客と一緒に回りました。イギリス、スウェーデン、ドイツ、日本と様々な国から前日の試合を見に来た人たちで、皆興奮冷めやらぬ様子。私もアウェイティームのロッカールームでベッカムが座ったであろうベンチに腰掛け写真を撮り、ピッチの芝をまじかにながめ、革張りのベンチの椅子にため息をつき、ピッチからロッカールームに続く通路の脇にある礼拝堂に眼を奪われ、記者席に座ってテレビのインタビューを思い出し、メインのVIP席の背をなでて、いつかここに座りたいなどと見果てぬ夢を描き、博物館に並べられた数々のトロフィーやカップを眺めてしばし夢のような時間を過ごしました。

 一番印象に残ったのは、やはり礼拝堂。 MENSA ET ARA-DEO DICATUM FIDES SODALIUM と書かれた祭壇の上に幼いイエスを抱いたマリア像が奉られ、壁には十字架のキリスト像が掛けられていました。試合の前にここで祈りを捧げてからピッチに出る選手が多くいるとの説明でした。生活に深く根ざした信仰を再認識しました。イタリアでの私の祈りもいつかかないますように。

 オフィシャルショップでは私はもうただの観光客に成り下がりました。それまでの倹約精神も何もかも忘れて、血眼になっていたように思います。カードの請求書の到着を恐れて暮らす毎日です。ああ。しかし、商売もうまいなー。


 カンプノウのスタジアムツアーを終えた日の夜は、女一人でふらふらするのも寂しいので、近くのリセウ劇場というところで、スペイン国立バレエ団のバレエを鑑賞しました。劇場の中は、サッカー場や町ですれ違う人たちとは、ちょっと違うカテゴリーの人々のようで、年配者が多く、上品なコートやスーツをまとい、宝飾品など身につけていて、ロビーは華やかな雰囲気を醸し出していました。

 席に着き、カタルーニャ語で書かれたパンフレットに面食らっていると、隣の婦人がたどたどしい英語で話しかけてきました。「どこからいらしたのですか?」「日本です。」「じゃあフランス語は話せますか?」「残念ながらフランス語は話せません」。「そう、フランス語なら私はもう少し上手に話せるんだけど。でも、英語も昔勉強したので、なんとかお話しできるかもしれませんね。」そんな感じで会話が始まりました。

 イタリアでもスペインでも、年配の方は英語を全く話さないとこの時点で思っていた私にはちょっとした驚きでした。78歳の彼女はいろいろな話をしてくれました。私たちがこれからみようとしているバレエは、El Lecoというスペインの有名なダンサーがロシアのバレエ団に招かれたものの、結局馴染めず、次第に精神に異常を来して死に至る、とても悲しい生涯を描いたものであること。この劇場はとても古いものだったのだけれど、8年位前に火事で全部焼け、それを以前と寸分違わず修復したこと、特に桟敷席に昔の特徴が再現されていること。でも、最近のスペインのバレエはあまりにも原作をmodifyしてしまって、原作の香りが失せてしまい、残念に思っていること。ここでのバレエはパンフレットがすべてカタルーニャ語で書かれること、それはバルセロナはカタルーニャであって、スペインではないからであること、等々。


 彼女は “I don't like Spain, we are not Spanish. とはっきり表明しました。昔はカタルーニャ語を公には話せなかったので、皆、家庭の中で大切に自分等の言葉を話していた、このごろは、町中でも自由にカタルーニャ語を話せるし、学校でも教えようという機運が盛り上がっている、とてもうれしいことだ、と、その頃には彼女の英語も段々流暢になってきて、情熱的に話してくれました。昨日観戦した、バルサの試合でのあの熱気は私等には到底共有することのできない、民族の歴史を包含したものだったのでしょう。にわかバルサファンを気取って、ユニフォームを身にまとい、バルサ、バルサと叫んでいる人たちの姿が滑稽にみえたのも、当然のことだったと思いました。なんだか申し訳ないような気分で、ごめんなさい、でも、見せてね、という姿勢でよかったと私は思いました。

 バレエの内容や質の評価は私にはできませんが、El Lecoの初期のスペインでの生活の場面では、フラメンコあり、民族衣装あり、それはそれは楽しいもので、ロシアに移ってからは、クラシックバレエやプリマドンナとの恋を中心とした美しい世界が描出され、精神に異常を来す頃からは、現代舞踊の抽象的表現が目立つようになり、終始観客を飽きさせない、緻密な構成だったと思います。場面場面で隣の婦人が短い単語で簡潔に解説してくれたので、まがりなりにも理解でき、とても印象深い一夜となりました。


 今、心からヤナギに感謝しています。彼が私にいろいろな世界をみせてくれたことに。フランスワールドカップ予選の頃、夫が私に「鹿嶋にいいFWがいるんだって、今度見に行こうよ」とつぶやいたのが始まりでした。
 
 ヤナギがいなければ、わざわざイタリアで仕事を作ったりしなかったし、スペインに足を伸ばすこともなかったし、クラシコなんて一生観る機会もなかっただろうし・・・。思い起こせばきりがありませんが、オリンピックのブリスベン、アデレード、ワールドカップの横浜(前年のトルシエの首をつないだ試合も確か横浜だったなあ、ゴッツあんゴールだったような)、元旦の天皇杯、CSの夜の国立、Jやナビスコの磐田、柏の葉、福岡、豊田、瑞穂、長居、日本平、宮城、駒場、市原、何回行ったか数えきれない鹿嶋、そしてイタリア相手の埼スタ。とっても寒かったウディネ。詳しいことは忘れても、この眼で見たヤナギの鮮やかな姿は絵画のように私の記憶中枢に刻まれています。この試合が、彼の新たな1ページを開きますように。


(完)
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